第五話 邂逅
腕合が口に含んだ薬物は服用者の超能力を増強させる反面、脳に負荷をかけ頭痛と眩暈を引き起こす。更には中枢神経から末端神経に損傷させる。平たく言えば薬物で能力者の脳にダメージを与えて強制的に潜在能力を開放させる品物だ。
故に脳をハッキングする薬として、通称『BrainHackDrug』、略して『B.H.D』と呼ばれている。
啓子はいつでも能力を行使出来るように右手のひらを前に突き出しながら、口を開いた。
「悪いけど、このまま眠ってもらうわよ」
「…………」
「どうやら、諦めたみたいね」
沈黙する腕合は依然として、地面に顔を伏せていた。
「諦める……? 勝手にそう思ってろ……」
「?」
啓子は怪訝な顔をする。腕合がぼそりと何かを呟いたからだ。
ただ、隠れるように二人の様子を見ている風成にはハッキリと聞こえた。距離が離れてるにも拘らず彼に聞こえたのは異様に五感が良いせいだ。それは風成自身も自覚していることである。
(良く分からないけど、あの女の子まずいかも知れない)
追い詰められたように見えるスキンヘッドの男が呟いた一言から風成は危機感を抱いた。彼は思わず駆け出しそうになるが、
(俺が行ったところで、何になる。あんな人間離れした力を使う奴に……それに事情が全く分からない)
と考え直して踏み止まる。そもそも、心情的に歳が近そうな啓子を助けに行こうと思っただけで、もしかしたら腕合が理不尽な理由で啓子に追い詰められているかもしれない。
風成がそうこう考えてるうちに腕合は素早く立ち上がる。その挙動に啓子はびくりと体を強張らす。
「【衝弾】‼ ひっははっ!」
「なっ! 【炎壁】!」
腕合は負傷していない左腕を上げて人差し指を啓子に向けて衝撃波を放ち、笑い声を上げる。対峙する啓子は虚を衝かれるも両手のひらを前に向けて炎の壁を生成する。
しかし、腕合が放った衝撃波――【衝弾】の規模は先程のものとは明らかに違った。路地を覆い、地面と壁に抉るほど大きい。直径三メートルのそれが啓子に向かっていった。
「嘘でしょ!」
啓子がそう言うと、衝撃波は炎の壁を吹き飛ばした。その数瞬前、風成は既に駆け出していた。
(くそ‼ 四の五の考えている場合じゃない。俺が助けたい方を助ける!)
最終的に彼を突き動かしたのは感情。唯唯、己の意志に従っていた。
一方、啓子は目前に迫ってきた衝撃波を両手のひらから炎を噴射させて、【衝弾】の威力を少しでも弱めようとした。そして、腕を胸の前で交差させて防御体勢をとり、その身で衝撃波を受ける。
――彼女は、後方五メートル吹き飛んだ。
「っ、ごほっ…………うぅ」
声にならない声を出してしまい、全身が痺れたような感覚に陥っていた。だが、吹き飛ばされていたのに体は地面に打ち付けられていない。
「な、なんだ! またガキが増えやがった!」
腕合は目を見開き驚く。見知らぬ少年が吹き飛んだ啓子を受け止めていたからだ。
「思わず体が動いちまった……この後、どうするか、なんにも考えていねえや」
そう呟く風成を、お姫様抱っこされた啓子はきょとんとした顔で見つめていた。
「まさか、仲間が来やがったのか!」
狼狽える腕合。一人来たことで他の『神戸特区能力所』の連中も来たのではないかと思っていたからだ。
基本的には『東京本部能力所』を除く能力所には能力者は多くても片手で数える程度の人数の能力者しか在籍しておらず、超能力を有しない研究員、事務員、警備員などが大半を占める。しかし、『神戸特区能力所』は全体の在籍者数は九人と異様に少ないものの全員が能力者である。
(くそ! ここまでか! あいつらと一緒にこんな所に逃亡したのが間違いだったんだ! 簡単に兵庫と神戸特区の連中に捕まりやがって)
腕合の仲間は既に捕まっており、東京本部に護送された後だ。ちなみに彼が言った神戸特区とは、もちろん、特定の政令指定都市に設置された能力所の一つである『神戸特区能力所』。そして兵庫と言ったのは県名を指しているわけではなく、各都道府県に設置されている能力所の一つである『兵庫能力所』の事を指している。
啓子は少年に助けられたという状況を認識し、風成に抱えれらたまま口を開く。
「あんた、一体誰よ。見たことないんだけど」
「通りすがりってやつかな……へへっ」
風成はこそばゆそうに笑う。
「へへっじゃないわよ! まさか、能力者じゃないの?」
「能力者っていうのは、お前みたいにミラクルパワーを使う人のことか?」
「なによミラクルパワーって、馬鹿じゃないの……じゃなくて、えっと関係者でしょ? どっかの能力所の研究員とか」
頭の悪そうな横文字に啓子は目を細めるが、気を取り直して風成が何者かを尋ねる。
「研究員? なにそれ。さっき、言っただろ通りすがりって」
「なっ! 逃げて! 殺されるよ!」
啓子は風成が無関係な人間だと知った瞬間、この場から離れるように言い聞かす。そもそも、超能力を使った現場を目の当たりされた時点で無関係な人間とはいえ逃がしてはいけないが。彼女はとにかく人命を優先しようとし、焦る。
啓子は風成の腕の上で「逃げて! ってか離せ!」と暴れると、
「ぐべぁ!」
拳がたまたま少年の顔に炸裂する。
「ごめん! でも下ろして!」
風成はたまらず、勢いよく謝る啓子を地面に下ろした。しかし――、
「っ……足がいうことを利かない」
地面に足を着けた啓子は立とうとするが思わず膝を突いた。
「ほらな、俺の言った通り!」
「いや、そんなこと言ってなかったから!」
少女は風成のノリについていけず、余計に体力を奪われていった。
「くっはははは! 無能力者でしかも一般人かよ! 女を助けてご満悦か? ガキがよ!」
二人の様子を見て、腕合は勝利を確信して高笑いした。
「わりかしうざいな、あいつ」
それを不愉快に感じた風成は腕合に向かって歩いて行く。
「馬鹿っ、待って。本当に殺されるわよ」
啓子は敵に向かっている風成を引き留めようとする。
風成は振り向き――、
「俺が行かなきゃ、お前が殺されるだろ」
「それは……でも、それはあんた一緒で、ちょっと待って!」
戸惑いながら啓子は風成を諭そうとしたが、少年は彼女の言葉を待たず腕合と対峙する。
「……っ」
啓子は再び立ち上がろうとしたが足の自由が未だに利かず、しゃがんでしまう。そのまま、風成を背中越しに見つめていた。