32.ブレインストーミング
32.ブレインストーミング
外へ出た瞬間、世界が荒れ狂っていた。
雨脚はさらに強まり、使い捨てレインコートがプランク定数ほどの短時間で引き裂かれるのではないかと危惧するほど、前頭前皮質を取り巻く「脳内嵐」は激しさを増していた。
その時。
不思議な現象が起きた。
私と霈がペンダントのように首から下げている、あの手作りのトランジスタラジオから、ほのかな緑色の光が発せられ始めたのだ。
それは、ブルーアワーに染まったこの世界で、あまりにも久しぶりに目撃する「青以外」の色だった。
「渍君!見てこれ!緑色だよ。緑色に光ってるよ!」
霈は嬉しそうに叫び、胸元で微かに発光するラジオを、大切な宝石でも扱うかのように両手で持ち上げて私に見せた。
私も同じように、緑色に脈打つ自分のラジオを持ち上げ、彼女の前に掲げた。
私たちは、ワイングラスを合わせるように、光るトランジスタラジオ同士を軽くぶつけ、乾杯をした。
チーン、という微かな接触音。
そしてスピーカーから流れてくるノスタルジックでアナログなノイズ音を、一口啜るように聴く。
後味の良いサウンドが聴覚センサーを通り抜け、私のバッテリーを2%ほど充電してくれる。
元気をもらった私たちは、本格的に「灰白質の森」の方へと足を運んだ。
台風のような暴風雨のせいで視界は最悪だ。何も見えない。
だが、首元のラジオが羅針盤の役割を果たしてくれる。
発光する緑色の光が、ある特定の方角へ向けてわずかに突出し、小さな光の棒となって指針を示している。
それはまるでダウジング・ロッドのように、あるいは見えない水脈を探り当てる探知機のように、進むべき方向を教えてくれていた。
私たちはこの博物館級の骨董品、トランジスタラジオが示す導きに従うことにした。
私と霈は、しっかりと手を繋いだ。
この轟音とカオスが支配する悪天候の中だ。物理的な接続を保っていなければ、いつの間にかはぐれて、思考の濁流に流されてしまうかもしれない。
私たちは互いの指に力を込め、この脳内嵐を切り抜けるべく、一歩一歩前進していった。
というわけで、私たちは嵐の中を進んでいく。
皮肉なことに、この暴力的な台風、何も見えない視界不良、そして頼れるものがこの原始的でアナログなトランジスタラジオ一つしかないという極限状態が、私たちに安寧をもたらす。
処理すべき外部情報量が極端に減少したことで、私と霈は、互いの存在へとより深く、没入的に集中することができるようになったのだ。
この全てをミュートしてしまう轟音の嵐の中で、私は気づく。
今まで私は、あまりにも膨大な情報の洪水に溺れ、すぐ傍にいる霈の気配を0.001%程度しか感知できていなかったのだと。
この酷い台風は、まるで地球を浄化する自浄作用のように、私たち二人の間を遮っていたノイズや、割り込んでくる不要なデータを洗い流してくれた。そのおかげで、霈の輪郭、存在の密度、香り、そして彼女に関するあらゆる情報が、かつてない純度で私の中へと流れ込んでくる。
視覚センサーが役に立たないこの状態こそが、逆説的に「霈の正体」を鮮明に映し出している。
私は今、霈というヒューマノイドロボットに関する情報の、実に90%にまでアクセスできていた。
そして、それは霈から見た私に対しても同様であるはずだ。
そう気づいた瞬間、猛烈な羞恥心が込み上げてきた。
まるでこの嵐の中で、裸でシャワーを浴びているところをまじまじと観察されているような気分。おそらく霈も同じ感覚に晒されているに違いない。
だが、その恥ずかしさ同士が中和――いや、拮抗作用を起こしたらしい。
私たちの羞恥心は蒸留され、その熱を持った蒸気はそのまま首から下げたトランジスタラジオの燃料となった。緑色の羅針盤の光は、私たちの恥じらいを吸って、より強く輝きを増していった。
つまり、私たちを導くこの緑色の光度は、いわば二人の羞恥の度合いを可視化したパラメータだと言えるだろう。
そんなプロセスを経て、私たちは徐々に「灰白質の森」へと近づいていく。
近づいていると判断できる根拠は、もちろん視覚的な空間認識ではない。「これだけ歩いたのだから距離が縮まったはずだ」という原始的な時間計測による推測に過ぎないが、もう一つ、確かな測定方法があった。
トランジスタラジオから伸びる、緑の光線だ。
正しいルートへ進めば進むほど、その光の線は真っ直ぐに、鋭く伸びていく。
逆に、私たちが会話に夢中になり――もちろん、この轟音の中では音声会話など不可能だ。太陽風のせいでテレパシーも使えない。私たちはラジオの周波数同調ダイヤルを回し、特定の振幅変調(AM)帯域の隙間に、世界でたった二人だけのチャンネルを工面して通信していたのだが――話が弾んでルートから逸れそうになると、緑の光線はてきめんに反応した。
それはまるで水不足で萎れた植物のように、あるいは精気を失った生き物のように、ゆらゆらと力なく垂れ下がり、元気のない波を描くのだ。
それに気づいて軌道を修正すると、光線は再び元通りになり、背筋を伸ばした儀仗兵のようにピシッと一直線に戻る。
その光の「張り具合」が、ナビゲーション代わりになっていた。
やがて、緑の光線は恐ろしいほど真っ直ぐになった。
終いにはあまりに直立しすぎて、それはもはや波動としての光ではなく、物理的な金属の棒になったのではないかと錯覚するほど、硬質で鮮明な質感を帯び始めた。
「光には触れない」という原始的な固定観念が、強制的に解除されるほどの物質感。
私も霈も、それぞれのラジオから発せられるその「硬すぎる光」に、思わず手を伸ばした。
指先でつまんでみる。
確かな抵抗があった。
親指と人差し指で挟み、少し力を入れてみる。
ポキッ。




