10 いざ、マネルーシ王国へ
王命により、グレンはマネルーシ王国に戻ってきた。
しかし、一人ではない。ダイアナと、今回はジーンも一緒である。王太子妃エレインの出産も無事終えたこともあり、彼も行くことを決めた。ジーンは、ティアル国王の名代としての訪問になる。
来国することはすでに伝えており、マネルーシ王国もそれを拒否することはできなかった。なにより、オーウェル侯爵家が強く希望したのだ。
王太子であるジーンが来るということで、マネルーシ王家は歓迎の夜会を開くことにした。
急遽開催ということで、普段の規模よりは小さいが、王家に近しい高位貴族が多数参加しており、華やかである。そんな中、ダイアナたちは乗り込んでいくことになる。
全員が入場した後、マネルーシ王の宣言で開会する。楽団が演奏を始め、夜会がスタートした。
とりあえず、最初は挨拶代わりのダンスを披露し、王族や他の貴族たちと他愛ない会話を交わしていく。ダイアナとジーンは如才なく立ち回り、彼らに上手く対応していた。
彼らは獣人を見下していながらも、さすがに王太子と王女に対しては平身低頭である。それに、ダイアナもだが、ジーンはとても容姿に優れていることもあり、獣人にもかかわらず、高位貴族の夫人たちを赤面させていた。ちなみに、アレクサンドラ王女も頬を染めていたほどだ。
グレンはというと、家族との再会を果たしていた。ダイアナたちとは時折目配せする他は、距離を取っている。
ダイアナとジーンは、最初の方にオーウェル侯爵夫妻に簡単に挨拶をした程度。しかし、この夜会の間でゆっくりと話す機会があるはずである。
「動くぞ」
その時、王家の動きをそれとなく監視していたジーンがダイアナに囁いた。ダイアナは小さく頷き、グレンを見る。グレンも気付いたようで、こちらに向かって来た。
「グレン!」
グレンがダイアナたちの元へ到着するのと、アレクサンドラがグレンに声をかけるのとほぼ同時、いや、ほんの少しだけグレンの到着の方が早かったか。
ダイアナとジーン、グレンの三人は、一斉にアレクサンドラを見た。
彼女は従者のみを連れ、ホレスを伴っていない。彼と婚約すると言っていたのに、どういうことだろうか。
「お久しぶりでございます、アレクサンドラ王女殿下。この度はお気遣いいただき、ありがとうございました」
改めてグレンがそう挨拶すると、アレクサンドラは高飛車な笑みを湛える。
「グレン、家族ともっとゆっくりお話したいのではなくて? 専用の控室を用意しているからいらっしゃい。私も、あなたといろいろ話をしたいわ」
オーウェル侯爵家の中に、彼女も混ざろうというのか。それで、何を話すというのか。
想像はできる。できるが、本当に自分のことしか考えていないのだな、と呆れてしまう。
ダイアナとジーンはそんな気持ちをおくびにも出さず、にこやかな表情を保ち続ける。
「それなら、ジーン殿下とダイアナ殿下もお連れしてよろしいでしょうか?」
グレンの問いに、アレクサンドラは眉を顰めた。が、すぐさま我に返る。
「あら、お二人と話したい貴族は大勢いるわ。邪魔しては気の毒よ。それに、あなたの家族とお話するのに、どうしてお二人までお連れするのかしら?」
「オーウェル侯爵とは手紙でやり取りしていましてね。ぜひお会いしたいと言っていたのですよ」
ジーンが口を挟み、アレクサンドラが引く。
他の者なら、会話を遮るなと彼女は癇癪を起しただろう。だが、そうはならなかった。
人の目があるからではない。単に、ジーンの迫力に気圧されたのだ。
「そ、そうだったのですね。ですが、せっかくの家族水入らずですので……」
「では、王女殿下もご遠慮されると?」
「……っ」
遠慮するつもりなどなかったアレクサンドラが言葉に詰まる。
「ジーン殿下とダイアナ殿下もお連れしたいと存じます。……よろしいですね?」
すかさずグレンがそう言って、アレクサンドラの了承を取った。
彼女は悔しそうな顔を扇で隠しつつ、控室に向かう。扇が僅かに震える様に、彼女のイライラさ加減が垣間見えた。
三人は密かに視線を合わせ、口角を上げる。
前の方に、オーウェル侯爵夫妻の姿が見えた。彼らも他の従者に控室に案内されているようだ。
舞台は整った。
──さぁ、これからアレクサンドラにひと泡ふかせてやるのだ。
*
オーウェル侯爵夫妻、グレン、アレクサンドラ、ジーン、ダイアナの六人が控室に揃った。
従者は飲み物や軽食を用意した後、部屋を出る。これはアレクサンドラの指示だろう。
「オーウェル侯爵、侯爵夫人、会場内ではゆっくりお話できなかったでしょう。こちらでご子息との語らいを存分に楽しんでちょうだい」
アレクサンドラが口火を切る。侯爵夫妻は礼を述べ、グレンに優しく微笑みかけた。
二人とも、安堵と喜びが入り混じった顔をしている。
彼らにしてみれば、突然息子と引き離されたようなもので、手紙のやり取りをしていたとはいえ、顔を見るまでは何かと心配だったろう。
「ところで、グレン」
アレクサンドラの声に、グレンは彼女の方を向く。その表情を見て、ダイアナは密かに息を呑んだ。
怖いくらいの無表情である。
かつての彼はそうだったかもしれないが、少なくともダイアナはグレンのそんな顔を見たことがなかった。
しかし、アレクサンドラは平然としている。
アレクサンドラにとっては、今のような冷淡な表情をしているグレンが普通なのだろう。
自業自得と言ってしまえばそうだが、アレクサンドラが気の毒に思えてきた。
穏やかな春の日差しのような温かい微笑み、熱のこもった真剣な眼差し、彼女はそういったグレンを見たことがないのだ。
「あの時は私もどうかしていたわ。あなたへの想いが溢れすぎてしまったのでしょう。申し訳なかったわ」
アレクサンドラの謝罪に皆が驚く。だが、グレンは眉一つ動かさない。
しかし、彼女はそんなことはお構いなしに後を続ける。
「だから、戻っていらっしゃい。ティアル王国に行かせたけれど、慣れない国ではいろいろと大変だったでしょう。婚約破棄も取り消してあげるわ」
「パーカー侯爵令息とご婚約されるというお話では?」
グレンの声は、氷のように冷えきっている。
ダイアナは内心ハラハラしているのだが、やはりアレクサンドラは何も感じていないようだ。
表情や声でこれほど拒絶されているというのに、どうして彼女にはそれがわからないのだろうか。
「ホレスともちゃんと話し合ったわ。私には、グレン、あなたしかいないの。あなたと離れて、それがわかったのよ。だからやり直しましょう。今度は私、上手くやれると思うの。オーウェル侯爵ももちろん了承してくださるわよね?」
有無を言わさぬ視線で、アレクサンドラが問う。
アレクサンドラがここまで自信を持って言っているのだから、王や王妃も承知しているのだろう。だとすれば、オーウェル侯爵が拒否するのは難しい。
それにしても、国王夫妻はアレクサンドラに甘すぎる。
オーウェル侯爵は国の重鎮でもあるのに、そんな家を馬鹿にするかのような娘の行為を咎めもしないとは……。
ふと隣を見ると、ジーンも呆れ果てている様子が見て取れた。もちろん表情には出ていないが、ダイアナにはよくわかる。
オーウェル侯爵は、かろうじて冷静さを保っていた。しかし、夫人は扇で顔を隠し、僅かに震えている。
聞けば、婚約時もかなり強引だったという。グレンは乗り気でなかったのに、王家の権威を振りかざして無理やり婚約者にしたようなものだった。
なのに、グレンをいいように振り回し、傷つけ、婚約破棄という不名誉を与えた。
これを最大の侮辱と言わずして、何と言おう。その上、やり直す?
想像はしていたが、本当にそうなるとは。……眩暈がしそうだ。
「了承いたしかねます」
「そう! 了承して……」
「いたしかねる、と申し上げました!」
オーウェル侯爵の怒りの声に、アレクサンドラが目をぱちくりとさせる。拒否されるなど、微塵も思っていなかったのだろう。
「は? いったい何を言って……」
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