03 目撃
「グレン=オーウェル! もう我慢なりません! 私はあなたとの婚約を破棄いたします! そして、新たにホレス=パーカーと婚約するわ!」
庭園を歩き出した直後、女の怒鳴り声が聞こえた。
ダイアナとジョナスは顔を見合わせ、きょとんとする。
「婚約破棄? こんな場所で? しかもあんな大きな声で宣言するなんて。どこで誰が聞いているやらわからないのに」
ダイアナが眉を顰めてそう言うと、まったくだというようにジョナスも頷いた。そして、夜会の会場に戻ろうとダイアナを促す。
「だいたいあなたは、王女である私を娶るという誉れを与えられたというのに、いつも私のことは後回し! 蔑ろにしてこられましたわね?」
「私は決してそのようなことは……」
「口答えするつもりなの? あなたはいつだって仕事が優先、私のことはいつだって最後。私が会いに来ているというのに、あなたは私の相手をせずに仕事ばかりでしたわよね? ピクニックや観劇に行きたいと言っても付き合ってくださらなかったわ! そんなあなたに代わって私を慰めてくれたのは、いつもホレスだった!」
「当然です、アレクサンドラ様。私はあなたを愛しておりますから」
「ホレス……」
「アレクサンドラ様、あなたにはそのような悲しいお顔は似合いません。私なら、そんな顔は絶対にさせない! 私にとってあなたは至上、もっとも大切な方なのです。あなたは一番に優先されるべきだ。私ならそうする。アレクサンドラ様、私はそれを神に、そしてあなたに誓います」
すぐにこの場を後にするつもりが、つい聞き耳を立ててしまった。悲しいかな、好奇心には勝てなかったのだ。
ジョナスは、すでに諦めたようで溜息をついている。
二人は、向こうからは見えない死角に移動し、会話を聞き続けた。
「あなたはいつも気がきかない。私を喜ばせることをしない。こんな方が婚約者なんて、私はなんて不幸なのでしょう!」
「アレクサンドラ様、あなたが不幸であっていいはずがございません! 私はあなたを幸せにして差し上げたい。いや、してみせます!」
「ホレス!」
「アレクサンドラ様!」
まるで演劇の舞台を観ているようだった。それくらい、女とその隣にいる男が盛り上がっているものだから。
ただ、婚約破棄された男の方は小さく項垂れ、ほとんど言葉を発しない。何か言おうとしても、女に遮られるだからそれも仕方ないのだが。
この頃には、ダイアナは彼らがどのような人物であるかを把握できていた。
先ほどからキーキーと耳障りな声で怒鳴り散らしている女は、この国の王女であるアレクサンドラ=マネルーシ。彼女はこの国唯一の王女ということで、国王夫妻は溺愛していると聞いている。
そして、婚約破棄宣言をされた相手は、グレン=オーウェル侯爵令息。
オーウェル侯爵家といえば、マネルーシ建国から続く名家で、堅実な領地経営でも定評がある。オーウェル領は、王都に負けず劣らず発展しているともっぱらの評判だ。
グレンは、そんなオーウェル侯爵家の次男で、王女アレクサンドラとの婚約は、確か王命であったはずである。
「この国の王女は、王命を反故にしようとしているのかしら?」
「そういうことになりますよね……」
ダイアナの言葉に、ジョナスは手を額に当てている。
そして、アレクサンドラの隣に侍っている男は、ホレス=パーカーと言っていた。パーカー侯爵家の令息だろう。
それにしても、とんだ修羅場である。
王女も二人の令息も美しい容姿をしているのだが、場面は全然美しくない。むしろ、醜い。
今は夜会の最中だし、ここの方が人目はつかないのかもしれないが、外でこんな話をするなど言語道断である。付き従う王女の護衛たちに諫める権限はないだろうが、誰か止めろよ、と思わずにいられない。
アレクサンドラは自分に酔っているようで、言っていることがもう滅茶苦茶だ。
自分がいかに美しく高貴であり大切にされるべき存在か、自分と婚約できるなどどれほどの幸福と栄誉を賜ったのか、などを延々と語っている。聞いているだけで、もうげっそりである。
「飽きたわ」
「戻りましょう」
ダイアナとジョナスが疲れた顔で踵を返そうとした、その時だった。
アレクサンドラは、とんでもないことを口走る。
「グレン! 何とか言ったらどうなの!? あなたは私に婚約破棄されそうになっているのよ? 何とも思わないの? 信じられない! こんな薄情な人だとは思わなかったわ! あなたなんて、野蛮な獣人国にでも婿入りすればいいわ!」
ブチッ。
ダイアナの中で、何かが切れる音がした。
「今、何とおっしゃいましたか?」
気付いた時には、アレクサンドラと対峙していた。
突然登場したダイアナたちに彼らは一瞬絶句したが、すぐに気を取り直し、アレクサンドラは激昂する。
「なんて非常識なのでしょう! 獣人国の王女は、礼儀をご存じないのかしら?」
「こんな場所で、婚約破棄だのなんだの騒いでいる方に言われたくありませんわ」
「なんですって!?」
そこからは、売り言葉に買い言葉、ダイアナとアレクサンドラは激しく言い争った。
ダイアナは、基本的に穏やかな性格なのだが、理不尽なことが許せないタイプだ。そして、自国を愛している。獣人国を、獣人を侮辱することは、絶対に許せない。
そして、言うまでもなくアレクサンドラは苛烈であり、とんでもなく我儘である。
この二人が言い争いをしているのだから、誰も止めることができない。
「やはり、獣人は野蛮ですのね! それにはしたないこと! 呼ばれてもいないのにしゃしゃり出て、引っ掻き回す。いったいどういうおつもりなのかしら? 出しゃばりで野蛮で礼儀知らずだなんて、とんでもないわ。あなたが王女だなんて、とても信じられない! あなたみたいな方を王女と敬っているなんて、獣人もたかが知れますわね!」
とんでもない。その言葉をそのまま返したい。
おとなしく脇に控えているジョナスも、身体がわなわなと震え、今にも剣を抜きそうな勢いだ。ダイアナも、我慢の限界だった。
その上、アレクサンドラは婚約者にも酷い言葉を投げつける。
「ちょっと見た目がいいからって、調子に乗っているのではなくて? あなた程度の美男子なんてそこら中にいるし、私がわざわざ選ぶほどでもなかったわね。最初からホレスを選んでいればよかった。本当に期待外れだったわ!」
ブチッ、ブチブチブチッ。
何様だ、お前は。いくら王族だからと言って、言っていいことと悪いことがある。誰が高貴で美しい? 笑わせる!
それほどまでに婚約者を貶めるのなら。それほどまで厭うのなら──
「それほどまで言うなら、私がいただきましょう!」
後先考えず、こう叫んでしまったのだった。
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