最終幕 風に託した願い
仮想空間が崩壊し、再び学園の屋上に風が吹き抜ける。
高く広がる空。あの不穏な風の香りはなく、濁りのない透き通った風が吹き抜けている。その下で、夜斗が静かに言った。
「…まさか君のような者に…」
「…夜斗…。」
夜斗の背後では、天綺と明が控えていた。
「ごめん。二人には酷いことをした。」
二人の目を見て謝罪する夜斗に二人は微笑む。
「夜斗が戻って良かった。俺たちは今の夜斗が好きだから戻ってくれて本当によかった。」
「ったく、世話の焼ける四方幹部だ。あの優しい詠蓮みたいになって欲しいんだけど。」
そういう明の表情は凄く柔らかかった。夜斗は柚木の方を振り返りはにかんだ。
「…君の旅路が、僕のような間違いを繰り返さないよう祈っている。」
柚木は黙って頷いた。
「…柚木。お前は一体何者なんだ?」
「俺はただ、正しただけだよ。」
「…ふっ、面白いな。」
天綺はまっすぐまっすぐ前を見据えながら、静かに言う。
「柚木、君がいなかったら、俺はずっと…生きてるだけだった。あの時言っていた”居場所がある”って言葉。きっと夜斗に向かって言ったことだろうけど、おれ、改めて思った。”生きてるだけ”でもいいんだって。__だって、おれには、”居ていい場所”があるから。」
明の言葉に、天綺はほんの一瞬だけ目を伏せる。その視線の行方は、誰にも分からなかった。
夜斗が静かに口を開く。
「…詠蓮から話は聞いている。この鍵を渡すべき者が現れたと。もう答えはわかっている。君のことだって。」
夜斗から鍵が渡される。
透明の水晶のようなそれは、ほんのわずかに海の青を宿していた。
「…それと。」
夜斗は一つの小さなノートを柚木に手渡した。
中にはびっしりと手書きの言葉が繰り返されている。
「わたし……笑っていい……の?」
それは、夜斗の妹が最期に遺した言葉だった。
夜斗は何度も、何度も、その一言を自分に言い聞かせるように書き写していた。
「笑っていいんだ。笑うことを許されない人なんて居ない。夜斗、君だってそうだ。」
「……柚木。僕は、僕たちはもう囚われない。この広大な海のように。」
遠くの水平線を眺めながら呟いた。その表情は幼い夜斗が少女を見ていた、あの優しい目をしていた。
「次に地方に行く前に見せたいものがある。」
夜斗に言われ、ついて行く柚木。
夜斗が誰にも見せようとしなかった書庫の奥。
一見ただの本棚かと思っていたが夜斗が一冊の本を手に取り、あるページをめくって本棚にかざす。その瞬間ゆっくりと本棚が動き始め、ある一室が現れた。
隠し扉のようになっていたその場所は、埃一つかぶっていなかった。
「俺たちの初めて来たな。まさかここが開くなんて。」
「天綺たちも初めてきたの?」
「うん、普通に本棚だと思ってた。」
先を進む夜斗を見ると他の本とは違った一冊の日記を手に取る。普段よりも丁重に扱う夜斗の姿に、緊張が走る。
そして柚木は、ある記憶の断片を渡される。
「これは、最も古い記録。東地方の、というよりももっと前の。”イノ”が遺した記録だ。僕たちクロユリ結成のきっかけになった人。」
天綺と明は肩を撫で下ろした。
「ここにあったんだ。イノの記録。夜斗が持っているだろうとは思ってたけどここにいたんだ……」
柚木はゆっくりとページをめくっていく。あるページで手が止まった。
【違うままで、いいんだよ】
そのページだけ文字が少し滲んでいた。きっと孤独だった心に唯一寄り添ってくれた言葉だったのだろう。そして、ゆっくりと明が口を開く。
「イノがいなきゃ、おれたちは絶えていた。イノが”居場所”をくれた。」
優しい光がカーテンの隙間から差し込む。小さな窓には優しい風がその一室の重い空気を運んでいった。
「僕、クロユリの四方幹部、天綺や明たち、副官はそれぞれ自分たちの役目を担っている。クロユリはある目的を果たすためそれぞれの地方を総括している。警戒されるのも敵対されるのも無理はない。__柚木、君は北地方と東地方の鍵を手に入れた。この結果が全てを物語っている。」
優しい光がカーテンの隙間から差し込む。小さな窓には優しい風がその一室の重い空気を運んでいった。
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門に向かう途中、誰かが柚木たちを呼び止める。
「___柚木!」
振り返ると、朔が息を切らしながら走って来た。
「良かった。最後に会えて。これだけは言いたくて。」
朔は柚木の隣にいる夜斗たちに一瞬怯んだ表情を見せたが、柚木をまっすぐ見つめる。
「……柚木。僕は君に勇気をもらった。だから僕はもう落ちこぼれなんて言われないように変わるよ。劣等生じゃなくて優等生になれるように。____そして、君がいた世界に戻れるよう僕はここから応援してる」
そして背中を優しく叩く。その光景に夜斗は胸を撫で下ろした。
「秩序に囲われていながらもいい友達がいたみたいで良かった。」
そして授業開始の鐘がなり、朔は校舎へと戻っていった。
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柚木たちは東の空と海に別れを告げる。
「気をつけてね。」
天綺が背中を押す。
学園の地下には、まだ語られぬ”古代の装置”と、封印された記憶が眠っている。
それが未来にどう作用するのかは、誰にもわからない。
ただ、夜斗は確かに__かつて、”ある人物”と交わした約束を今も守ろうとしていた。
「どんなに世界が変わっても、君だけは”違うまま”でいてくれ。」
海風に靡く3人のマントがふわりと踊る。
そして海面のようにゆらめく蒼い光が、足元から広がっていく。耳の奥で波の残響が響き、全身が水に沈むような感覚が押し寄せる。目を開けたとき、そこは石造りの神殿だった。




