プロポーズ無効化
山のようにあった書類を片付けて、私はベッドの上で一人ほっと息とつく。
前までの絶対王制とは違って、国民の選挙制が取り入れられたとしても、やっぱりやることはまだまだ多い。
特に前国王は何も国内向けにしてこなかったから、見られることなく放置されていた陳情書も多く仕事が山積みだ。
「はぁ……ちょっと、疲れた……」
幼少期から厳しい王妃教育を受けてきたうえ執務経験があるとはいえ、さすがに連日仕事漬けは疲れる。
「……会いたいなぁ……アユムさんに」
ぽつりとつぶやいた弱音に、驚いたのは私自身だ。
声が聴きたい。
少しでも。
「だけど、そんなの私のわがまま──」
コンコンコン──ノック音?
「誰かしら? こんな夜に……。はーい」
私はそばにあったガウンを羽織ると、ベッド脇に置いていたモーニングスターを手に、パタパタと出入り口まで小走りで向かい、ドアを開けた。
「え……?」
「あ……。えっと、夜遅くにごめんね?」
「アユム……さん?」
なんと部屋に現れたのは、久方ぶりのアユムさん。
久しぶりに聞く低く落ち着いた声。
久しぶりに見るその顔に、多分今の私の顔は緊張で引きつっていると思う。
「ど、どうしたんですか? 何かありました? あ、まさか家に不審者でも?」
「違うからね。何退治しに行こうとしてるの。とりあえずモーニングスターを下ろそうか」
構えたモーニングスターに手を添えられれば、私はそれを言われるままにそっと下に下ろした。
「ちょっと、いいかな? 話がしたくて」
「話、ですか? はい、えっと、どうぞ」
私が入室を進めると、アユムさんはごくりと喉を鳴らしてから「あ、いや、少し外ででも……」と苦笑いした。
目が泳いでいるけれど、何か部屋に入ってはいけない理由でもあるのかしら?
まぁ、婚約者でも何でもない男性をこんな時間に部屋に招き入れるというのは誤解を招く可能性もあるし、うかつなことはしない方がいいわね。
「わかりました。行きましょう」
私は部屋を出ると鍵を閉め、そっと差し出されたアユムさんの右手に、ためらいながらも自身の左手を重ねた。
***
王族の住居である宮殿の外に出ると、冷たい夜風が肌を刺す。
今、私はネグリジェの上にガウンを羽織っただけの、何とも頼りない恰好のまま出てきたことを、今更ながらに激しく後悔している。
この世界に細かい四季という認識はない。
暑い時期は暖期、寒い時期は寒期という二種類の、おおざっぱな認識だけだ。
今は寒期という、あちらの世界で言うと真冬の季節で、風が痛いほどに冷たい。
自分の腕を抱えるようにして歩く私の方に、ふわりと暖かい布がかけられた。
「アユムさん?」
「寒いでしょ。それ羽織ってて」
かけられたのはアユムさんの黒のマント。
アユムさんの匂いがして、私は思わず大きく鼻から息を吸い込んだ。
……断じて変態ではない。
「でもアユムさんが──」
「俺は大丈夫。頑丈だし、一応男だからね。ティアラさんはちゃんとあったかくしていなさい」
ママン再来……!!
「一応言っとくけど、俺はティアラさんの母親じゃないからね?」
「!!」
なぜ考えていることが……!?
さすが勇者。
人の思考すら読め──「読めないからね、人間の考えなんて」
……読んでるじゃん……。
「あの、それはそうとアユムさん、一体どこに?」
「ついたよ」
「え……」
目の前には宮殿と城の間にある、高い塔。
ここは他国から攻められてきたときに見張りが常駐して形勢を見たり、怪しい動きがないか見るという役割を持つ塔で、平和な今の時代では使われることがない塔だ。
「入ろう」
「え、ちょ、ちょっと!?」
私はアユムさんに手を引かれるがままに、塔の階段へと足を踏み入れた。
長い長い螺旋階段を上がり、古びた扉を開けると、下界よりもさらに強い風が私の長い髪をさらっていく。
「ティアラさん、そこ、見て」
アユムさんが指さす先は、城の訓練場。
私が──そしてアユムさんが、かつて訓練を重ねた場所。
「あそこで、俺はティアラさんに一目惚れしたんだよ」
「!?」
いきなり何!?
ひ、一目惚れって……今そんな流れだった!?
動揺で目を泳がせる私を横目で見てクスリと笑うと、アユムさんは再び目の前の景色に視線を移した。
「空気が澄んでて、夜景がきれいだね」
「夜景……。そうですね。キラキラしてて──とっても綺麗です」
暗闇の中でキラキラと輝く光は、まるで宝石箱の中で光る宝石のよう。
この時間でもまだ城内では仕事をしている人が多い。
そんな人たちの照らしてくれる光が、明日の国を作ってくれているのよね。
感謝感謝、だわ。
「……実は、憧れの一つだったんだ。好きな人と、夜景を見るっていうシチュエーション。実際は彼女作るよりも剣道に意識を向けてきたから、無縁だったんだけどね。内緒だよ?」
そう言っていたずらっぽく笑ったアユムさんに、私は開いた口をそのままパクパクとさせるしかできなかった。
「す……す、好きな、人……!?」
「うん、その反応。やっぱり無意識に無効化しようとしてたね? 俺のプロポーズ。……まぁ、俺がちゃんとしてないから悪いんだけど……」
そうつぶやいて私に向き合うと、アユムさんは私をぎゅっと力強く抱きしめた。
「!? あ、アユ、アユムさん!?」
「俺がティアラさんのこと好きなの、本気だから。……なかなか踏み出せなくて、不安にさせてごめん。初めてのことで、距離感がつかめなくて……。つい、ここでの生活に慣れることを優先させてた」
「初めての、こと?」
え、それは、えっと、こういう関係が?
アユムさんなら付き合い放だ──「そんなことないからね?」
ナゼワカッタ……。
「前にも言ったと思うけど、俺は誰からの告白も受けたことなかったから」
「アイ、ワカリマシタ、ハナシテクダサイ」
ふいに手が伸びてきたと思えばびみょーんと伸ばされた私の両頬。
私のほっぺ、こんなに伸びるのね……。
「夕方カナンちゃんが来て、言われたんだ。このままじゃティアラさんが自己完結して、俺とのことなかったことにするか、ほかの国の王子とかから縁談の話が来るぞって」
「カナンさんが?」
あー……あれか。
『あたしにまかせてください!! この『ティアラ様を見守り隊』隊長のあたしに任せとけば、何も心配いらないからぁぁぁぁああああ!!!!』
あれはこういうことだったのか……。
「それからすぐに宰相に確認したら、すでに何件も婚約の打診が来てるって聞いた」
「えぇっ!?」
何それ!?
その話は初めて聞いたぞ!?
私の驚き様に、アユムさんは苦笑いして「すべて宰相とプレスセント伯爵──今は公爵か。公爵が断ってるって言ってたよ」と教えてくれた。
「お父様たちが……」
今までの功績が認められ、プレスセント伯爵家は公爵位を賜ることが、この間国民議会と貴族議会の両会議で決まった。
更には魔法大臣にという話も出ていたけれど、地位に特に興味がない父は公爵位は拝命するが役職は今のまま、自分の足で動いて働きたいのだと言い張って、役職のみ継続することになった。
「でも、もっと力の強いところから打診が来る可能性だってあるから、はっきりさせるなら今のうちにって言われたよ」
「はっきり──?」
私が首をかしげると、アユムさんは私の手を取り、その甲へそっと口づけた。
「!?」
押し付けられた暖かい感触に、全身がまるで金縛りにでもあったかのように硬直する。
「ティアラさん。俺は、絶対にあなたを幸せにすると誓う。あの日誓ったことは嘘なんかじゃない。あなたを──あなただけを愛してる。だから……だから、俺と、結婚してください」
「っ……!!」
はっきりとした言葉で伝えられたのは、おそらくそう、プロポーズ。
いくら金縛り状態の私でも、しっかりと聞こえ、理解できたと思う。
そんな……そんなの……っ。
「っ……うれしい、です……っ。私でよければ、その……喜んで」
浮かべた涙とともに彼の申し出を受け入れた私に、アユムさんの硬かった表情が一気に和らいだ。
「よ……よかった……!! 付き合うとか初めてだし、まして一度目のプロポーズはなかったことにされたし、実は自信なかったんだ。……ありがとう、ティアラさん。大好きだよ」
少しだけ照れながらもそう言って愛おしそうに私を見つめ微笑むアユムさんに、私も微笑み返すと、自然と近づく彼の端正な顔。
「ん……」
唇に柔らかな感触が触れて、すぐに離れた。
「い……今の……っ」
「これも実はこの間が初めてで慣れてなくて。あーっと……痛く、なかった?」
まるで小さな子犬のように不安げに私の顔を覗き込むアユムさんに、私は首をぶんぶんと左右に振って否定の意思を示すと、アユムさんは「よかった……」とほっと息をついた。
「もうちょっと、してもいい?」
そう嬉しそうに聞かれ、「してほしい」だなんて恥ずかしくて言えない私は、ただ無言でゆっくりと首を縦に振るだけ。
そして降り注ぐ口づけを受け続けた私は、部屋に帰るころには冷えていたはずの身体が熱いくらいに熱をもっていた。




