第五幕 焔の花と、幻の孤影
夕暮れの空は、どこか焼けるような朱色を孕んでいた。昨夜、彼方に言われた天文塔に行った柚木だったが、紗也の姿は現れなかった。
そして、今朝。彼方に"太陽が沈んだ頃、君に案内したいところがある。"と言われた柚木は、太陽が沈むのを庭園の噴水近くのベンチに座り、その時を待っていた。
南の地方に足を踏み入れてからというもの、柚木の胸には、ずっと得体の知れない焦燥が渦を巻いていた。
「おまたせ。…そろそろ行こうか。着いてきてくれる?」
彼方は柚木の少し前を歩く。以前よりも少し強くて、芯のある声色に足がすくむ。
____相手は優しい声色、態度を示しているが、あのクロユリだ。ルシェルが忠告、警告したあの組織。急に不安が押し寄せる。今までなんとか乗り越えてきた柚木だったが、毎回同じように乗り越えることができるとは限らない。
「…柚木?」
彼方が優しく柚木に問いかけるが反応はない。そんな柚木に、彼方は目線を合わせ真っ直ぐな目で言った。
「俺はクロユリだけど、君に敵意はない。殺したりしないし閉じ込めたりもしない。だから安心して着いてきてほしい。」
「……うん。分かってる。分かってるけど……足が、進まないんだ。」
心の中では理解していても体が動かない柚木に対し、何も言わずにただ背中をさする彼方。
「…大丈夫だ。柚木がそう、怖がるのも無理はない。柚木が落ち着いたらでいい。無理するな。」
その言葉には裏もなく、ただ寄り添うように言葉を選んで隣にいた。
「お前は、よく頑張ってるよ。今まで挫折も苦痛もたくさん味わってきただろう。右も左も分からない迷子くんがたくさんの地方に行って、クロユリと対立して。怖かっただろう。」
その言葉に涙が込み上げる。
_____あぁ、なんて優しい人なんだろう。
今までの柚木の状況をこんなにも分かってくれる人がいる事に安心して涙が頬を伝う。
「……………ありがとう。でももう、大丈夫。」
柚木を見つめる彼方の視線はとても温かかった。
「…そう。なら良かった。動けそう?」
「うん。あ、あのさ。彼方の案内したいところに連れてってくれない?」
「…大丈夫?ちゃんと精神が安定してからの方が良いと思うけど。」
「…今、行かなきゃいけない気がするんだ。」
「……分かった。君の意見を尊重するよ」
古都を抜けるとガラリと雰囲気が変わった。
目の前に広がるのは、焦げた花畑。咲いていたはずの草花は炭のように黒ずみ、乾いた風がそれをさらっていく。まるで誰かの記憶ごと燃え尽きたかのような光景だった。
「ここ……本当に、花が咲いてたの?」
そう呟いた柚木に、彼方は静かにうなずいた。
「……“かつて”。南は、火の神の加護を受けていた地方だった。でも、ある日、火はすべてを包み込んでしまった。」
彼方の視線の先、かつて【焔の神苑】と呼ばれた聖地は、いまは焦土と化していた。彼方は南の鍵がこの地にあるとだけ言っている。でも、今はまだ何処にあるかも教えてくれない。
「まだ試練は続いている。」とどこか感じ取ってしまう。
そのとき、風が揺れ、影がひとつ、花の燃え残りから立ち上がる。
「そこに立ってるの、柚木くんでしょ?」
振り返ると、桃色の髪を揺らしながら、ひとりの少年が微笑んでいた。____紗也だ。クロユリの1人ではあるが威勢は感じられない。
「はじめまして」
______はじめまして?
その挨拶は確かに初対面のものだった。だが、柚木はなぜか心の奥に引っかかるものを覚えた。彼の瞳の奥に、どこか懐かしいような痛みを見た気がしたのだ。
一度会ったはずなのに。
「彼方くん、彼をここまで導いてくれてありがとう。」
「孤亜もいるよ〜。紗也、久しぶり〜」
「ふふ。久しぶりだね。孤亜。」
目を細めて微笑む紗也。儚く消えてしまいそうなその表情は変わらずだった。
「……紗也。一個聞いても良い?」
紗也は頷くが、頭にハテナを浮かべている。
「…紗也に何があったの?埜楼が心配してた。」
「昔、南地方ってこんなに空気があったかくなかったんだ。魂が引かれやすいし、空気が痛いし。」
柚木の問いに沿わない答えを出す紗也。そして空気を変えるように、着いてきて。と少し透明感のある体を動かし、柚木を焔の神苑の地下に案内した。
「ここには封印された記憶の花が眠っている。だがそれに触れるには、"炎の幻影"と呼ばれる試練を乗り越えないといけない。」
「その試練を越えられるのは、“罪を知らない者”だけなんだ。」
彼方と孤亜は、どこか寂しげに視線を伏せた。彼らには、それぞれ罪を持っていた。人を傷つけ、あるいは裏切った記憶が。だからこそ、その試練に挑む資格があるのは、柚木しかいなかった。
そして、試練の扉が開かれる。
燃え盛る幻影の中、柚木はひとつの影を見る。まだ花が咲いていたころ、そこに佇む、誰かの姿。__焼けた校舎、叫び声、そして背を向けて走り去る足音。
「こんなの、知らない……どうなってるの……」
柚木はその幻影の中に、自分の記憶ではないものを見ていた。
けれど、それでも彼は歩を進める。
「っ…誰かの痛みに、目を背けたくない」
そう告げて、柚木は光の柱をくぐり抜ける。
幻が晴れ、記憶の花がゆっくりと開いた。
そこには、かつて燃えてしまったはずの南の鍵__"赫焔の種子"が宿っていた。
「柚木くん、ありがとう」
南の空に、かすかな光のしるしが舞い上がった。まるで、誰かの心に灯った“残り火”が、また新たな命を吹き返したかのように____。




