送り火
「はぁ!」
『くっ……』
火のリングを作った事で、純粋な一対一へと持ち込んだ飛鳥と女王の戦いは佳境を迎えつつあった。
元より、優れた統率能力と頑丈な身体しか取り柄のなかった女王と、自身の生まれと向かい合った事で以前よりも、格段に火のサードアイを使い熟し、深淵を照らす刀を振るう飛鳥では戦闘経験に明確な差があり、数を活かす事が出来なくなった女王の勝ち目は初めから薄かった。
「しっ!」
短い呼吸と共に振るった火の刀が、疲労で動きの鈍った女王の右腕を斬り裂き、そのまま突きの形へと構えを変え、女王の心臓を穿とうとする飛鳥に対し、女王は道連れを覚悟に残された左腕へと力を集約させ、鋭い刃にし飛鳥と鏡合わせの状態で、突きを放とうとし──本能で感じ取った明確な死の気配に動きを止めてしまう。
『ッッ……よりにもよってこのタイミングで……』
「貴女なんで動きを……ッッ!?」
憎々しげな声を漏らしながら、胸を貫かれた女王は仮初の主が呼び出したのであろう厄災の姿を見上げる。
皮肉な事に、アビス・ウォーカーとしてその存在を常に感じ、暗闇の中で生きてきた女王は目の前の敵より早く、慣れ親しみ怯え続けた邪魔者が解き放たれた事に気がついてしまい、それが勝負を分ける結果になってしまった。
「……なんなのよアレ」
自らの目の前で後ろを振り向くという愚かさを発揮したヒトの娘すら、殺す事は出来ないと自らを嗤いながら女王は気に食わない勝利者に、助言を投げかけてやる事にした。
それが何も成すことが出来ず、滅びるであろう己の最期の責務と定めて。
『厄災。貴女達、ヒトが必死に目を逸らして積み重ねてきた汚物の集合体……は、ははは、ワタクシにすら劣るあんなモノが救済の証なんて、本当にヒトは何処までも滑稽で愚かですわね』
「……つまり、アレが音夢や壱与って奴が願った存在」
──なに、怯えた顔をしているのですか、貴女はこのワタクシを討ち倒したのですよ……もっと、優雅に笑いなさいな。
「きゃ!?」
『……ヒトの世を終わらせたくないと願うのなら、その辛気臭い顔を辞めなさい。アレを討ち倒したければ、希望を胸に笑っていなければ無理ですわよ』
飛鳥の顔を引き寄せながら一方的な助言を伝えると、残された力を振り絞り彼女を勢いよく押し出し、刀身を自らの胸から引き抜く。
その痛みに僅かに呻きながらも女王は優雅に佇み、驚いた様子の飛鳥を見てサッサっと行けと手だけで指示を出す。
「……ありがとう」
助言をくれた事に感謝をしながら、飛鳥は女王へ背を向け火の羽を広げ、崩れ落ちていく蟻達の隙間を縫うように厄災の元へと飛び去って行く。
そんな女王にとっては反吐が出るほど、美しい光景を見ながら女王は呆れた様に口元を緩める。
『感謝、ねぇ……本当にヒトは嫌いだわ』
ボッと内側から溢れる火を抑えきれなくなった女王の身体は火に包まれ、消えゆく最期の瞬間まで彼女は膝を屈する事なく、共に消えゆく蟻の女王として在るべき姿を貫き通し、消えて行くのだった。
「……はぁ、はぁ、綾人……」
早く貴方に会いたい……私に残された時間を少しでも多く、貴方と一緒に……
「ぐっ!?」
ビキビキと人体から聞こえる筈のない音を立てながら、別のナニカに変わろうとしている左腕を抑えながら、もう殆ど見えていない左側に気を付けながら、綾人の囚われている基地へと歩く。
呼び出した厄災は、本能的に私が狙うべき敵とは思っていないのかそれとも単純に獲物が多い方へ向かったのか、首都に向けて悠々と移動し始めているから、妨害をされる事はないけど……
『グルァァ!』
「……そう。木っ端はまだ私を人として見てるんだね。どーでも良いけど、消えて」
厄災が開けた門から零れ落ちる様に溢れ出てくるアビス・ウォーカー達は、こんな人なのかアビス・ウォーカーなのか分からない状態の私を未だに喰らおうしてくる。
その度に力を使わなきゃいけないから正直、腹立つ。
「……でも、もう私は……」
元々、サードアイに素直に覚醒した訳ではないと壱与から聞かされてきた……この力は後天的に、アビス・ウォーカーの因子を埋め込む事で発現させた力であると。
人の事を引き取ってやる事がソレ?とは思わなくもないけど、死にたくなる様な激痛と普通の人よりも早死にするって言われた時に比べれば、些細な事だと割り切って力を使うごとに剥がれ落ちていく記憶をどうにか彼だけは繋ぎ止めて……
空気が抜ける音共に私の生体情報を読み取った扉が開く。
どうやらこのルートを侵入者達は使わなかったらしい……非常灯になってるから、正面玄関から堂々と来たんだろうね。
これで漸く……綾人と私、二人だけの世界が……もう離れなくて良い、苦しまなくて良い世界が……
「……え?」
綾人が座らせられていた場所は真っ黒な、何もかもを拒絶する様な黒い靄に覆われていた。
ソレが闇のサードアイの力だと、直感的に理解してもどうしてもそうなっているのか分からず、立ち止まってしまう。
「あら、戻って来たのね音夢」
「……壱与、これは」
元より部屋の中に居たのかそれとも私が呆然としている間に来たのかは、分からないけどいつもの黒スーツに白衣の姿ではなく、義手を顕にしやたらと身体のラインが浮かび上がるインナーの様なものを着ている壱与は私の問い掛けに対して、いやらしい笑みを浮かべながら答える。
「本当は進んで協力してれれば良かったんだけど、ずっと断るものだから貴女の演奏に合わせて、無理やり力を引き出させて貰ったの。その反動かしらね」
「ッッ!!」
ガキィンっと私の変異した腕と壱与のワイヤーがぶつかり合い、甲高い音を奏でる。
……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!私は彼をこんな目に遭わせたくて戦って来たんじゃない!!もう二度と彼を苦しめない為に戦って来たんだ……なのにお前は!!
「綾人を返せぇぇ!」
「あらやだ。言うに事欠いて被害者面?貴女だって、十分にこちら側よ」
腕にワイヤーが巻き付き、逸らされると同時に壱与の掌底が鳩尾に叩き込まれ、綾人の方へと派手に吹き飛ばされる。
「わた、しは……綾人の理解者に……」
「……本当に従順な駒に育ってくれて嬉しいわ。私の言う通りに動いてくれて」
……あぁ、私は初めからずっと、騙されて都合よく扱われていたんだ……利用し利用される関係だと思っていたけど、端からこの女は私を思い通り動かす為に私に都合の良い言葉と態度を示していただけ……なんて事のない良くある汚い大人と子供だったって訳か……
「……ごめん……綾人……私……ごめんね……」
ボロボロと涙を溢しながら、そんな権利もない癖に私はまた綾人へと縋る。
黒い靄に触れながら、ただ壊れた機械の様に謝罪だけを口にしていた私は、本当に愚かで下らない存在だというのにそれでもと願ってしまう言葉を止める事が出来なかった。
「……会いたいよぉ……会って顔を見ながら謝りたい……あやとぉ……」
届く筈のない言葉を発し続ける私を、呆れた様子の壱与がトドメを刺そうと近寄ってくるのを見て、もう身も心もボロボロな私は居るはずもない神にただ、許して欲しい、助けて欲しいと祈り続ける事しか出来なかった。
「……助けて……もう嫌だ……許して……」