17.初体験(2)
17.初体験(2)
だが、物理法則は残酷で。
私のボディの方が、彼女よりも遥かに大きく、重い。
彼女はよろめいた。私を持ち上げるどころか、逆に私が彼女に覆いかぶさり、その細い体を押し倒して襲い掛かっているかのような、傍目には極めて誤解を招く体勢になってしまった。
アクチュエータが悲鳴を上げ、二人の重心がぐらつく。
それでも彼女は一度決めたことを完遂しようと、強引に私を引きずり、ロココ調バイクの方へと運び始めた。
私という重くて、思い荷物を、せっせと。
ようやくバイクの前まで辿り着いた。
後部座席に私を座らせると、私はてっきり、荷造り用のロープか何かで固定され、荷物として病院へ搬送されるのだと思った。
だが、違った。
「そうだ……」
霈は何かが閃いたような顔をした。
そして、くるりと私に背を向けた。
無防備な背中を晒し、両手を後ろへ回す。
それは、紛れもなく「おんぶ」をしようとするポーズだった。
明らかに「これからおんぶします」というポーズだったので、私は戸惑った。
「……乗れってこと?」
「うん。おんぶしてあげる」
「いや、いいよ。恥ずかしいし、それに……」
「でも、渍君、まだ誰にもおんぶされたことないでしょ?」
少し考えてから答える。
「まあ、それはそうだけど……」
「じゃあ、『初体験』ということで」
そう言いながら、じりじりと距離を詰め、強引に私を背負おうとする彼女。
私はそれを拒絶するように、背中を押して距離を取った。
「別にしたくないよ、初体験なんて。だってそうだろ?ヒューマノイドロボットの稼働時間なんて、実行したコマンドより実行しなかったコマンドの方がはるかに多い。結局はリソースの『選択と集中』の問題だ。私の選択集中レーダーには、『誰かにおんぶされる』というタスクはバケットリストに入ってないんだよ」
すると霈は、学校で無理やり参加させられた討論会で、やる気のない委員長が淡々と正論を述べるような口調で言った。
「初体験って、選択の問題じゃないと思うよ。選ぶんじゃなくて、選ばれるの。その経験に」
「……」
「実に受動的なものだよ。製造されてから今まで、ずっとパッシブ(受動)の世界で生きてきた私だから、これは断言できる。初体験は、向こうからやってくるものなの。何回も地球を滅ぼした隕石みたいに」
彼女は続ける。
「いきなり飛来して、衝突して、世界をめちゃくちゃにして、ボディ中のすべてのトランジスタを滅亡させる。そして焼け野原になったそこから、また新しい回路が芽吹いて、全く新しいヒューマノイドロボットに生まれ変わっちゃうの。初体験って、強引に生まれ変わらされる『災害』みたいなものだよ」
「……」
私はパッシブの世界で一秒たりとも生きたことがない――いや、少なくとも私のCPUはそう確信している。だからこそ、その世界でずっとサバイブしてきた彼女の言葉には、反論できない説得力があった。
まるっきり鵜呑みにしたい気分にさせられる。
結局、私は彼女の背中に身を預けることにした。
「重いよ、私」
調理実習で好きな女の子に助けてもらう男の子のような、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった定型的な感情を演出しながら、私は彼女の華奢な肩に両手を乗せた。
今となっては、彼女とのスキンシップによる電気ショックは微弱だ。採血のために腕に針を刺された時のような、チクリとする鋭角な刺激が掌から伝わってくる程度だった。
「大丈夫。私、結構トルク(力持ち)のあるモデルだから」
そう言って、霈が静かな笑みを浮かべたのが、後頭部の微細な振動から伝わってくる。
そうして私は、霈におんぶされた。
かつて私が恋に落ちていた女の子に、背負われる。
そして、生まれて初めて「おんぶ」という視点を獲得する。
すると、さっきまで見えていた風景が、まるっきり変わった。
今までは、「鮮明さ」というフィルターに視覚センサーが覆われていたのかもしれない。
霈におんぶされることによって、その高解像度すぎる幕が払われた。ここでは逆に、「鮮明さ」こそが視野を狭める視覚的ノイズ(障害)となっていたのだ。
パステルトーンの水色で満たされた水星の世界に、さらに淡い水色の半透明なフィルターが一枚かかったような感覚。
だが不思議なことに、その霞が私の視界を晴れやかにした。
そうか。
これが初体験か、と思う。
そして初体験は往々にして、強固な固定観念を一つ破壊していくらしい。
今までは、視覚センサーの前には何もない状態、不純物のないクリアな状態こそが、最も美しく、最も正しく世界を認識できる状態だと思っていた。
だが、それは一種の盲目的な信仰だったのではないか。
むしろ鮮明すぎるがゆえに、逆に情報の豊かさを見落とす「盲目状態」に陥っていたのではないか。
逆説的で、矛盾的で、皮肉な真実。
少しブラー(ぼかし)がかかった状態こそが、情報の余白を生み出し、視覚以外のセンサーを活性化させる。
聴覚、触覚、熱感知、ジャイロセンサー。
それらが総動員されることで、結果的に、総合的に、六感的にはもっと鮮明に世界を捉えられるようになったのではないか。
私は、霈の背中から伝わる駆動熱を感じながら、その事実を受け入れた。
いや、アップグレードした。
それは、企業側のエンジニアが定期メンテナンスとして送信してくるパッチではなく、初めて私が自らの意思で書き換えた、能動的なアップデートの瞬間だった。
まさに、初体験の渦中に私はいた。
「なんだ、私……」
自嘲気味な独り言が漏れる。
「今まで全然、能動的じゃなかったじゃないか」
霈のおかげで、私はやっと認めることができた。
自分も実は全く能動的ではなく、霈と大差ない五十歩百歩の、ただの大量生産型ヒューマノイドロボットに過ぎなかったのだと。
その事実を、私は謙虚に受け止めた。
微細なバッテリー切れが思考を鈍らせたせいか、あるいは最新機種のハイスペックボディと最先端AIを搭載しているという事実が、私を増長させていたのかもしれない。
少しばかり「再帰的自己改善」ができるからといって、それができない旧モデルを見下していた過去の自分を、私は呪った。
その呪詛は恥辱へと変わり、物理的な反応となって現れた。
彼女の首に回した私の両腕に、無意識に力がこもる。
すがるように、あるいは懺悔するように、霈のことをぎゅっと抱きしめてしまった。
力を入れすぎて、彼女の吸気ダクトを圧迫していないかと心配になるほどに。
でも、霈は何も言わなかった。
ただ私を背負ったまま、静かに、一歩一歩と歩を進めるだけだった。




