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褌姻猫写  作者: 地辻夜行
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 おかしな光景だった。

 我らが彼岸衆(ひがんしゅう)を率いるお頭が突然倒れたかと思えば、身につけていた赤褌から見る間に色が抜けていき、お頭の身体を赤く染め上げていくではないか。

 元より矢面(やおもて)に立つ忍びたちは、里で作られた忍び道具を駆使し、珍妙な技を用いる者が多いが、皆を束ねるお頭もその例にもれぬとみえる。

 小物を盗み出したり囮になるのが主な仕事である我ら忍猫(にんびょう)では、忍び衆の技を見ることが滅多にないので中々に興味深い。

 血まみれで倒れているようにしか見えなかったお頭が、やがて、がばと起き上がる。

 彼は四人の若者と我に向けて、大声で笑ってみせる。

「見たか、これぞ我が忍法のひとつよ!」

 自慢げに語るが、やって見せたのは赤い染料を使った、ただの死んだふり。

 だがそこに至る過程には驚く他ない。

 褌を赤く染め上げていた染料が、生き物の如く褌から抜け出たかと思えば、お頭の身体を赤く染め上げたのだからな。

 しかも、いまは逆にお頭の身体から褌へと戻り、再び白褌を赤く染めていく。

 絡繰りはわからぬが、彼岸衆自慢の忍び道具とお頭のたゆまぬ鍛錬あっての技ではあるのだろう。

 だが、かさねて言うが、やって見せたのはただの死んだ振りだ。

 技術の無駄づかいにしか見えん。

「男たる者、身に最後に残されるのは褌よ。刀も鉄砲も奪われたとて残された褌でなんとかしてこその彼岸衆である」

 ごつごつした岩が並ぶ川岸で、滔滔(とうとう)と語られる言葉を、草むらに腰を下ろした三人の青年が真面目な顔で聞き入っていた。

 少しばかり阿呆なのではないかと思える男どものやりとりを、我が主たる水鈴(みすず)殿は、黒一色の我が毛並みを撫でまわしつつ、冷ややかに眺めている。我を撫でる時はいつも目尻が下がるのだが、いまは目の前の光景が気に食わないらしく、目を吊り上げ唇を尖らせていた。

 お頭たちが何をしているのかと言えば、水鈴殿の婿選び説明会だ。

 水鈴殿は目上の者に従順な彼岸衆の女子(おなご)にしては珍しく、自由な意思を尊ぶ性格であるからな。

 自分の意思に反して、婿を決めようというお頭の態度がお気にめさないのだろう。

 実際に抵抗もしているのだ。

 お頭の前に座り、お頭の男とはこうあるべきという持論を聞かされている婿候補たちは、いずれも忍び道具を作る職人の家に名を連ねる者たちである。

 お頭は当初、忍びの任に就く者たちのなかから婿を選ぼうとした。だが水鈴殿が自分より弱い忍びの嫁にはならないと言い切り、見事に全員を叩き伏せてしまう。

 困ったお頭が、次に候補に挙げたのが忍び道具を作る職人たち。

 彼らも立派な彼岸衆。

 忍び働きをするものだけにこだわる必要はないと、職人のなかより特に有望な三人を選び、水鈴殿の婿に迎えようとの話になった。さすがの水鈴殿も、職人相手に自分を倒せとは言えない。

「お主達は職人といえど里を担う男たちじゃ。里が急襲されたとあれば里と自身の身を守らねばならん。職人ならばその職の技術をもって男を示せ。さすれば長の座も水鈴もお主らのものよ」

 ふんぞり返るお頭が川岸の三百貫(約1トン)はありそうな巨大な岩を指さす。

「あの大岩をあの場から消してみせよ。お主らの技術を忍法まで昇華してな。ただし!」

 声を一際大きくし自身の生々しい赤褌を撫でる。

「お主らの技術、褌に込めよ。忍びの者なら最後に頼れるのは(おの)が肉体と言ってやるところだが、お主らは職人。ならば男の最後の鎧たる褌をもちい、あの大岩、消してみせい」

 なおも若者たちに熱弁を振るうお頭を尻目に、水鈴殿はひとつため息を吐く。

 そのまま我を抱きかかえ、川原を離れると森のなかへ入る。

 我は浮かない顔の彼女を慰めようと、尾を伸ばし彼女の顎をくすぐった。

 水鈴殿が力なく笑みをこぼし、我の頭を撫でる。

「前線を退いたお前に言うのは筋違いかもしれぬけれど、自分の相手くらい自分で選びたいものよな。どこぞの国の姫君でもあるまいに」

 そう呟き、我を地面に下ろしたかと思うと腕を強く振るう。

 遅れて響く木に何かが刺さる音。

 三丈(約九メートル)ほど離れた木の幹に苦無が突きたっていた。

 そこだけ皮が剥がれ、いくつもの苦無が刺さった跡がある。

 ここは水鈴殿の鍛錬場所。一人になりたいときはいつもここだ。

 我が訪れることは許されているので、これまで何度も汗を流す水鈴殿を見かけている。

 男の忍び衆を入れても苦無の腕だけならば、水鈴殿が彼岸衆で一番であろう。

 そうであるが故に誇りがあり、好き勝手に伴侶を決められるのが気に喰わぬのだ。

 先程のことを忘れようとするかのように、修練に集中し始めた水鈴殿を残し、我は里へと戻る。

 ああなると暗くなるまでは止めぬでな。寝て待つには、あそこはちと寒い。

 戻る道すがら鼻歌を口ずさみながら山に分け入っていく若者とすれ違う。

 今回の婿候補の一人、芳烈(ほうれつ)である。細身の色男だ。

 忍び衆が持ち歩く丸薬を扱う一族の男であるから、材料探しにでも行くのであろう。

 褌作りは初めてと思われるが、いかなる物を作る気か?

 水鈴殿には申し訳ないが、少しばかり楽しみではある。

 我が里に入り子猫どもの挨拶を受けていると、静かだった里に爆発音が響き渡った。

 野良作業をする里の者は誰一人として驚く様子は見せない。

 目の前の子猫どもが引っくり返る。

 この里では度々見かける光景だ。

 この音は婿候補の一人火箭(かせん)の仕業である。

 忍び衆が発破作業に使う火薬を取り扱っている男。

 芸術などとぬかし、よく爆発している。

 あの者が長にならぬことを祈らずにはおれん。

 彼奴(あやつ)が長になりでもしたら、我の孫子が火薬を背負わされ敵城に忍び込まされかねんからな。

 生き死には忍猫の(さが)ではあるが、捨て駒にされたくはない。

 我は嫌な予感に寒気を覚えつつ、婿候補の最後の一人の家に潜り込む。

 苦無などを作る鍛冶職人、(しのぎ)の家である。

 鉄を扱うため、ほとんど火を絶やさぬので年中暖かい。

 故に我の一族のたまり場だ。

 今も我同様現役を引退した子供たちが数匹一箇所に固まって寝ている。

 我もそこに混ざり、鎬が一心不乱に鉄を打つ音を聞きながら目を閉じた。

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