06 ダイアナとグレン
ティアル王国は、今日もいい天気だ。爽やかな風も吹いており、気持ちがいい。
こんな日のティータイムは、庭園のガゼボで楽しむことが多い。
「今日のお茶も、とても美味しいですね」
「本当に? それはよかったですわ。このお茶はティアルの名産で、マネルーシでは流通していないでしょうし、お口に合うか不安でしたの」
「そうだったのですね。これほど香りも味もよいお茶が流通していないとは、我が国の民が気の毒になります」
「まぁ! それほどまでに気に入っていただけて、とても嬉しいですわ」
ダイアナの向かいには、グレンがいる。
先ほどまで、二人の膝の上には猫の姿になったフローラとアイリスが微睡んでいたのだが、寝入ったのを機に侍女たちが連れて行ってしまい、今は二人きりだ。
ティアルに来てからのグレンの毎日は、かなり慌ただしかったと言える。それに、気も遣ったはずだ。なにせ、王族の皆がこぞってグレンに構いまくるのだから。
そんな日々を振り返り、ダイアナはグレンを労った。
「グレン様、毎日本当にありがとうございます。特にリオンやフローラ、アイリスは、もうすっかり懐いてしまって。相手をしていただけるのはとてもありがたいのですが、グレン様はグレン様のお時間をもっと大切になさってくださいね。私たちに構ってばかりだと、いろいろと大変でしょう?」
基本、グレンは王城にいる。偶に王都に出ることもあるが、その際も王族の誰かが一緒である。
一番最初など、王太子であるジーンのお忍びに付き合わされていた。その他は、弟や妹たちの面倒を見てくれたり、姉であるイヴリンの話し相手にもなっている。
グレンはいつも穏やかで、王族であろうが使用人であろうが礼儀正しい。それが好ましく、あっという間に城内で人気No.1になってしまったのだが、そういうこともあって、彼が一人でいることなど滅多にない。だからこそ、気疲れもあるだろう。
しかし、グレンは柔らかな笑みを浮かべ、小さく首を横に振った。
「いいえ。私はティアル王国に来て、毎日が楽しくてたまらないのです。マネルーシでは、いつも仕事に明け暮れていました。いえ、仕事は好きですのでそれは構わないのです。しかし、仕事に逃げていたというか……。こちらでは仕事から離れ、のんびりさせていただいています。王族の皆様にもお気遣いいただき、マネルーシでは味わうことのできなかった楽しさを今、満喫しているのですよ」
「仕事に逃げていた……?」
ふと気になったことを呟き、ハッとする。
しまった、返事に困るようなことを言ってしまった!
ダイアナは慌てるが、グレンは「大丈夫ですよ」と微笑む。その微笑みは、見る者を安心させる。
穏やかで、優しいグレン。
アレクサンドラは、どうしてこんな素晴らしい人を貶めることができたのだろうか。
ダイアナは不思議でならない。
グレンはダイアナから少し視線を逸らし、自嘲するように言った。
「自分の感情を抑えることが苦しくて、私は仕事に逃げていたのです。仕事を言い訳にして、あの方を避けていたのですよ」
あの方。それは、婚約者であったアレクサンドラのことだ。
グレンはそうしなければならないほど、彼女が苦手だったのだろう。
王命だから、断れなかった婚約。
理不尽に思えど、グレンならアレクサンドラを蔑ろにはしなかったはずだ。例え仕事に逃げていたとしても、婚約者としてやるべきことはやっていたはずである。
「彼女は、どうしてあれほどまでグレン様に辛くあたっていたのでしょう……」
「私が婚約者として不甲斐なかったからでしょう」
「そんなことっ」
グレンは視線を戻し、ダイアナを見つめる。
ダークブラウンの瞳にしっかりと捕らえられ、ダイアナは息を呑んだ。
誠実で、真摯な瞳。ただ優しいだけではない。その瞳から、グレンの意思の強さも伝わってきた。
「婚約者となったからには、大切にしたいと思っていました。しかし、あの方はそれだけでは満足されなかった。要求が徐々にエスカレートしていき、それについていけなくなってしまったのです。パーカー侯爵令息のようにできればよかったのでしょう。しかし、私には難しかった」
ホレス=パーカーがどのようにしたかは知らない。
しかし、彼の噂はダイアナも知っていた。他国の有力貴族については、常に最新情報を入手し、頭に入れているのだ。
今回の件もあり、更に詳しい情報も新たに手に入れている。
パーカー侯爵家も、グレンの実家であるオーウェル侯爵家に負けず劣らず裕福な家だ。ただ、歴史はオーウェル家に比べて浅い。それに、領地は圧倒的にオーウェル領の方が栄えている。
パーカー侯爵家は、オーウェル侯爵家と張り合っている。
両家の嫡男は優秀で、学生時代の成績も一、二を争っていた。しかし、この二人はいいライバル関係で、仲もいいらしい。
だが、次男は違った。
見目のよい二人の令息。しかし、性格は真逆と言える。
ホレスは派手な顔立ちに違わず、性格も派手好きで見栄っ張り、成績は中の上といったところ。対して、グレンは落ち着いた顔立ちに、冷静で穏やかな性格、成績は常に上位をキープしていた。
ホレスは華やかで、常に女性から注目の的だった。そしてグレンは、言い方は悪いが地味である。
そんな二人は、王女に婿入りする最有力と言われていたようだ。
おそらくだが、ホレスは自分が選ばれると確信していただろう。成績は多少劣るが、さして問題ではない。それ以外は自分の方が圧勝だと。
しかし、アレクサンドラが選んだのはグレンだった。
普通ならそこで引き、別の婿入り先を探すところだ。だが、ホレスは違った。
グレンとアレクサンドラが婚約した後も、アレクサンドラを諦めなかった。ことあるごとに接触を試み、アレクサンドラもそれを許したというのだから意味がわからない。婚約者以外の男を近づけるなど、度し難いことだ。
王命で婚約したにもかかわらず、別の男を侍らし、婚約者を貶める王女。
グレンが婚約破棄を言い渡されていたあの場面を思い浮かべ、再び怒りが込み上げてくる。
あの時は、自国を侮辱されたことに怒り心頭だったが、今では、グレンを貶められていたことにも同じくらい怒りを覚える。
「恋愛感情がなくても、互いを思いやっていれば夫婦になれますわ。グレン様もそう思って、アレクサンドラ王女を大切にされていたのでしょう? それなのに彼女は……。私はあの場面しか知りません。ですが、彼女がずっとあんな仕打ちをあなたにしていたとすれば……あなたはどれほど傷ついたことでしょう。私も胸が痛みます」
眉を寄せ俯くと、不意に指先が温かくなった。顔を上げると、グレンの手が触れている。
「あなたが私を救ってくれたのです。……ダイアナ様」
そう言って、グレンがダイアナの指先を軽く持ち上げ、口元に持っていく。そして、ダイアナが止める間もなく、グレンはその指先に口づけた。
「ダイアナ様は私の救世主、いえ、女神です」
その微笑みは、どこまでも優しく、そして甘い。
真摯な瞳は僅かな熱を孕んでおり、ダイアナは激しく動揺する。
待って、ちょっと待って!
こんなの知らない!
熱? そんなものは、私の気のせいに決まっている!
この方は、私に恩を感じているだけ。ただそれだけなのよ!
ダイアナの心の中は、そんな独り言で大騒ぎである。
グレンはそんなダイアナを見て、蜂蜜のように甘く微笑んだ。
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