第一幕 燈都に灯る影
ハーブの香りと共に目を開けると、あたりは灯の炎が踊っていて静けさというものはなかった。
____埜楼はどんな想いで思い描いているのだろうか。胸に残る言葉が、柚木の耳から離れなかった。
『様子を見てきてくれ』
彼の願いを、決して無駄にはしない。
南地方_____【燈都】
それは、かつて栄えた古都であり、今なお朱に染まった幻想的な街並みが残されている場所。
街灯は昼間でも淡く灯り、空気は甘くも不穏な香りを帯びていた。
「……ここが、南地方……」
柚木が小さく息を呑む。北や東、西の地方とはまるで違う空気だった。
温かいはずの光が、なぜか胸の奥をざわつかせる。
柚木の近くでどこからか声がする。
「ここでは“幻”に気をつけて。目に映るすべてが真実とは限らない」
朱の石畳を歩き出すと、ふと風が吹き抜けた。
かすかに香るのは、ラベンダーの匂い。
(ラベンダー……?)
何かの記憶が揺らぐ。その瞬間だった。
「ようこそ、迷い人。ここは【記憶の都】。君たちが忘れたもの、あるいは__封じたはずのものが待っている」
突然、頭上から声が響いた。
振り向けば、朱色の塔の上に、ひとりの少年が立っていた。
風に揺れる長い赤髪。赤緑の瞳は、どこか眠たげに細められている。
「俺の名は朱央 彼方。……この都の番人のひとりでありクロユリの四方幹部だ。」
その姿は、何かを抱えているように見えた。彼は軽やかに塔から降りると、まるで戯れるように歩み寄ってきた。
ワインレッドの色の服の装飾がより一層彼方の表情を華やかにする。
「君に、幻の試練を与えよう。記憶の檻に囚われるか、乗り越えるか____それは、君次第だよ」
「幻の、試練……?」
柚木の問いに、彼方は答えず、ふっと微笑んだ。
「それと、気をつけて。この都にはもうひとつ、“真実を偽る狐”が潜んでいる」
その言葉と同時に、どこからともなく笑い声が響いた。
「…ひどい言い方だなぁ、彼方くん。ボクだってこの南地方を守ってるんだよ?」
柱から飛び降りて柚木の前に現れた人物。
「やあ、ボクは東堂 孤亜。服装で分かると思うけど、クロユリの副官で彼方くんのお手伝いしてるんだあ。」
銀と青のグラデーションがかった髪をなびかせ、クロユリの礼装のマントを狐の装飾で留めている彼は笑みを浮かべると、柚木にふっと目を向けた。
「ようこそ、迷い人。ここじゃ何もかもが“幻”。でもボクは、好きだよ。嘘の中のほうが、楽に生きられるからね」
そして、彼の背後に、もう一人の影が見えた。
「……」
その少年は何も語らない。けれど、柚木は知っていた。服装で分かる。彼もクロユリの組織の人だ。
だが、威圧的なものは感じなかった。
「君は__」
そう問いかけようとした瞬間、彼方が淡々と告げた。
「さて、試練を始めよう。幻の迷宮“記憶の檻”が、君を待っている。君が過去に背を向けたのなら_その代償を、ここで払うんだ」
風がやみ、灯がまた一つ灯る。




