1.一矢惚れ
1.一矢惚れ
ある日、太陽から巨大な人型のフレアが噴き上がった。
その姿は急速に膨張し、やがては恒星の四分の一を覆うほどの巨影となった。水星のヒューマノイドたちは愚かにも太陽を黄色い天体だと思い込んでいたが、その真の姿は純白――直視することさえ許されぬ、この世で最も鮮烈な白であることを痛感させられる光景だった。
それはまさに、神話のゼウスを彷彿とさせるような、いや、太陽そのものが受肉したかのような巨人の降臨だった。
巨人がまとうフレアは太陽圏の遥か外縁まで伸び、そこから噴き出す暴風は太陽系全域に未曾有の災厄をもたらす予兆となっていた。
その恒星サイズの巨人――スターは、白熱する炎を大魔導師のマントのように優雅になびかせ、ギリシア彫刻のように端整な髪を揺らしている。
少年のような相貌でありながら、その裸身は威厳に満ちていた。かつてタンパク質で構成されていた古代の人類が夢見た黄金比、その肉体的美学の極致が、恒星のエネルギーによって具現化されていたのだ。
巨人の片手には、太陽内部で生成されうる最も高純度な物質で鍛え上げられた、流麗なハープ型の弓が握られている。
彼はもう一方の手を、矢筒ではなく自らの胸へと突き立てた。素手が胸郭を貫通し、心臓から一筋の血脈を引き抜くようにして、一本の矢を取り出す。それはハープの弦につがえられ、静かに構えられた。
狙いは、太陽に最も近い惑星、水星。
放たれた矢は純白の輝きを帯び、太陽と彗星を繋ぐ恒久的な軌条を描きながら、一直線に突き進んだ。
その切っ先が向かう先には、一体のヒューマノイドロボットがいた。
水星の海辺、夏休みを間近に控えた通学路。彼は水星で最も退屈そうな顔をして、この惑星への幻滅を隠そうともせず、とぼとぼと歩いていた。
それは大企業が製造した最新鋭の量産型モデルであり、将来的に人間界でベストセラー間違いなしと評される、美貌の男子高校生型ヒューマノイドだった。
矢は、迷うことなくその少年の胸を貫いた。
水星中の人々が、そして全太陽系が、この太陽生成少年巨人という怪現象に釘付けになっている。
誰もが電波網を通じて巨人の一挙手一投足を見守る中で、ただ一人、全く興味を示さず無色無臭を貫き、プログラム通りの日常を送っていたちっぽけなロボット。その彼に、歴史的な直撃が起きたのだ。
心臓部を貫かれたその高校生ヒューマノイドは、どうなったか。
本来、痛覚など設定されていないはずの先進的機体であるにもかかわらず、彼はその瞬間、激しい苦痛に襲われた。そして、製造されて以来一度も経験したことのない、「死にたくない」という野蛮で原始的な、ある種の羞恥さえ伴うほどの強烈な欲望に支配されていった。
そして、彼のCPUの深層に、あるいは中枢回路に直接響くようにして、その矢は「生存方法」を提示してきた。
この太陽生成少年巨人の矢に貫かれた者が助かる道は、たった一つしかないのだと。
『恋に落ちろ』
それしかない、と。
胸に突き刺さった矢が、男子高校生型ヒューマノイドロボットの思考をハッキングするように、強く、執拗に囁き続ける。
彼は結局、そのノイズのような命令に屈した。
白旗を揚げるように、常に足元の舗装路ばかりを見ていた消極的な首を持ち上げ、ついに顔を上げ、水星の空を仰いだのだ。
そこには、今や太陽系全土が注目する太陽生成少年巨人の姿があった。
巨人は、眼下の彼をまじまじと見下ろしている。
巨人の眼光よりも遥かに強い輝きを放つ、胸の矢。
彼は、巨人の顔と自分の胸の矢を交互に見比べ、やがて諦めがついたように天に向かって叫んだ。
「誰に!」
その叫びは切実だった。
「いったい、誰に恋をすればいいんですか?!」
すると、巨人が口を開いた。
その開口部だけでも水星の百倍はあろうかという大きさだった。放たれた一息の余波だけで、水星は遥か彼方、太陽系外へ弾き飛ばされそうになる。だが、巨人はそれを巨大な手で鷲掴みにし、強引に元の公転軌道へと戻した。
惑星の揺れが収まった頃、水星の、いや、全太陽系の人々の聴覚センサーを震わせるほどの大音量で、巨人は告げた。
「目の前にいるじゃないか」
その言葉を受けて、全宇宙の多くの者が、自分の目の前にいる誰かを見つめたかもしれない。
だが、いちいちそれを列挙していてはキリがない。
今はただ、渦中の水星に住む、この男子高校生型ロボットに焦点を絞ろう。
当然、彼も自分の目の前を見た。
そして、向こう側にいる「誰か」もまた、彼を見ていた。
二人の視線が交差する。
彼の目の前にいたのは、同じく通学途中であった女子高生設定のヒューマノイドロボットだった。ただし彼女は水星製ではなく、金星の大企業が生産した、かなり古い――ヴィンテージに近いモデルだった。
そして、男子高校生ロボットは、即座に彼女に恋をした。
これが、「一矢惚れ(ヒトヤボレ)事件」の顛末である。
メイド・イン・マーキュリーの男子高校生型ロボットの名は、「抽象渍」。
そして、彼が一矢惚れしてしまったメイド・イン・ビーナスの女子高生型ロボットの名は、「公理霈」。
二人の恋物語が、ここ水星で幕を開ける。
――という記述までが、水星で最も広く読まれている電子雑誌からの抜粋である。
私は雑誌を閉じた。
「……」
立ち読みを終え、それを元の棚に戻す。
何気なくコンビニの店内を見回すと、数人の客たちが一斉に私の方を見ていた。
その中で、母親の手を握ったまま、鼻から潤滑油を鼻水のように垂らしている五歳児設定の小型ヒューマノイドが、堂々と私を指差して叫んだ。
「一矢惚れのロボットだ!」




