第四幕 柚木來那の起点
霧が晴れ、目を開けるとそこは、まだ彼が“異世界に来る前”の現実世界の病院だった。
白いカーテンの向こうで、無機質な心音が鳴る。小学三年生頃の柚木はベッドに座り、ただ窓の外の空を見ていた。季節のわりに冷たい風が、少しだけ開いた窓から忍び込んでくる。
その風と共に花瓶に咲いている青い花が揺れている。
『……また、ひとりぼっちだ』
その呟きに、誰も応える者はいなかった。
小学六年生まで柚木は長い入院生活を送っていた。身体が弱く、普通の学校に通うことすら大変だった彼にとって、日常とは “誰かと同じ時間を生きること” ではなかった。
誰かに認められることも、必要とされることもなく。
ただ、誰にも迷惑をかけないように、小さく呼吸をして、生きていた。
そんな彼にとって、唯一の楽しみがあった。
「來那〜!来てやったぞ。このオレが!」
『…今日も来てくれたんだね。宵くん。』
灰牙 宵。幼稚園の頃に仲が良かった友達で、毎日のように話をしている、柚木にとって数少ない友達だった。
「今日も、いっぱいおもしれえことあったから來那に教えてあげるよ」
宵は、学校で起きたことを柚木に目一杯話をしている。柚木も自分は体験できていないことを聞くのが楽しく、目を輝かせて相槌を打っていた。
「……うぁ!やっべえ。もうこんな時間!じゃあまたな〜!」
「うん、またね!宵くん」
_____だが、その"また"は来なかった。
会ったら話したいことがたくさんあった柚木は、深淵に落とされたような感覚になった。
心の拠り所だった宵に会えない。
柚木が退院した日も、その日以降も宵と会うことはなかった。学校も転校したらしく、今も会えていない。
「……君も、ひとりなんだね」
その言葉を返してくれる声が、ある日を境に消えた。
それが、柚木の心にぽっかりと穴を開けた“喪失”だった。
_______
「俺は……誰かの力になりたかっただけなんだ」
再び現在に視界が戻ったとき、柚木は無意識に呟いていた。
彼が埜楼に惹かれた理由。それは、その瞳に「昔の自分と同じ孤独」が見えたからだった。
過去の柚木は、助けられなかった。けれど、今なら___この手で、誰かを救えるかもしれない。
それが“異世界に来た意味”なのだと、柚木はようやく気がついた。
「……おかえり、柚木。」
甘虎が、ぼんやりとした柚木の意識に優しく声をかける。
「…ちゃんと生きて帰って来てくれて良かった。」
埜楼は柚木の服についた花びらをとる。
その花びらを不思議そうに唯人は見つめていた。
「……その花…ネモフィラ?西地方にはネモフィラなんて咲いてないけど。」
柚木は病室の光景を思い出す。あの時、あの場所で確かに青い花はそこにあった。
「…青い花ならさっきあった。記憶の中に。俺の友達が、見舞いの時に持ってきてくれてたんだ。」
その会話を聞いていたセラテルが小さく呟いた。
「どこにもいない者…成功…」
「…ネモフィラの花言葉。その友達は柚木の退院を願ってくれていたんだね。」
柚木は甘虎のその言葉に、宵が見舞いの日、何故必ずネモフィラを渡していたか本当の理由を知り、宵に会いたくなる衝動に駆られた。




