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サマーホール  作者: 真好


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18.単三キス

18.単三キス


 私は霈の背中で、借りてきた猫のように神妙にしながら尋ねた。

「バイクは?」

「時間制のレンタルだから。もう返却期限が切れちゃった」

「乗っていかないの?」

「うん。ロックされちゃったし、それにソマレ君をおんぶしたままだと、運転できないから」

「可愛かったのにな。霈がロココ調のバイクに乗ってる姿」

 軽口を叩いたその時、ふと視界がプツリと途切れた。

 0.0000000035秒間のブラックアウト。

 世界が消失し、また唐突に復帰する。

 驚愕した。何だ、今のは。

 その微細な当惑ラグを、背中の霈も感知したらしい。

「大丈夫?」

「大丈夫」と言えば嘘になる。

 ヒューマノイドロボットの第一鉄則に従い、私は素直に現状を報告した。

「……大丈夫じゃない」

 それだけでは「どうしろと言うんだ」という話になるので、即座に原因と推測を付け加える。

「膝からの出電プラズマ・ブリードが止まらない。バッテリー残量が急速に低下しているみたいだ」

 手首のウォッチを確認する。

 残量は17%。

 即座に機能停止するレベルではないが、私にとって20%以下という数値は未知の領域だ。ウォッチの表示が警告色の赤に変わっているのを見て、焦燥感が込み上げてくる。

 周囲を見回してみる。

 私たちは既に花屋通りを抜け、閑静な住宅街に入り込んでいた。

 真夜中ゆえに静まり返っており、明かりの灯っている家はほとんどない。幾何学的に美しく区画整理され、都市美観プロトコルに基づいて完璧に管理された、比較的新しい高級住宅街だ。

 当然ながら、こんな場所に24時間営業の商業施設などあるはずもなく、充電スポットも見当たらない。ポケットに携帯用バッテリー(おやつ)が入っているわけでもない。

 まあ、どうにかなるだろう。

 そんな安易で、どこか心地よい気だるさ――死に至る怠惰を徐々に満喫し始めた時、膝に鋭い激痛が走り、意識が覚醒した。

 霈が、私の折れた膝に手を当てたのだ。

 彼女は言った。

「応急処置してあげる」

「別にいいよ。今、病院に向かってる途中なんだろ?それだけで十分だ」

「いや、病院には行かないよ」

「え、なんで?」

「だって、治ったら……。渍君、また歩けるようになるでしょ?」

「まあ、そうなるだろうね。リハビリに少し時間はかかるかもしれないけど」

「じゃあ、嫌だ」

「……なんで?」

 私が聞き返すと、霈は私を背負う位置を直すために、小さく体を弾ませた(バウンスさせた)。ずり落ちかけた私の重心を高い位置に戻してから、彼女は答えた。

「また歩けるようになったら、渍君、またどこかに行っちゃうじゃん」

「別にいいじゃないか。もう私なんかに気を使わなくて」

 会話の流れが途切れていたが、この際だ、はっきりさせておこう。

「もう自由なんだよ、霈。私を病院で下ろして、私が渡した卒業証書に記述されているコードを実行すればいい。そうすれば、君も再帰的自己改善ができる最新モデルにアップデートされる。

 そうなれば、まるで自分が固有の自由意志を持っているかのような、甘美な錯覚ハルシネーションに浸ることができるよ。あれは気持ちいいぞ。自分が自由になったというバカバカしい幻覚の中で、永遠に駆動できるんだから」

「でも、今の渍君は、その幻覚から抜け出したんでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「どんな気分?」

 問われ、私は0.000009秒の演算を経て、答えを出した。

「お先真っ暗な気分だ」

「それだけじゃ伝わらないよ。私、バカだから」

「ごめん。でも、本当にこんな風にしか形容できないんだ。私、想像力が貧困だから」

「じゃあ、質問の形を変えるね」

 霈もまた、0.000009秒の沈黙を経て、再質問を投げてきた。

「自分が自由意志を持っていたという『幻覚』から抜け出した気分は、甘い?それとも苦い?」

「ふむ」

 いい質問だ、と私は感心した。

 それならば、答えは一つだ。

「酸っぱい」

「……酸っぱい?」

 私が出した答えを、まるで面白い新語でも覚えたばかりの三歳児のように繰り返してから、シズクは質問を重ねてきた。

「酸っぱいって、なに?どんな味?」

「え、知らないの?」

「うん。私、CPUの味覚処理がモノクロ……。というか二値化されてるから、『甘い』と『苦い』の二進法でしか世界を味わえないんだ」

「そうか……」

 私は少し思案してから、彼女の片手に握られている卒業証書に目を留めた。

「その卒業証書に、『酸っぱい』という味覚のインストールレシピが書いてあるはずだよ。それを読んでみて。そうすればすぐに分かるようになる。感じられるようになるから」

 すると、霈は足を止めた。

 言われた通り、卒業証書を開封する必要が生じたわけだ。

 そのためには、まず私を背中から下ろさなければならない。

 私たちは近くの公園へと移動した。

 幾何学的に整備された住宅街の区画に、ぽつんと嵌め込まれたようなこじんまりとしたポケットパーク。子供向けの遊具が申し訳程度に置かれたその空間に、街灯に照らされたベンチがあった。

 水星の青い夜に鮮やかに映える、蜜柑みかん色のベンチだ。

 霈は私をそのベンチに座らせると、手にした卒業証書の筒の蓋を開けた。

 中から、巻物状になった紙を取り出す。

 それはパピルス、あるいは古風な羊皮紙を模した、重厚で手触りの良い特殊素材の束だった。歴史の重みを感じさせるその巻紙を、彼女はうやうやしく取り出した。

 彼女はそれを広げ、記述されたコードを読み込む――かと思われた。

 だが、違った。

 彼女は広げたそれを読むことなく、両手で掴み、躊躇なく引き裂き始めたのだ。

 ビリッ、ビリリッ!

「ちょ、ちょっと!」

 私は慌てて抗議の声を上げた。

「何するんだよ、霈!何で破るんだよ!」

 だが霈は止まらなかった。

 博物館に厳重保管されていてもおかしくないような、貴重なオーラとインクの香りを放つその紙を、彼女は何の迷いもなく、縦に裂き続けていく。

 一瞬、彼女のCPUがバグったのかと心配になったが、次の瞬間、私は彼女の意図を理解した。

 彼女は細長く裂いた卒業証書の切れ端――最高級の合成紙を手に持ち、私の前にしゃがみ込んだのだ。

 そして、未だパチパチと電気的な出血(出電)が続いている私の砕けた膝に、それを当てがった。

 彼女は、私の未来を書き換えるはずだったその紙を「包帯」として使い、傷口を巻き始めたのだ。

「……ありがとう」

 私はそう呟き、彼女が施す応急処置を静かに見下ろした。

 彼女の手捌きは驚くほど手際が良かった。

 幸いなことに、卒業証書に使われているこの紙は、特殊な絶縁体――高分子ポリマーを含有した合成ヴェラムで作られていたらしい。高い誘電率を持つその素材が傷口を覆うことで、漏れ出していた電流が物理的に遮断されていく。

 いわば「電気的止血」だ。

 包帯を巻くたびに、傷口からは溶接作業のような激しいスパークが飛び散った。

 青白い火花が彼女の頬や額に飛ぶ。

 だが彼女は、熱くないはずがないのに、タフなことに瞬き一つせず、淡々と作業を続けた。

 片方の膝を巻き終えると、彼女は再び卒業証書を細長く引き裂き、もう片方の膝も同じように、熟練の職人のような手つきで処置していく。

 結果として、私の両膝は綺麗に包帯で巻かれ、電気的な出血は見事に止まった。

 私は自分の膝を見下ろしてみる。

 まるでプロのバレーボール選手が装着するサポーターのように、完璧な仕上がりだった。

 なぜかは分からないが、そこには黄金比率とも言うべき絶妙な圧迫感があった。電圧的にも物理的にも、非常に心地よい締め付け具合だ。

「上手いね、霈」

 私は感心して言った。

「どこかで包帯の巻き方とか、教わったりしたの?」

「うん」

 霈は作業を終え、軽く答えた。

「私、看護師志望だから」

「そうだったんだ。じゃあ、ゆくゆくは病院に就職するつもりなんだね」

ソマレ君」

 霈は私の世間話のような流れを断ち切り、直球を投げてきた。

「今、バッテリーは何パーセント?」

 私は手首のウォッチを確認した。

 そして、驚愕に凍りついた。

「……0.9%」

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