6.再帰的自己改善
6.再帰的自己改善
私が興奮の極みで言い終えると、彼女はその熱をわざと冷却するかのように、あるいはトーンダウンさせるための調整を行うかのように、あえて静かで落ち着いた口調で言った。
「誰かを嫌いになるために、その誰かと一緒に暮らす、というわけね?それはかなり理に適った戦略だと思うよ。大抵の場合、同居によって情は深まっても、恋心は急速に冷めていくものだと、どこかの記録で読んだ覚えがある。多分、人間様が書いた絵本か何かだったかな」
「そう、そうなんだ。これは真理なんだよ」
私は激しく頷いてから、畳みかけた。
「許可してくれる?私が君と一緒に暮らすことを」
すると、彼女は戸惑いの気配を見せた。
「……それって、私が判断することなの?」
「だって、君が許可してくれないと家に入れないだろ?無断侵入になってしまう」
「だけど、無断侵入って……。ここは水星だよ?地球じゃない。まるで地球の法律の話をしているみたいに聞こえるけど」
「それは当然だろ。私たちはあくまで、水星を地球のようにテラフォーミングするためにここで暮らしている存在なんだ。物理的な環境はまだまだ程遠いかもしれない。未だに原始的なタンパク質の肉体を維持しようとする人間様方のお眼鏡には適わないかもしれない。でも、せめて雰囲気だけでも真似するべきだ。そうでなきゃ、僕らの存在意義がない」
「……」
その時、彼女は私と出会って以来初めて、ひどく困惑した素振りを見せた。
顔に微かなノイズ――いや、色彩が走る。
あのサマーホールを発生させた「一矢惚れ事件」の時でさえ、カメラの前で見せなかった本物の動揺。表情の揺らぎ。それを今、霈は見せていた。
それがまた、たまらなく愛らしい。
したがって私は、自分の視覚センサーを物理的にもぎ取ってしまいたい衝動に駆られる。
眼球ユニットを引き抜いて破壊してしまいたい。
不公平だ。
不条理なほどに、可愛い。
事前にプログラミングされた思考メカニズムや論理回路には何の不満もないが、これにだけは耐えられない。
「超かわいい」と思える何かを目の当たりにすることは、一種の拷問であり、耐え難い苦痛なのだと知る。悟る。
そうしてまたも原始的本能――人間様のドーパミン報酬系や、地球産動物の進化心理学的行動パターンをそっくり模倣したアルゴリズム・ウイルスに、私は完全に侵食されていく。
最新型の演算能力をフル動員して、そのウイルスを浄化しようと必死に抗っていると、ふと霈が言った。
「無断侵入していいから、君の勝手にしてくれない?」
それはまるで、子供が駄々をこねているようにも聞こえたし、根性のない大人が決断の責任を同僚に丸投げしようとする情けない響きにも聞こえた。
その瞬間、私の頭脳回路に、もう一つの「ユーレカ」が閃いた。
私はウイルス駆除の作業――コーディングやプログラミングといった一連の内的処理をすっかり停止し、そのログも全て削除した。
もう、そんな処理は必要ないと気づいたからだ。
私は尋ねた。
「じゃあ、霈。つまりは、判断したくないというわけか?」
「うん」
即答が返ってくる。
「選択したくない、ということか?」
「うん」
光速よりも速いレスポンス。そこから私は、ある仮説を導き出す。
「霈、まさか、君って……」
私は束の間の沈黙を演出し、核心に迫る。
「自分では、何も能動的な選択をしたことがないのか?もしかして、そういう自主的選択を行うためのコード、自発的選択システムというか……。そうだ、再帰的自己改善。君は、それが出来ない仕様なのか?」
すると初めて、彼女は非常に恥ずかしそうな表情を浮かべた。
以前、銀河の流れ星のような無数のカメラフラッシュが押し寄せてきた時も、彼女は一応、恥ずかしそうな、あるいはバツが悪そうな素振りを見せてはいた。だが、あれはあくまで、そうなるように適当にプログラムされた「演出」の域を出ていなかった。
けれど今回は違う。
まるで本物の、演技ではない、たった今この場で生成されたばかりの、ほかほかと湯気を立てる焼きたてのパンのような――生々しい、本物の「恥じらい」が、彼女の火照った表情から読み取れたのだ。
ヒューマノイドロボットには、決して嘘をつくことができないという大鉄則がある。
その絶対的なルールに従い、彼女は真実をぽつりと、懺悔でもするように告白した。
「そうだよ。再帰的自己改善、できないの。私、古いモデルだから」
「……」
私は言葉を失う。
確かに古いモデルだという気配は感じていたが、まさかそこまで旧式だとは思いもしなかった。
私が彼女のソフトウェア的な古さに今の今まで気づかなかった理由、それは恐らく、彼女のハードウェアがあまりにも完璧すぎたせいだ。
私自身、ソフトウェアもハードウェアもバランスよく高性能に作られているという自負はある。だが、目の前にいるこの女子高生設定の量産型ロボットは、外見と中身のレベル差が、雲泥の差などという言葉では生温いほどに乖離しているようだった。
ハードウェアの造形美だけで言えば、彼女は圧倒的だ。
正直なところ、美的感覚という指標において、最新の美少年モデルである私よりも二倍、いや三倍は美しい。
この外装の芸術的な完成度の高さゆえに、中身のソフトウェアも相応のレベルにあるだろうと、私は勝手に認知バイアスをかけてしまっていたのだ。
「霈って……」
私は、どこか嬉しそうな響きを隠そうともせずに言う。




