死神さん
近くの小川には微かな明かりが灯され、動き回っている。古びた缶は、公園に一人寂しく残されている。
夜の始まりとはあっという間である。
この姿になったのはいつだろうか。覚えているのは、自分の死に際だけ。死神には二種類ある。あの世で生を受け、冥府からこの世に使いとして送り出される者と。この世で生を受けたが、何か強い望みを持ったまま死んだ人間が冥府に選ばれ、死神になる者がいる。死神には現世で使われている言語を喋ることができない。だから、相手とは喋らず命の強奪をする。この命を受けてから、数多くの命を奪ってきた。このことを私は、非道的、残虐的とは思わないし、あるいは楽しい、幸せとも思わない。この考えは、死神特有のものなのか、それとも死という場面を見過ぎただけなのか。死神の役割とは、死へと救いの手を差し伸べるものだと思っている。死にたいなら死ぬのが人間の相であると、人間として生きていた頃は思っていた。
死神の鎌、所謂大鎌は切れ味がとっても良い。まあ、切ると言っても人の人体を直接切ることはない。人には、心と体を結びつける鎖のような物を切るだけだ。鎖は人の心身の状態で、固さ、太さは全く異なる。心身の状態が弱々しいほど脆くなる。まるで、忘れさられた有名なお店のように。
今日は、一人の命をすでに救った。彼の名前は忘れたが、どこかの会社の新入社員だったとか言っていた。彼は私と会った瞬間、恐怖の表情を見せた。「お前は誰だ?」「助けてくれ。」彼の、細々しく生を懇願する声は今でも耳に残っている。彼のことは、出会う前から知っていた。死神は人を殺す前に、履歴書のようなものを読む。彼は、私たちより都会で生まれ、良い家庭で育ち、良い学校を卒業して、良い会社に入社している。彼は殺すのに価する人間なのだ。自分の妬みや嫉妬に基づいた、行動なのは自分でも分かっている。死神というのは身勝手な存在である。死神にとって人間というのは、ただの餌同然。食物連鎖で、人間が頂点に立つことを人間の覇権状態とするならば、死神にとっては、この世界は、死神の覇権状態であると私は思う。生まれ変わって気付いたことだが、人はいつでも最優先種だと思いこんでいる。
今日は、もう一人ぐらい救っておこうと考えていると思い履歴書が入った手帳を捲った。先程の男性の次のページには、小さな子どもが載っていた。
「子どもか…………」
流石の私でも子供に対して、恐怖を与えたくない。バレないように魂を奪おうと胸の内に留め、彼の住む場所へ向かった。
「居た…………」
昏々と眠っている。彼は、東京の一等地に住んでいた。親は彼が小さい頃に酒に溺れて、毎日のように手を挙げていたようだ。
早めに終わらせるか。そう思い近づくと、彼は目を開けた。
「誰?…………」
「――――――――――」
「なんて言ってるの?」
「あぁ、そうか言葉がわからないのか。」
「まあ、わからない内に奪ってしまうか。」
そう思い鎌を振り上げようと、背中から取り出そうとした時、彼は何も言わなかった。
「怖くないのか?」
彼は心の内まで見透かすぐらいの透明な眼で私を見てきた。彼に私の言葉はわからないはずだが、本当は理解しているのではないかと少し不安になってきた。
「まあ、いい、後少しの命だ。」
と言い、鎌を彼のうなじに振り上げようとした瞬間、
じゃあ、良い来世を――――
彼は、自分から鎌に向かってきたのだ。私は、その腕をギリギリで止め、彼に問う。
「何をしている?」
言葉がわからないのは分かっているはずなのに、彼に反射的に聞いてしまった。
「殺さないの?、僕はもう、死ぬ準備はできてるんだけど。」
「早く殺してよ、ねぇ。」
いつもの私なら鎌を振り下ろしていたのに、どうしても体が動かない。無いはずの足が震えているような感覚を覚える。
人は死神の下にいるべき存在。そう思い死神として生きてきた。この運命に「役割」など無い。私は、魂の管理者そ。そう決められていて、逆らうことはできないのだ。
その時――――――――
私は彼を突き飛ばしていた。
彼のことはどうしても殺したくなかった。絶望の中にいることは見ればわかる。彼の腕にある傷も誰からつけられたものなのか分かりきっている。自分の運命は自分で決めるだけ。それは、彼に教えなければならない。彼と私の違いは何か。そう考えると、答えは1つだ。
それは、彼は「生きていて」、私は「死んでいる」。この差は取り返すことはできない、いや取り返すことはナンセンスである。
生きていることは、お金、夢、地位どれを比べても、最高順位にならなければならない。
私は聞こえていないことを知りながら言う。
「生きろ、それだけでいい。」
彼は聞こえたか聞こえないか、わからないが返事をした。
「…………うん」
これが彼と私の運命が導いた答えなのかも知れない。
「死神さん、死神さん。あなたの本当の『役割』はなんですか。」