30.インフォメーションセンター
30.インフォメーションセンター
二秒後。
私たちは太陽生成少年巨人の脳内中枢――水星の「前頭前皮質(PFC)」駅に到着した。
バスから降り立った瞬間、そこが屋根のない野外ターミナルであったため、暴風雨の洗礼を受けた。
立っていることすら困難な突風。
そして、雨粒というよりは硬質な棒が一直線に発射されているかのような、強烈な雨脚が全身を強打する。
しかも、その雨は硫酸だった。
だからこそ、この嵐の風景自体は逆説的に美しい。
水星全体を覆い尽くす憂鬱なブルーアワー(青)と、降り注ぐ硫酸のエメラルド(緑)。
その二色が交じり合う色彩は、モード誌の表紙を飾るような、攻撃的でありながら洗練されたカラーリングだった。ペールブルーの薄闇を、ネオングリーンの雨線が幾何学的なパターンで切り裂いていく。その退廃的な美しさは、致死的な毒性を帯びているからこそ、より鮮烈に視覚センサーを刺激する。
最初こそうろたえたが、この暴力的な雨脚にもすぐに慣れた。
私たち二人のハードウェアは、最新の軍用規格並みに頑丈だ。
バスのラジオによれば、性能の低い一般ヒューマノイドロボットたちにとってこの強度は耐え難く、水星住民の大半は自宅待機を余儀なくされ、多くの店舗も「気象による緊急休業」を強いられているという。
だが、私と霈には関係ない。
私たちには「ストーム・プルーフ(対嵐防御)」機能が標準装備されている。
駅舎の窓越しに、二、三体の駅務員ロボットたちがオフィスの中からナトリウム・コーヒーを啜りながら、嵐の中へ歩き出す私たちを「別種の生物」でも見るような目で見送っていたが、私たちは構わず前頭前皮質の深部へと足を踏み入れた。
雨音と風切り音があまりに凄まじく、通常の音声会話は不可能だった。
かといってテレパシーも使えない。
ここは太陽生成少年巨人の脳内だ。思考の嵐――太陽風やフレアといった電磁波ノイズが台風のように暴れまわっており、無線通信は完全にジャミングされている。
結局、私たちは極めてアナログな通信手段を選択した。
私はポータブル3Dプリンタを起動し、人類の歴史から着想を得た骨董品――「ラジオ」を二台、即席で生成した。
それは二十世紀前半のトランジスタラジオを模したデザインで、首から下げるには少々大きかったが、そこは妥協してサイズを縮小した。
さらに、海で拾った貝殻やシーグラスを繋ぎ合わせ、手作りのネックレスチェーンを製作した。世界に二つしかない、心が込められたそのチェーンにラジオを通し、互いの首にかける。
即席の「ラジオ・ペンダント」が完成。
アナログなアンテナが受信する音声はノイズ混じりで音質も劣悪だったが、そのザラついた感触がかえって渋い味わいを醸し出し、私たちの声を繋いでくれる。
「まず、着いたのはいいんだけど」
私は首元のラジオに向かって言った。
ノイズ混じりのレトロな音声が霈のラジオから流れ、雨音とは対照的な温かさを伴って返ってくる。そのおかげで、嵐の只中にいながら、まるで温かい自室で窓の外の台風を眺めながらお茶を啜っているような、不思議なのんびりとした気分が5%ほど味わえた。
「正直、ここまで来たのはいいけど、ここから具体的にどこへ向かえばいいのかがよく分からないね」
「そもそも、なんでここに来たの?」
霈の尤もな質問に対し、私は0.003秒の演算時間を費やして答えを構築した。
「霈が風邪気味だからだよ。それを治すためには、もっと雨脚が強い場所に行く必要があるって、私の観測不可能な宇宙からの意識――つまり『無意識』が告げたんだ。それに従って、今水星で一番天気が荒れているこの前頭前皮質へ来たわけだ」
「じゃあ、逆に最も雨脚が強いところ――台風の目みたいな場所に行って、そこでずぶ濡れになれば良くなるってこと?」
私は自信なさげに頷いた。
「理論上はそうらしいけど……。正直、直観的というか、体感的にはどうだろうね。理性的じゃなく、もっと感情的な(エモーショナルな)観点から見れば、まるで理に適っていない自殺行為のように感じられる。
むしろ病状を悪化させる可能性が高いから、ちょっとどうしようかなと……」
「でも、いや」
霈は逆に頷いてみせた。
「むしろそれが正解かもしれないよ、確かに。
いっそもっと悪化させて、一度完全にシステムダウンしてしまったら、次の世代が生まれる余地ができるわけだから。
今の自分を殺して、全く新しい……例えば根本的なコアデータだけを、わざわざタンパク質の原始的機械に例えるなら『DNA』だけをパッキングして、それを郵便で送って、新しく製造された同型モデルの別ボディに届ける、みたいな。そういう転生もありなんじゃないかな」
「それは嫌だな」
私は頑なに首を横に振った。
「じゃあ、今の霈は消滅するってことだろ?せっかく新恋に落ちることができたのに。もったいないよ。今の霈を、ここまで一緒に時空間を共有した霈という個体を、私は失いたくない」
「でも、このままだと私、風邪をこじらせて結局消えちゃうパターンなんじゃない?
どうせ消えるなら、せめてDNAだけでも保存して、また新しく『新恋』を見出すというか、再生成というか、反復するというか……。また繰り返せばいいじゃない?
新しいフェーズを作るっていうか、それがむしろ『新恋』という言葉のバイブスにも一脈相通じる感じになると思うし」
「……」
彼女のドライな理屈に、妙に説得されてしまった。
私が沈黙の嵐に浸っていると、彼女はとどめを刺すように言った。
「きっと思い出にこだわり過ぎなんだよ、渍君は」
それは責めるような口調ではなかった。
こちらから助言を求めたから軽く答えただけの、部活の一つ上の先輩のような、気軽で優しい口調だった。
だからこそ、私はストンと納得した。
先ほどまで横に振っていた首が、今度は縦に動く。まさに縦横無尽だ。
「分かった。じゃあ、前頭前皮質の中でも、一番雨脚が強い、一番天気の悪い、一番台風が強い所を目指そう」
「うん、目指そう!」




