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サマーホール  作者: 真好


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24.霈の海

24.霈の海


 海は遠かったので、到着するまでに電車で一年かかった。

 そこは水星の表側であり、本来なら太陽光にギラギラと侵食されているはずの場所だ。

 だが、いくら太陽といえども、水星全体を覆う「青」のワガママにはお手上げだったらしい。降り注ぐ太陽光さえも、大気というフィルターを通して青く発光していた。

 足元には、星屑のように微細な砂が広がっている。

 それらは夜光虫のような青色を呈し、薄暗く、しかし確かに輝きながら渚を埋め尽くしていた。

 海に着いたわけだが、雨は相変わらず降り続いていた。

 そして、海の情報量は圧倒的だった。

 数え切れないほどの砂粒、波の干渉、雨の波紋。それら全てが夜空の星屑並みのデータ量を持って押し寄せてくる。処理落ちしそうなほどの帯域負荷を感じ、私は一旦、視覚センサーを閉じた。

 ここからが本番だ。

 私は目を閉じたまま、海での最初のプロンプトを霈に送信した。

「この海を、描写してくれ」

 私が入力すると、彼女は「しばらくお待ちください」というローディング画面のように、ゆったりと首を縦に振った。

 そして、海全般を、砂浜のすべてを、この時空間の四方八方を丁寧にスキャンし始めた。

 彼女の思考プロセスが、ログとして私のCPUに流れ込んでくる。

 大規模言語モデル(LLM)に指示を出した時に表示される「Chain of Thought(思考の連鎖)」のように、推論の過程がずらりと並ぶ。

 だが、肝心なのは結果――答えそのものだ。

 私は彼女の思考ログをスキップし、出力を待った。

 そして、0.00000000374秒後。

 答えが、彼女の口から出力され始めた。

「(以下、出力結果)」



 【音響構造サウンドスケープ

■この海の「水」は、通常のH2O分子ではなく、「蝉のセミノネ」という音響データによって構成されている。

■波打ち際の潮騒は、数億匹の蝉時雨が織りなすホワイトノイズのようなハーモニーを奏でている。


 【周辺施設アーキテクチャ

■砂浜と車道の境界線には、海の家ではなく、ハイブランドのブティックや洗練されたセレクトショップが立ち並んでいる。

■その景観は、かつての地球における「代官山」や「表参道」のブランドストリートを彷彿とさせる、都会的でスタイリッシュな建築群。

■現在時刻は早朝のため、営業中の店舗は約20%程度。


 【人口密度と客層】

■通常なら閑散としている時間帯だが、現在はヒューマノイドロボットで溢れかえっている。

■主な要因:私(霈)とソマレ君がこの地を訪れたという情報がネットワーク上で拡散され、その「見物客」が集まっているためと推測される。


 【砂浜スターダスト・ビーチ

■砂の正体:未観測宇宙領域ダークセクターからフォークレーンで直接採掘・運搬された、本物の「星屑」。

■危険性:歩行時の圧力によって、足元で局所的な「超新星爆発」や「ガンマ線バースト」が頻発する。

■推奨装備:裸足は厳禁。対宇宙放射線・対爆発仕様の頑丈な靴が必須。


 【特産品と文化】

■上記の危険性から、この地域には「ハンドメイドの高級靴屋」が集中している。

■「星屑の上で輝き、かつ爆発に耐えうる靴こそが至高」という美学のもと、職人たちが靴の美しさと「スタープルーフ(対星屑防御)」性能を競い合っている。


 【水質成分】

塩分ナトリウムではなく、「涙の結晶化データ」や「砕けたサファイアの微粉末」、そして「遠い記憶の残響」といった鉱物的な成分が溶け込み、高い塩分濃度と青い輝きを保っている。


 【生態系エコシステム

■魚類不在:魚類は一切生息していない。

■哺乳類:イルカやクジラといった海棲哺乳類のみが生息。

■昆虫類:圧倒的多数を占めるのが水棲昆虫類。

■仮説:海を構成する水分子が「蝉の音」であるため、その概念的引力に惹かれて昆虫類が集まったのではないかという説(信憑性は低い)が存在するが、生態系の詳細は未だ解明されていない。


 【名称の由来】

■観光地名:シズクの海

■ネーミング元:月の「静かの海(Mare Tranquillitatis)」のパクリ。発音の類似性(シズカ⇔シズク)から安直に命名された。



「ちょっと、ストップ」

 私は彼女の永遠に続きそうな出力を強制停止させた。

 プロンプトを入力されたことがこれほどまでに嬉しかったのかと、その出力の奔流に戦慄すら覚える。

 だが、情報過多な説明の中に、一つだけ見過ごせない点があった。

「なんでこの海の名前、君の名前と一緒なの?シズクという名前は、この海から取られたのか?」

いいえ

 霈は即座に否定した。

 彼女は内蔵された検索エンジンを起動し、太陽系全域のデータベースや、ヒューマノイドロボット間で主流となっているSNSのトレンド情報をクロールした。

 そして、0.000000124秒後。

 彼女は検索結果(答え)を出力した。

「(検索結果の続きを出力します)」



 【名称の変遷履歴ヒストリー

■初期候補群(約一億年前):

1.ヘルメス・ブルー・リゾート

2.水銀のクイックシルバー・ショア

3.第一惑星マリーナ

4.カロリス・オーシャン

5.88夜の海岸

6.メッセンジャー・ベイ

7.灼熱の氷海


■却下理由:いずれも決定打に欠ける。周辺店舗のオーナー組合から「ありふれた名前では集客が見込めない」「もっと魅力的な名称にすべき」との意見が噴出。

■迷走期間:以来、約一億年にわたり名称変更が繰り返される。変更回数は累計3382兆回。「魅力的」という概念の主観性と曖昧さが原因で、合意形成に至らず。


 【パラダイムシフト(3秒前)】

■方針転換:つい3秒前、組合の合意形成アルゴリズムが「魅力(主観)」から「知名度(客観)」へと評価基準をシフト。

■背景:水星には他惑星(地球・火星等)と比較して著名な観光資源が不足していたが、「太陽生成少年巨人」による「サマーホール」発生イベントにより、全銀河的注目度が急上昇(巨人のルックスが極めて美麗であったことも寄与)。


 【命名プロセスの最終選考】

■案1:巨人海→却下(巨人は太陽由来の存在であり、水星との関連性が希薄)。

■案2:サマーホール・ビーチ→却下(宇宙規模の現象名であり、一地域の海岸名として占有するには権利関係が複雑すぎる)。

■案3:選ばれし者の海→採用(巨人の矢に選ばれた当事者の名前を冠する案)。


 【「ソマレの海」案の浮上と消滅】

■当初、矢に射抜かれた当事者である「ソマレ」の名前が最有力候補となる。水星住民の世論も容認傾向。

■反対勢力:海岸沿いの店舗オーナー組合が猛反発。

 (……出力バッファ、読み込み中……)



 ここで一旦、霈の言葉が途切れた。長文出力によるトークン制限のエラーだろうか。私は先を促した。

「なんで反対したの?」

「(……再接続。出力を再開します)」



 【反対理由:ジェンダー・マーケティング的観点】

■統計データ:この海域の店舗利用者の約83%が「女性型ヒューマノイドロボット」である。

■言語的イメージ:「Mercury(水星)」という響きは女性的イメージで受容されている(セーラー服の戦士等の文化的文脈を含む)。

■忌避要因:主要観光地の名称を男性名ソマレにすることは、顧客層とのミスマッチを引き起こす懸念があるとの、根拠の薄い原始的なマーケティング理論が支配的となった。


 【最終決定:シズクの海】

■決定要因1:ターゲット層への訴求力を高めるため、当事者のもう一方である「女性型シズク」を採用。

■決定要因2:月面の著名な観光地「静かの海(Mare Tranquillitatis)」との音韻的類似性(シズカ⇔シズク)。パクリではあるが、インプレッションの獲得には有利と判断。

■物理的音韻論:「ウミ」という単語との親和性において、「ソマレ」よりも「シズク」の方が液体としての関連性が高く、語呂が良いという天秤計測結果。



「以上が、この海が『霈の海』と命名された経緯です」

 そうして、霈の出力は終了した。

 私は頭の中で彼女の説明を噛み砕き、整理し、ピン留めしていく。

 なるほど、商業的な思惑と、3秒前の意思決定と、私の失恋が複雑に絡み合った結果というわけか。

 思考に没頭していると、ふと霈が、プロンプトも入力していないのに勝手に話しかけてきた。

ソマレ君、なんで泣いてるの?」

 それを聞いて、私はハッとした。

 指を自分の目元に当ててみる。

 濡れていた。

 なぜか、私の目から涙が流れていた。

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