脳筋聖女、火事場の馬鹿力
顔を出してしまった小さな自分の感情。
こんな感情、知らない。
どろどろとした醜い感情。
寂しい、とも少し違う。
悲しい、とも少し違う。
少し違って、だけど少しだけ混ざり入ったそれは、今まで味わったことのない不快感。
アユムさんと一緒に過ごしてきたのは私なのに。
それが一気に変わったことへの戸惑いと、虚無感。
アユムさんと話がしたいのは私も同じなのに。
毎日一緒に料理をして、交代でお風呂に行って、たくさんお話をして。
そんな日常が壊れることへの恐怖。
そしてほんの少しの、子供じみた独占欲。
「はぁ……。なんて感情持ってんのよ、私」
よりによって相手は元婚約者と同じ五つも年下の男性だぞ。
だめだ。
私が抱いて良い感情ではない。
こんな嫁ぎ遅れの、しかも聖女の力なんてからっきしの脳筋なんちゃって聖女が、こんな感情を彼に抱いては……。
「あれが──“扉”……」
第五層。
四層を超え、階段を降りた先には、真ん中に一枚の大きな古びた木の“扉”が鎮座していた。
それを取り囲むように徘徊する魔物達。
四層にいた魔物の比じゃないほどに多い。
レイナさんはこの中を四層まで上がってきたのよね。
よく無事だったわね……。
まずは近場の魔物から少しずつ倒していくか。
太ももにつけたモーニングスターを取り出し構えた、その時──。
ギギギギギ──……。
“扉”が、くぐもった音を立てて開き始めた。
「!!」
「わぁぁぁぁぁあああっ!!」
転がり落ちるように“扉”から吐き出されたのは、長身の男性。
黒髪に黒目、頰に傷のあるその男性は、顔の作りからしてどこからどう見ても日本人だ。
「っ、まずい……!!」
魔物達の視線が一気にその男性へと注がれる。
捕食対象を見つけた彼らは、一瞬だけ動きを止め、そして──。
「グオォォォォオオオオ!!!!」
「うあぁぁっ!?」
大きな口を開け鋭い牙を剥き出しにして、男性へと襲いかかった──!!
「っ!! 間に合えぇぇぇぇえええっっ!!」
こうなれば端からちまちま倒している暇はない。
一気に走り、“扉”を目指すのみだ。
私は走った。
地を蹴り、モーニングスターを振りまわし、強制的に道を作りながら、彼を目指した。
ビシャッビシャッと飛び散る魔物の血が気持ち悪いしなんだか生臭く臭うけれど、そんなことを気にしている場合じゃない。
「はぁぁぁぁぁああああっ!!!!」
ゴォォォオオオオンッ!!
目の前に立ちはだかる自分の二倍程の大きさのオークを殴り飛ばすと、恐怖と驚きの表情をごちゃ混ぜにさせた男性の顔がすぐそこに見えた。
「大丈夫ですか!? 怪我は!?」
「え、あ、うん……大丈夫、だけど……」
見たところ特に異常はなさそう。
よし。
「あそこの階段まで走れますか?」
「あ、あぁ、うん」
放心状態ながらきちんと受け答えはできるようで少しばかり安堵する。
「では、私の後について走ってください。私が道を開けます!!」
言うと私は、どこからともなく湧いて出て再び群がり始めた魔物達を振り返り鋭く睨みつけた。
「行きます!! はぁぁぁぁぁああああっ!!!!」
これが──脳筋聖女の火事場の馬鹿力よぉぉおぉおっ!!
そして私は、魔物の群れに再び突っ込んだ──。




