第五幕 再生の証明
"再生"の地ということもあり、心地いい天使の羽のような柔らかい感触に背中を預け、柚木は今までの旅の疲れもその羽と共に空へ消えていくような感覚に、体が軽くなる。
しばらくすると、現実か夢かわからない話し声が聞こえてくる。
「…はどうするんだ?」
「今でもちゃんとこなしているはずだよ。何せ、"りん"が認めた人だからね。」
埜楼が心配した声色に甘虎が答える。
柚木はそのまま目を閉じて、三人の会話を聞いていた。
「でも、もし…もし失敗したら?」
「…その時は僕たちがなんとかするから。」
そして静かな、空気の音が聞こえる。
すると、足音が近づき、柚木の近くで止まった。
「…盗み聞きなんて、君もクロユリを恐れなくなったもんだね。笑」
目を開けると、柚木の目の前には甘虎がいた。
そしてゆっくりと駆け寄ったのは唯人だった。
「……ゆっくり休めた?」
言葉は簡素だが、その声には安堵がにじんでいた。
埜楼も黙ってうなずく。普段は皮肉や冷笑を浮かべがちな彼の視線も、そのときだけは真っ直ぐで、どこか温かいものを帯びていた。
柚木が浅く息をついたその瞬間、柔らかくも厳粛な声が響いた。
「……改めて。よく、戻ってきてくれたね」
その掌に握られているのは、白と青が織り交ぜられた、美しい結晶のような鍵。
まるで雪解けの雫が光を宿したかのように淡く輝き、見る者の胸に静かな温もりを宿す。
「これは“再生の鍵”。壊れたものをもう一度歩ませるための証。そして君が、自分自身を受け入れた証明でもある」
甘虎が差し出した瞬間、鍵は自ら意思を持つように光を放ち、柚木の胸へと溶け込んでいく。
心臓の奥に温かな波紋が広がる。柚木は思わず目を閉じ、胸に手を当てた。
___壊れたままだと思っていた自分が、少しだけ前に進めた気がした。
「……ありがとう」
短く、しかし深い意味を込めて告げる。
甘虎は微笑み、ゆっくりと踵を返した。
「ついてきて。まだ話したいことがある。」
「じゃあ、後でまた合流しよう。」
唯人と埜楼は、反対の方向へ歩いていった。
案内された先は、神殿の奥に広がる神秘的な場所だった。
そこには青白い光を宿した湖があった。天井の裂け目から差し込む淡い光が水面に反射し、空間全体を幻想的に照らしている。
「ここは、“再生の湖”。この地を守る者だけが辿り着ける場所だ」
甘虎の声は静かだが、湖を前にしたその背中はどこか重みを帯びていた。
「柚木。君はこれまでに二つの鍵を手にし、そして今、“再生”をも乗り越えた。__この先も試練は続く。四方幹部たちとの戦いも、まだ待っている」
淡々とした言葉に、柚木はごくりと唾を飲む。背筋が緊張で張り詰めた。
だが甘虎はふと笑みを浮かべた。
「でも、君は選ばれたのだろうね。運命に」
その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
柚木はふと気になって口を開く。
「……その、頬の傷……」
初めて会った時から彼の右頬には黒く焼け焦げたような傷跡が残っていた。だが今こうして光に照らされると、わずかに淡くなっているようにも見える。
甘虎は指でその傷をなぞりながら、小さく答えた。
「これはね、どれだけ“再生”を繰り返しても癒えなかった。」
「……治せなかったの?」
「いや。治そうと思えば、治せたのかもしれない」
遠い記憶を振り返るように目を細める。
「でも、今はもう、このままでいい。これは、過去の痛みの証だから。……自分自身を受け入れることにしたんだ」
その言葉は重くも、どこか解き放たれたような響きを持っていた。
柚木は胸が熱くなるのを感じた。
自分もまた、過去を閉ざすことでしか生きられなかった。けれど、彼はその痛みを抱えたまま前に進むことを選んでいる。
それは強さであり、優しさでもあった。
「……甘虎は強いんだね。」
思わず口にした言葉に、甘虎は小さく首を振る。
「強さなんてものは、必要に迫られて身に付くものだ。僕はただ……弱い自分を隠すために、強くあろうとしただけだよ」
「…そう、なんだ…」
「…あ、強いのは、四方幹部だから。って言えば良かったか。」
冗談まじりにはにかんだ甘虎は再び湖の方へと視線を向ける。
静かな水面には、彼自身の姿と、柚木の姿が並んで映っていた。
やがて甘虎は低い声で告げる。
「……柚木。覚えておいて。クロユリには影の協力者がいる」
「影の……協力者?」
「あぁ。りん以外は、その姿を見たことがない。ただ、確かに存在している。……おそらく、りんにとって唯一無二の存在だろう」
柚木は思わず息を詰めた。
「…りん?………そのりんって人は何者なの?」
「クロユリの長、篠宮りん。そして、クロユリという組織を創り上げた創設者であり僕たちを集めた人。」
全ての地方を抑えているクロユリと、その裏でさらに“影”が動いている……?
「怖がらなくていい」
甘虎は振り返り、真っ直ぐに柚木を見つめる。
「君が試練を乗り越えた時点で、もう逃げ道はない。けれど、君には仲間がいる。セラテルも……だから恐れる必要はない」
その声には、深い信頼がこもっていた。
柚木は拳を握りしめ、しっかりとうなずいた。
「……うん。俺は進むよ。」
その決意を確かめるように、湖面がひときわ強く光を放つ。
“再生の地”は、新たな歩みを誓う二人を祝福するかのように、静かに揺れていた。




