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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

パルテノペの星屑

作者: Hao_Asagiri762

照りつける太陽は青年の額をじりじりと焼き、石畳の小道を煌々と照らす。眼下に広がる淡青色に染まった地中海と色鮮やかな街並みは絵画のような情景であった。



ここはイタリア南部の港町。古代ギリシア人によって開かれ、国に反旗を翻した英雄が眠る死火山の膝元のこの町は今日もゆっくりと時が流れていた。



しかしこの町、ただの港町だと侮ることなかれ。そこの裏路地を見れば言わずもわかるだろう。ネクタイを締めた人相の悪い男ども。この町は伝統的にカモッラ...所謂マフィアがコミュニティに深く根付いた地域である。



遠く離れたアメリカから昨日やってきたこの青年も例外ではなかった。見た目は華奢だが肌は褐色に焼け健康そうで、しかも人当たりも良く、どこでも愛されそうな若者であった。



しかしこの青年「生きる意味」を見いだせずにいる。物心ついた時からの組織からの命令が絶対であった彼は自分の意志で動いたことがない。飯を与えてくれ、居場所と仕事をくれる組織に揺るぎない忠誠心はあるものの、この世界で生きていくことが自分の人生だと割り切れずに日々を送っていた。



この訳アリの伊達男が海を渡ってきたのには理由がある。最近政府連中が始めた「治安維持活動」...言ってしまえばマフィア狩りから組織の要人をアメリカへと逃がすために組織の中から選ばれて来たのである。要人については「組織の大幹部の身内」ということ以外情報が漏れるのを防ぐためか知らされておらぬ。



適当な店で腹ごしらえを済ませ、流れる汗を拭いつつ町の中心からほど近い古いアパートの前に立った。指定されたようにドアを6回ノックする。すると屈強な男がぬるりと顔を覗かせたかと思うと、青年を中へと引きずり込んだ。ドアを閉めるなり男は「道中黒服を着た連中は見たか」と聞いてきた。



なんでも政府は国中に黒い制服を着た連中を送り込み犯罪組織の撲滅を図っているらしい。だがこの若者もプロである。重要な役を任されるだけあって警戒心は非常に高く、追跡を恐れてここに来るまでにいくつもの街角を曲がり、子供に至るまで視界に入る人間を観察しつくした。不穏分子が近くにいないと確信し、初めてドアの前に立ったのである。



青年は「大丈夫」と一言返し、ここの仕切り役の部屋へと通してもらった。部屋の戸を開けるなり、キューバ巻きをふかした恰幅の良い男がアンティーク物の椅子にどっしりと座っていた。男は白い歯を見せ、遠い国からやってきた[家族]である青年を陽気に歓迎したが、与太話の中で若者はこの男が少なくない家族の屍の上に座っていることを見抜いた。



やがて二本目の葉巻を吹かしながら、「ではお姫様にご登場願おうか」と言い、部屋の奥のドアに向かい声をかけた。やがてドアを開けて出てきた人物に修羅場をくぐり抜けてきた青年も動揺を抱かずにはいられなかった。



女の子...髪色は美しい褐色でいて、肌は絹地の如し白さでこのかび臭い部屋には不釣り合いな存在であった。だが一番驚いたのは、少女の目が包帯で覆われていることである。理由を問うと「彼女は生まれつき盲目であり、それを周りに知らせるため」と恰幅の良い彼が答える。



それと少女の父は捜査網から逃れるため行方をくらませており、このまま少女が国に留まると当局に捕まり父を引きずり出す材料に使われる可能性があるから国外へ逃がす事になったと具体的な背景を初めて説明された。



そんなお姫様との邂逅の後、裏の車庫に案内され港までの足として古びたフォード車を用意してもらった。偽の身分証明書と選別としていくらかのお金を貰い出発しようとした時、見送りに来た仕切り役の白ハットが頭から落ちた。聞くと下っ端時代からのお気に入りだと言う。青年はそれを拾ってやってから別れを告げた。



車のエンジンをかけ、夕焼けに照らされた石畳の道を走る。どうも道を敷いた連中は自動車という物の概念を知らない時代の連中らしく、道は狭いし車の揺れは激しいしで快適とは言い難かった。後部座席に座っている少女を見ると顔色一つ変えずに黙りこくって大人しく座っている。



青年は少女にいくつか話を振ってみたが、この子がシチリア生まれという事が分かっただけでいまいち反応は芳しくない。居たたまれなくなった青年はラジオのダイヤルを回す。最初の局は「エチオピアが我が国に対し~」などと宣う面白みもないプロバガンダ放送だったが、ダイヤルを弄るうちにスピーカーから流行曲が流れてきた。



聞いているうちに思わず口ずさむ青年だったが、そのお世辞にも上手とは言えない歌を聞いた少女は、その時初めて口を緩めた。彼女の反応をミラー越しに見た彼は曲の二番目も歌ってやろうと口を開いた。



だがその矢先、後方から車が走ってくるのを青年は見た。決して豊かとはいえないこの町に不釣り合いな乗用車。しかも最新式の国産車がこんな需要のない道を走ってくるときたもんだ。乗っている連中が何者かはもう明白であった。「あの仕切り役が金と恩赦を条件に裏切りやがったんだろうなぁ。」などと考えていると破裂音とともに右のミラーにひびが入った。きゃつらこんな街中で撃ってきやがった。



青年は少女に「姿勢を低くしていて」と伝えるとアクセルを全開にして坂を滑るように車を走らせた。



もちろんやつらも猛スピードで追いかけてきて、助手席の男が身を乗り出しバリバリと短機関銃を撃ってくる。万年筆の先端のような弾が音を立て横を掠め、窓ガラスにいくつか穴が空いたが、何とか港近くの市場へとたどり着き、少女の手を握りしめ建物の中へと走りこんだ。



少し遅れてやってきた小型自動車から大の男三人がドカドカと銃を片手に降りてくると、二人の後を追いかけた。青年は市場の奥まった所に少女を隠すと、ベルトに突っ込んでいた45口径の拳銃を取り出し、壁を背に入口側の様子を伺った。



見ると市民を装ってこそいるものの、殺意を隠しきれていない男が散弾銃を構え、向こう側から突入してきた。



距離はおおよそ30m。青年は覗き込んで狙いを定め、引き金を引いた。火薬の耳をつんざくような音が夜の市場に響き渡った。2 発目の弾が男の眉間を撃ち抜いたらしく男がばったりと倒れた。だがその時反対側から挟み撃ちにする気だったのだろう。不用心にも残る二人が銃声に釣られ飛び出してきた。



青年がこの機を逃すはずもなく、振り向きざまに鉛弾を浴びせてやる。青年の射撃は正確に男たちの体に穴をあけたが、右肩を見ると赤いシミがじんわりと広がっていた。どうもやつらが置き土産に撃ち放った弾の一つが肩を貫いたらしい。だがこんなことで動じる若者ではない。



新手が来ないのを確認し、隠れていた少女と船着き場に行こうとした。だがすすり泣く声が聞こえ、見ると彼女は涙を流していた。青年は最初は慣れない火薬の音と匂いが恐くて泣いているのだと考えたがどうも違う。聞くと、彼女は青年が自分を守るために血を流した事に泣いているのだと答えた。



それを聞いた若者は自分の浅はかさと彼女の思慮深さに心が揺さぶられたのを強く感じた。そして「慈愛に満ち溢れたこの子が安息の地にたどり着くまで見届ける」と天に誓った。しかしなぜ盲目の彼女は青年が伝えてもないのに血を流したことを知っているのだろうか。



船着き場の外れ、古い漁船が立ち並ぶ船の墓場の奥。桟橋の端に小型艇が泊まっていた。


これに乗り、沖で大型の漁船に乗り換えフランスまで渡るという手筈である。予定の時刻よりかなり早かったからかまだ船のエンジンはかかっておらず、銃声を聞いた操縦士が大慌てで作業していた。



聞くところあと数分で出立できるという。だが港から出てしまえばひとまず安心である。青年が深呼吸の傍ら、弓張り月に照らされた陸を見ると黒い人影が見えた。否、見えてしまったのである。



黒い制服に髑髏の帽章。もはや「社会の敵」を倒すためにまどろっこしい変装は必要なかった。しかも一人二人ではなく十数人はいるらしい。このままでは船が動く前に奴らに消される。彼は覚悟を決め、操縦士を急かすと彼女を船に乗せようとした。



だが少女はその場から動かぬ。青年は彼女を無理に船へと押し込もうとしたが、その刹那、彼女は目の包帯を外した。主を失った布切れが夜風に乗って若者の眼をなぞる。思わず目を瞑った瞼を開けると、彼は頂上から見た約束の地が如し情景を見ることになる。




瞼から青年を覗く球体はターコイズを思わす繊細な水色に染まり、澄みきった涙に浮かぶ光は何よりも美しく、麗しく、世に現存する事物で最も神秘という言葉が相応しいものであり、「それ」を目にした彼は最も楽園に近づいたその瞬間をいつまでも続くと錯覚し、一瞬を永遠に刻み込んだ。





遠くからの重い火薬の音が彼をこちら側へと引きずり戻す。ハッとした青年はもう一

度少女を見つめるとニコっと笑い「大丈夫」と言い残し彼女を船へと押し込み戸を閉めた。それが青年と少女の今生の別れとなった。



彼は敵から奪った機関短銃を握りしめ、何も迷う事なく陸の方に走っていった。敵の一斉射撃により放たれた弾が頭を掠める。しかし青年を止めるには至らない。彼はありたっけの弾幕を敵に浴びせた。弾倉を全て撃ち尽くし、拳銃を構えたその瞬間。ライフル弾だろうか。熱いものが胸を貫き、青年はその場に倒れ込んだ。誰がどう見ても絶望的な状況だった。しかし彼は自らの意思で誰かのために事を為すというリアルを初めて実感し、この刹那一分一秒を生きる事の喜びを知ったのであった。



彼は五感が途切れる直前、後方から古びたエンジンの音を聞いた気がした。



少女を乗せた船は無事に港を出て来られた。やがて、陸から銃声が聞こえなくなったのを彼女は聞いた。いや見たと言うべきだろうか。甲板に上がり、港を眺める彼女の瞳を人の営みの輝きと星屑に抱かれた宙からの光彩が優しく包みこむ。






輝く海は銀の星を抱き 静かな風は穏やかな波を運んだ

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