07 お忍びデート
「ダイアナ! あなたとグレンは、コミュニケーションが圧倒的に足りないわ!」
ダイアナの部屋に入るなり突然こんなことを言い出したのは、姉のイヴリンである。
気が強くて自由気ままなイヴリンは、対人関係に積極的だ。そんな彼女は、もうすっかりグレンとも打ち解け合っていた。
ダイアナにとっては少々騒がしい姉だが、一歩外に出れば完璧な淑女になる。容姿も所作も美しく、見る者を惹きつけてやまない。そんな彼女は、あと半年もすれば大国の王太子の元に嫁ぐことになっていた。
「そうかしら?」
「そうよ! グレンをここへ連れてきたあなたが一番よそよそしいってどういうこと? お兄様やお義姉様の方が仲良しに見えるわよ」
お兄様というのは王太子ジーンであり、お義姉様というのは、王太子妃エレインのことである。
幼い弟妹が一番懐いているが、ダイアナより上の面々もグレンと仲がいい。
ジーンやエレインは、豊富な知識を持っているグレンの話が興味深いらしく、執務中にもちょくちょく呼び出しているようだ。
「お二人とも、グレン様の話はいろいろと参考になるとおっしゃっていたから」
「それはそうなんだけど! ……そういう意味では、ハリーもグレンに懐いているわね」
「ハリーは勉強が大好きですもの」
学業優秀な第二王子のハリーは、他の皆より目立ちはしないが、さりげなくグレンにくっついている。
「皆に比べて、あなたは彼と過ごす時間が少ない。これは由々しきことよ」
「どうして?」
何か不都合があるだろうか。
グレンがティアルで心安らかに過ごすこと、ダイアナが願うのはこの一点のみだ。それが叶っているなら、何も言うことはない。
本音を言うと、ダイアナだってグレンとの時間がもっとほしい。しかし、自分の時間を大切に、のんびりしてほしいという気持ちもあって、つい引いてしまう。
イヴリンはやれやれというように溜息をつき、次の瞬間、ビシッとダイアナを指差した。
「お姉様、人を指差すなど……」
「そんなことは百も承知! ダイアナ! これからグレンと一緒に王都に行きなさい!」
「えぇっ!?」
イヴリンがそう言った瞬間、控えていたエリンがすぐさま出かける準備を始め、イヴリンの侍女は部屋を出て行った。
グレンに話をしに行くのだろう。命じられる前に動く、できた侍女たちである。
「ちょっと待って! いきなりそんなことを言われても……。それに、グレン様もお困りになるわ」
「そんなことないわ。グレンは喜んで行ってくれるわよ!」
何故か自信満々でそう答えるイヴリンに、ダイアナは小さく吐息する。
グレンの立場からすると、そうせざるを得ないのだ。
おそらく、マネルーシでもそんな風にアレクサンドラに振り回されていたと思われる。だから、ティアルでは自由に過ごしてもらいたいのだが……。
そんな風に思いを馳せている間にも、エリンはダイアナを着替えさせ、髪を結い、化粧を施す。
「あぁ! 町娘を目指しても、ダイアナ様の溢れ出る高貴さ、美しさは隠しようがありませんわ!」
「あら、可愛らしい」
エリン曰く「町娘」なダイアナを眺め、イヴリンが満足げに頷いた。
王都で流行っている可愛らしいワンピースに、髪はちょうど耳のあたりでお団子にされ、オリーブグリーンのリボンが結ばれている。頬にかかる後れ毛には緩くウェーブがかかっていた。
町娘というよりは、裕福な商家の令嬢といった雰囲気だ。
「デートにぴったりな装いね。さすがエリンだわ」
「恐れ入ります」
「デッ、デート!?」
ダイアナは、そのまま固まってしまった。
*
「ダイアナ様、こちらの髪飾りなんてどうですか?」
「まぁ、とても綺麗!」
グレンが手にしていたのは、アクアマリンが埋め込まれた髪飾り。花の意匠が施されており、美しくも可愛らしいものだ。
今日はお団子に結っているのでつけられないが、普段なら大活躍すること間違いなしである。
デートと言われ、最初はガチガチになっていたダイアナだが、グレンの穏やかな笑みを見ているうちに緊張も解れ、いまやすっかり楽しんでいる。
ダイアナは心配したが、イヴリンの言うとおり、グレンは即座に二つ返事で付き合ってくれた。
王女と侯爵令息という顔は一旦置いておき、裕福な平民として王都の町を散策する二人。少し離れたところから、護衛のジョナスと侍女のエリンが二人を見守っていた。
「なんだかんだと、ダイアナ様も楽しんでいらっしゃいますね。よかった……」
「あのような笑顔を見るのは久しぶりのような気がする。グレン様は、人心掌握の達人だな」
互いに笑顔で楽しそうに歩く姿は、意図せずとも仲の良いカップルに見える。周りの人間も、羨ましげな視線を向けている。
アクセサリーショップで髪飾りを買ってもらったダイアナは、丁寧に包装された小箱を胸に、グレンを見上げた。
「ありがとうございます、グレン様」
「それほど喜んでいただけるとは嬉しい限りです。他にも、もっとプレゼントしたくなってしまいますね」
「そんな……! えっと、わ、私もグレン様に何か贈り物をしたい……です」
柔らかな笑顔で顔を近づけられる度、ダイアナの心臓は大きく跳ねる。頬が熱くなり、グレンから目を逸らしたくなる。それでも、見つめずにはいられない。
こんな気持ちは初めてだった。
こんな風に殿方と一緒に町を歩くなんてなかったから……。それに、一緒に選んだアクセサリーをプレゼントしてもらうなんてことも初めてだし。だから、舞い上がっているだけ。それだけよ。
そう言い聞かせながらも、彼から視線を逸らせない。ずっと見ていたいなどと思ってしまう。
心の一番柔い部分がほんのりと温かい。そのくせ、心臓はバクバクとうるさいほど高鳴っている。
「ダイアナ様、疲れていませんか? 一度あの店で休憩しましょう」
グレンが指差した店は、王都で大人気のカフェである。
流行に敏感なイヴリンなどは、オープンしてすぐに足を運んだというが、ダイアナはまだ行ったことがなかった。
「はい! 私、お姉様から話を聞いて、一度行ってみたかったのです!」
思わず瞳をキラキラさせるダイアナに、グレンはゆっくりと頷き、手を取った。
「それはよかった。では、参りましょう」
「でも、入れるかしら? とても人気で、行列ができると聞いているわ」
心配するダイアナに、グレンは珍しくニッと口角を上げ、軽くウインクしてみせる。
ドキリ。
悪戯を仕掛けた子どものようなその笑みに、ダイアナの心臓が大きな音を立てる。
そ、そんな顔もできるのね……っ。
いつもの穏やかで大人な雰囲気とは違い、そんな笑顔もダイアナの目には魅力的に映る。
「実は、予約をしているのです。だから、すぐに入れますよ」
ダイアナの耳元で、グレンが囁いた。
きゃあああああっ!
心の中で悲鳴をあげる。
表情はかろうじて冷静さをキープできているようだが、頬はますます熱くなっていく。
私、絶対に真っ赤だわ! ど、ど、ど、どうしたらっ!?
冷静でいたいのに、無理! 無理無理無理! こんなの絶対無理よ!
……グレン様、ずるいわ!
そんなダイアナの心の声は、当然グレンには届かない。
「楽しみですね」
「え、えぇ! 本当にっ」
みっともなく声がうわずる。
グレンは、声までも魅力的なのだ。
これまで、男性とあまり関わってこなかったこの身を呪いたくなる。免疫がなさすぎる己に呆れつつ、それでも彼を見つめてしまう。
どうしましょう、本気で困ったわ。
どんどんグレンに惹かれていく。
ダイアナは、どうしようもなく途方に暮れてしまった。
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