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褌姻猫写  作者: 地辻夜行
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「常闇?」

 背後から水鈴殿の戸惑いの声があがる。

 我はそれには構わず、お頭に向けて毛を逆立て、牙を剥き出しにした。

「シャー!」

 威嚇してみせるとお頭が眉間に皺を寄せ、こちらに向かって駆け出し、我の数歩手前で跳びあがる。

 我らを軽々と飛び越え、上部が削られ整えられた大岩の上に下りたった。

「ふん。既に忍びの役割から外れた老猫が、儂に牙を剥くとは生意気な。しかもなんだ、その色気の無い白い褌は。馬鹿にしおって」

 唾を吐き捨て、忌々しそうに視線を投げて寄越す。

 なんと言われようと、育ての親を見捨てるつもりはない。

 我は再び水鈴殿とお頭の間に入り込む。

「常闇!」

 彼女が再び名前を呼ぶが、振り返らずにお頭を睨み続ける。

 融通の利かない脳筋だが、これでも彼岸衆を束ねる男だ。

 隙を見せれば、なにをしてくるかわからない。

 顎をさすりながら何かを考えているようだった彼が、ニヤリと笑う。

「良かろう。大岩もここまで小さくなった。お主でもやりようによっては動かせるかもしれぬ。その褌に小細工を仕込んでおるかは知らぬが、やってみせよ。お主が動かしてみせれば、水鈴をお前の嫁にやろう」

 我は猫。人の言葉は理解できるに至ったが、当然人との間に子は作れぬ。そもそもすでに孫までいるからな。

 まあ我が大岩をどうにかすれば、水鈴殿を自由にするという約束とはとれる。

 我との約束を守るかは微妙ではあるが、この言葉に乗るしかあるまい。

 我の思考を知ってか知らずか、お頭は「ただし」と言葉を続ける。

「此度、お主を邪魔するのは水鈴ではないぞ。この儂じゃ。儂の妨害を乗り越え、この大岩見事動かして見せよ!」

 着物を脱ぎ捨て、赤褌一丁の姿になった。

 我は逆立てていた毛を押さえ、伏せるように身を低くする。

 ここまで来て威嚇は無駄であろう。

 素早く動けるように準備をする方が効率的だ。

 ただでさえ、股間に邪魔な物を着けているからな。

「見せてやろう。我が忍術の神髄を!」

 身構えたお頭がこめかみに青筋をたてて力む。

 すると褌の赤色が、死んだ振りをした時のように、もぞもぞと動き始めた。

 彼の肌を這いずり回り、全身に赤色が拡がっていく様は、はっきり言って気持ちが悪い。

 褌から全ての赤が抜け、お頭の顔と身体に炎のような模様を描く。

「フハハハハ、これぞ忍法血化粧!」

 叫ぶなり、お頭は手前に跳ぶ。落下しざまに足下に転がる、(しのぎ)が削り落とした岩に拳を叩きつけた。

 激しい音と共に岩が砕け散る。

「見よ、この力を! 血化粧をこの身体に施せば正に千人力!」

 いかような仕組みかはわからんが、確かに我の知るお頭より動きも速かったし、力も増しているようだ。

 ただ模様が描かれた以外、身体に変化はない。

 力を増したのではなく、普段押さえられている力を、全て出し切っているといったところであろうか?

 どちらにしろ正面から相手にするのは得策ではないな。

 我は川に向かって走る。

「この期に及んで臆したか!」

 川から顔を出している石を渡り跳びながら、対岸へ向かう。

 川の中程の石の上でピタリと止まり、後方に身体の向きを変えた。

「フハハハハ、儂から逃れられると思うな。所詮、お前は役目を終えた老兵。ここであの世に旅立たせてやるわ!」

「父上! なんてことを! 常闇は功労者ではございませんか!」

 物騒なことを口にし、狂気を窺わせる笑みで追いかけてくるお頭に、我を可愛がってくれている水鈴殿から叱責の声が飛ぶ。

 もっとも彼の耳には届いておらぬようだ。

 我は模様の施された顔を見ながら、前垂れの先端を川に浸し、しっかりと石に引っかけると後方の離れた石へと、前をむいたまま飛び退く。白い前垂れがするすると伸びる。

「逃がすか馬鹿猫め!」

 お頭が一足跳びに我が先程までいた石へ飛び移り、我の前垂れを踏みつけた。

 既に後方の石へと飛び終えていた我は、前垂れにしっかりと牙をたてて咥えると、全力で後方へと跳ぶ。

「ぬお!」

 前垂れを踏みつけていたお頭が、つるりと動いた前垂れに足を滑らせ、派手な水飛沫を上げて川へと落ちた。

 我はすぐさま川向こうの住人となった大岩へ向かって高く跳ぶ。

 咥えていた前垂れを手前に引き、水に濡れた先端が近くに迫ると、鋭く磨き上げた爪で切り飛ばす。

 川から顔を出したお頭のあたまの上に着地すると、再び大岩に向けて高く跳ぶ。

 後ろ足の爪を前褌に引っかけて引いてやると、我の褌が綺麗に外れ、何事かと顔を上げたお頭に、はらりと落ちる。

 我は宙で首を強く振り、前垂れを削れて小さくなった大岩の正面下に向かって投げつける。

 前垂れはするりと大岩の下に滑り込み、反対側より顔を出す。

 川を渡りきり素早く大岩の裏側に回り込むと、先端の切れた前垂れを咥える。

 我の意図を悟った水鈴殿も駆けつけ、前垂れをしっかりと掴んだ。

 助かる。いくら仕込みがあるとはいえ、我の力だけでは少々荷が重い。

 頷きあった我らは同時に天高く飛び上がる。

 前垂れが上に引っ張られ、褌に乗る形になっていた大岩がするりと滑るように前方へと動き出す。

 そのまま、ようやく褌を顔から払ったお頭に突撃した。

「ぬお!」

 勢いよく滑ってきた大岩を抱くことになった彼が、間抜けな声をあげて再び川に沈む。

 見たか! これぞ忍法蝋褌(ろうふんどし)

 我が勝利を確信するやいなや、川に落ちた大岩がなんと川から持ち上がる。

「この程度で儂の忍法血化粧が破れると思うな!」

 赤く盛り上がった筋肉を躍動させ、お頭が大岩を抱えたまま立ち上がった。甲賀や伊賀のような名の知れた忍び衆ではないとはいえ、流石は忍びの里をまとめあげている男。一筋縄ではいかぬ。

 さてこの化物をどうしてやろうかと、あたまを悩ませる。

 ふとお頭の後頭部を黒い影が通り過ぎた。

 縦にされた鎬の褌の前垂れである。

 お頭を狙ったのか?

 いやない。

 彼奴(あやつ)の褌は岩をも穿(うが)つ。

 いかに筋肉達磨(きんにくだるま)のお頭といえども、まともに食らえば間違いなく真っ二つ。

 鎬は真面目な職人だ。

 自分の上役とも言える里長を殺めるような真似はすまい。

 右手の紐を真横に引いていた彼がそのまま右手を前に押し出した。

 お頭を通り過ぎた黒い前垂れの先端が、我から見て右に大きく曲がり、その勢いで前垂れ全体が右に引っ張られる。

「ぶほっ!」

 黒き前垂れが鈍い音を立てて、お頭の後頭部を打った。

 大岩がお頭の手前に落ち大きな水飛沫を上げ、彼は仰向けに倒れ、どんぶらこと下流へ流れていく。

 どうやら気を失ったようだ。全身に施された赤色による装飾も所々消えている。

 何を材料にしたかは知らんがアレもまた水にはあまり強くないらしい。

 まあ、お頭は放って置いても死にはすまい。無駄に丈夫だからな。

 役目を果たした黒褌が鎬の元に戻っていく。

 しかし鎬の奴め。なぜ嘘をついた? 

 曲げられるではないか。

 あれならば水鈴殿に正面へ立たれても問題無く大岩を削れ、ただの岩にできたのではないのか?

 我が考えを巡らせていると、水鈴殿が我をひょいと抱えあげ、川の途中にできた大岩の島を中継点にして対岸に渡った。

 ゆったりとした足取りで、着物を着直している鎬に歩み寄る。

「相変わらず良い仕事をされますね」

 我を片腕で抱きかかえつつ、懐から苦無を取り出し見つめ、言葉だけをその広い背中に投げる。

 しっかりと帯を締め直した鎬が振り返った。

 なにも言わぬ。水鈴殿に視線も合わせぬ。

 ただ真っ直ぐに前だけを見つめ一度頷く。

「なぜ嘘を?」

 苦無から視線を上げずに彼女が問う。

 彼は答えず困ったように眉をひそめるだけ。

 水鈴殿がくすりと笑い、顔を鎬に向ける。

「今度、作業場にお邪魔しても?」

 そう問いかけ苦無をしまうと、優しい手つきで我を撫でながら彼の返事を待つ。

 鎬もようやく視線を水鈴殿に落とす。

「ああ」

 彼の短い返答に彼女は顔を我に向ける。その頬がほんのり赤く染まっていた。

 ……なんだ馬鹿らしい!

 このような婿選びをせずとも、すでに結果はでていたではないか。

 時を無駄にした。

 視線の端にすごすごと里に引き返していく、芳烈と火箭の姿が映る。

 我は見なかったことにしてやろうと大欠伸をし、目を閉じると、水鈴殿が撫でるに身を任せた。

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