聖女の祈りが途絶えたらこの国は大変なことになりますが私が祈ることを止めても本当によろしいのですね?
「卑しきマヌーサ、お前が聖女を騙ってこの国を滅ぼそうとしたのは本当のことか?」
物々しい空気の中、玉座に腰を落ち着けたままこの国の王、アルドレーヌが私に問いかける。
王位継承に際し、五人ほどいた王子たちを一人残らず亡きものにした非情な王は、その鋭く冷徹なまなざしをこちらに向けていた。
以前ならばそんな瞳の中にも一欠片の優しさが感じられたものだが、今日の彼にはそれがない。
これまで殺害した王子たちを見る時のような目で私を――聖女を見ている。
私が聖女として彼に召し抱えられたのは今から十年ほど前のこと。
ただの町娘であった私に突如として聖女の力が芽生え、数々の奇跡を起こす祈りの御業をこの国の繁栄のために役立ててほしいと噂を聞きつけたアルドレーヌ自らに直談判されたのだ。
その時はまだ第二王子だったものの、王太子が病弱であることと聖女を連れてきた功績によって彼が次代の王に選ばれた。
以来私は彼の側で奇跡を願う祈りを捧げながら国の防衛を担ってきたが、もちろん一度として国を滅ぼそうとしたことはない。
なのになぜ私が聖女を騙り国家転覆を目論んだと思われ始めたのか、その答えはアルドレーヌの隣にある。
微笑みをたたえて聖女の私をさしおき王の横に控えている女性は、ルイナという。
本人曰く、彼女こそが真の聖女であり私は偽物なのだそうだ。
これまでの奇跡もすべては自分が起こしたものであり、それを私が自らの手柄として誇っていたのだと彼女は証言した。
決してありえないのに。
私は確かに聖女というお役目に誇りを覚えてはいたが、だからといってそれをみだりにひけらかしたことはないし、その立場を利用して居丈高に振る舞ったりわがままを通したこともない。
まして聖女の力は原則として交代制で、前代の聖女が没した際に再び誰かへと移譲されるもの。
つまり、同じ代に二人の聖女が存在するはずもなく、私に奇跡の御業が扱える以上虚偽を働いているのは向こうの方であり、つまらない嘘をつく理由を考えた場合思いつくのは、ルイナが王妃の座を狙う過程で私の存在が邪魔になったからではないかと推測する。
恐らくアルドレーヌも彼女に熱を上げていたのだろう、だからこそあれよあれよという間に私が悪者にされ、果ては国を揺るがす犯罪人扱いだ。
しかし、それでもアルドレーヌにもいささかの情はあったのか、こうして一応申し開きの機会を私に設けてくれたのかもしれない。
あるいは――。
「王よ、その者が我らの国と民草を脅かしたのは自明の理でありまする。よって罪人の言葉に耳を貸さずとも、すぐにその細い首を刎ねてしまえばよろしいかと」
日頃から町娘風情が生意気だと詰って私を目の敵にしていた宰相がここぞとばかりに進言する。
それに同調した臣下たちも偽物の聖女を殺せと口々に罵ってくる。
あれだけ聖女様と持て囃してきた彼らが一斉に手のひらを返す様は滑稽で、だけど同時に寂しくもあった。
まさに四面楚歌。
最後の味方になり得るのはもはやアルドレーヌただ一人。
けれどもあまり期待はしていない。
なぜなら天への祈りは届くのに人の心には聖女の祈りは通じないのだから。
「わたくしからもお願い申し上げますわアル……アルドレーヌ様。聖女の肩書は神聖にして不可侵のもの、それを悪用する者はたとえ誰であっても許されることではございません。であれば、その罪業は命を以て贖うより他ありませんわ」
「……そうか、真の聖女であるお前がそういうのなら致し方あるまい。並びに宰相と臣下の総意も汲むとしよう。偽りの聖女マヌーサよ、お前の罪はこの場に於いてもはや疑う余地もない。よって明日、大広場にて処刑とする」
案の定アルドレーヌは私ではなくルイナの方を選んだ。
最初から分かってはいたことなのに、この期に及んで彼に対する失望を禁じ得ない自分がいた。
もしかしたら最後には私のことを選んでくれるかもしれない、そんな淡い期待を愚かにも抱いてしまったのだ。
本当に馬鹿だな、私は。
アルと親しげに愛称で呼ぶルイナと彼にひそかに恋慕するだけの自分とでは、そもそもの扱いが違ったというのに。
おかげで、現実を受け入れる覚悟がようやっとできた。
だからこそ私は言ってしまえばもう取り返しのつかない、まるで呪詛にも似た言葉を口にする。
「先程の陛下からの問いにお答え申し上げます。私は今日に至るまで自らを聖女と騙り、この国を滅ぼそうとしたという事実はございません。……ですが、今しがた私は救国の聖女ではなく亡国の悪女になることを決意致しました」
「! やはり、やはり! 王よ、しかとお聞きになりましたか? この者はとうとう己を大罪人と認めたのですぞ!」
さっそく食いついてくる宰相に、少し苦笑いをしてしまいそうになる。
誰も見ていなければ、そのまま快哉を叫び出しかねない勢いだ。
けれども代わりに私はアルドレーヌの、愛しい男性の姿を見た。
私の返答を聞いた彼は憂いを秘めた複雑そうな顔をしており、隣でご満悦げに頷いているルイナとは対照的だ。
どうしてあんな顔をしているのだろう。
このまま行けば邪魔者を追放し、めでたく彼女を王妃に迎えられるというのに。
「――ではこの時よりマヌーサ、お前から聖女の称号を完全に剥奪し、以後ただの町娘として取り扱う。だがその前にお前に最後の役目を与える」
「王! そのような大罪人に一体どのようなことを申し付けるおつもりですか⁉ 罪人は甘んじて刑を受け入れることこそが唯一の役目のはず!」
「黙れ」
ぴしゃりと強く言い放ったアルドレーヌの言葉に宰相は怯む。あまりの剣幕に、他の誰もが息を呑んだ。
その中で私だけが重たい口を開く。
「……私に最後のお役目ですか?」
「ああそうだ、これはお前にしかできぬこと」
これは今までになかった展開だ。
なにせこのあとは決まって有無を言わさず投獄され、そしてあの瞬間を迎えたのだから。
だけどたとえどんな内容であれ、こんな罪深い自分に与えられる役目なら元聖女の誇りにかけてやり遂げてみせる。
「お前がこの国にかけた祈りを解き、それで見事聖女としての責のすべてを終わらせるのだ」
そう、たとえどんな内容であれ――。
「……本当によろしいのですか、私が祈ることを止めても」
「ああ、もう充分だ」
再確認するも短く返答。
この国の王が『もう充分』と言うのなら、それに従わなければならない。
きっとこの場において彼だけがそのことに気がついてしまったのだから。
だからこそ私は、今の間までずっと続けていた祈りを止めた。
すると次の瞬間、私を取り巻く空間そのものがサラサラと崩れていき――。
「い……しき、マ……サ、こ……で……えは……う……じゆ……だ」
私の目の前で。
大切なアルドレーヌも。
砂粒となって風に消えた。
その瞬間、彼の真意は永遠に分からなくなってしまった。
あの日、まるで迫り来る災いから守るかのように私を堅牢な王城の地下に幽閉した意味も。
初めて聖女の称号が剥奪された際にも罪人ではなく、あくまで町娘として扱ってくれた理由も。
あるいは分からない方がいいのかもしれない。
でないと彼への想いを断ち切るのに、苦労するだろうから。
だって聞き間違いでなければ彼は確かに――、
『愛しきマヌーサ、これでお前はもう自由だ』
そう、言っていたのだから。
「……さようなら、アルドレーヌ」
渇いた砂の上にポタリと大きく黒点が広がる。
抑えようとしても次から次へと両の瞳からその黒点の元が垂れていく。
仕方ないので私は砂だらけになった大地の上を歩き始める。
行く宛はどこにもない。
とりあえず、自由になった我が身にでも任せてみようか。
◆
――かつて、東の地に栄えたある王国があったという。
悪しき魔女の手によって滅びを迎えたものの、ただ一人生き残った聖女による祈りの奇跡で滅亡までの数日間を繰り返すことにより、かろうじて存在していたその国の名前はエーリュシオン。
またの名を死者の国といった。
彼女の名前の元ネタはド○クエの某呪文です。
原作の呪文効果と本作の内容がピッタリだったので。
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