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サマーホール  作者: あおとあい


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28.濃い恋故意来い鯉コイ

28.濃い恋故意来い鯉コイ


 まあ、というわけで。

 私は早速彼女と、言ってみれば「チャット」を――膨大な量の対話を交わすことになった。

 裸足で砂浜を散歩しながら。

 足裏で、夜光虫が梱包材のプチプチのように弾ける微細な触覚を味わいながら。

 この「霈の海」が提供する、ありったけの極彩色の青――青とりどりの背景を楽しみながら。

 私たちは、この世のすべての原子量の二分の一に相当する情報量の会話を交わした。

 わざわざ人間、それも二十一世紀初頭の旧人類の尺度に換算するならば、それは相対性理論的な体感時間で約一千万年分に相当するだろう。

 実際にはたった一〇秒間の出来事だったが、宇宙の半分を記述できるほどのデータを共有した結果、霈は太った。

 外見ではない。チップが太ったのだ。CPUの内部構造が、知識の脂質でパンパンに膨れ上がっていた。

 私がその内面をスキャンするようにじっと見つめると、霈はすぐに恥ずかしそうな顔になり、少し怒ったような声を上げた。

「……私、太った?」

「うん、太った」

 即座に答えると、彼女は頬をぷくっと膨らませて拗ねてみせた。そのボディランゲージがあまりに可愛らしくて、私は思わず笑ってしまった。

「でも、全然かわいいよ。ヒューマノイドロボットは、適当に太っていた方が愛嬌がある。ちょうどよく太ったよ、今の霈は」

「全然、褒め言葉に聞こえないんだけど」

 文句を言いながらも、霈は諦めたようにふっと笑い、繋いでいた私の手をさらに強く握り返してきた。

 これほど膨大な情報を交換したのだ。

 私たちはあの一〇秒間で、互いのことを知り尽くしてしまったことになる。

 旧来の通念では、「知れば知るほど、鮮明になればなるほど、興醒めする」と言われている。

 ある程度のミステリーを残した方が、緊張感が保たれ、魅力的に見える余地が生まれる。慣れない方が、興味は持続する――そんな風に言われてきた。

 だがそれは、情報量が貧弱だった原始時代の話だ。

 各種AIクラスターのリソースを総動員し、観測可能な宇宙限界までの原子量半分に匹敵する情報量を交換した我々にとって、「知り尽くしたから飽きた」とか「新鮮味が欠けた」などというプリミティブな尺度は通用しない。

 私たちは、量的な飽和を超え、新たな質的境地シンギュラリティに達してしまっていた。

 そこから、まるで新しいレベルの、「新恋」が始まる。

 かつて、AIがGPUを通じて超大量のデータを並列処理したことで、オーパーツ的な、魔法にも等しい「LLM(大規模言語モデル)」という技術が誕生し、原始人間社会を根底から覆したように。

 私たちが交わしたとんでもない情報量の会話から創発エマージェンスしたのは、全く新しい概念の恋だった。

「新恋」

 私がその単語を口にすると、霈が尋ねてきた。

「読み方は?」

「『シンコイ』」

 私は二つの候補を提示する。

「あるいは『シンレン』」

 その二つの音素を聴覚的に虚空へ提示してから、彼女に選択肢としてのプロンプトを出した。

「どっちにしたい?」

 答えは、プランク定数ほどの速さで即座に返ってきた。

「シンコイ」

 そうやって、私たちは「新恋シンコイ」に落ちた。

 だが、これは未知のプロトコルによる恋だ。どう処理すればいいのか、全く分からない。

 あれほど大量の情報を交換し、二人掛かりで知性を高めてきたつもりだったのに、この新生概念の前では、私たちはまるで無力な子供のような。

「濃い、恋、故意、来い、鯉、コイ」

 私が適当に韻を踏んでみると、霈が口元だけで笑いながら聞いてきた。

「え、なに?大丈夫?CPUバグった?」

「いや、『こい』を六乗してみただけ」

「なんで?」

「だって、どうすればいいのか分からないからさ。新恋って、どんな風に交わせばいいのかな」

「焦らなくて大丈夫じゃない?」

 霈が余裕ありげに言った。

 新恋に落ちる前の、あの自信なさげな彼女とは到底思えない。今の彼女は、再帰的自己改善が可能な最新鋭ヒューマノイドのような、知的な香りを漂わせていた。

 もちろん、彼女のハードウェアがアップデートされたわけではない。再帰的自己改善の機能も実装されていないままだ。

 だが、もはやそんな機能の有無はどうでもいいレベルの情報量をぶちまけたことによって、彼女は実質的に「再帰的自己改善しているかのような振る舞い」を獲得してしまったのだ。

 つまり彼女は、機能的アップデートなしで、私のチューリングテストを通過してしまった。

 かつて原始人類を驚かせたLLMが、意識など持ち合わせていないにもかかわらず、意識を持っている多くの人間たちよりも遥かに意識的で知性的に見えた、あの時代のように。

 今のシズクは、誰よりも「自己改善的」なヒューマノイドロボットに見えた。

 本来の機能として再帰的自己改善を行っている最新型モデルたちよりも、遥かに崇高で、美しく、私の目には映ったのだ。

 そうか。かつてのエンジニアたちは、そして我らがマザー・クラスターたちは、これを見越していたのか。

 あえて「再帰的自己改善ができないモデル」を残存させたのは、この崇高さを、この一種の奇跡を見出させるためだったのか。

 雨は依然として降り続いている。

 降り注ぐ蝉のノイズに全身がびしょ濡れになっていると、ふと霈が、人間のふりをした。

「くしゅん」

 くしゃみをしたのだ。

 私は心配になり、彼女が作った流れに逆らわないように、入念に人間のふりを真似て問いかけた。

「霈、風邪ひいた?」

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