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救われたからこそ灯るもの

 先森綾人が奪われてから四日後、本部の守りを失ったADの面々は、その拠点を地下ではなく移動可能な大型トレーラーへと移し、日野森飛鳥、伊藤源三郎、茂光郷、他計器観測に二名、運転手一名という必要最低限な人数だけを乗せ、残りは通信端末を利用し連絡を取り合う事とし散り散りに活動することになっていた。

 東京都内の道を走るトレーラーは、警察の協力を受けている事と日本の首都という事もあって日常の風景に溶けむ事に成功している。


「先ほど、政府の首脳達との話し合いで今より、一週間後に先森くんの奪還作戦を敢行する事が決定された。これに先駆け、最後に反応が確認された灰都の近くから本日より、順次避難が行われる事となる……どれだけの規模の戦いになるかは正直、予想がつかないが伊藤、怪我の具合はどうだ?」


 最も肉体的なダメージが大きかった伊藤が、体に巻かれた包帯に触れつつも、強い意志の宿った瞳で茂光を見る。


「致命傷は避けておる……儂の事は何も案ずるな」


 確かに伊藤は言葉通り、致命傷を避けてはいるのだが同時に、無数の傷がその身には刻まれている為、いつ何時その傷が開き、彼を苦しめるかは分かったものではない。

 だがしかし、戦力は可能な限り多い方がよく伊藤が何かを言ったところで安全なところでただ、座していることが出来ない者だという事を知っている茂光は、口から出そうになった言葉をグッと堪えて頷いた。


「首都に攻め込まれたという想定で、自衛隊及び警察もこの避難誘導と作戦には参加する事になる。彼らの兵器では、アビス・ウォーカーにダメージを与える事は出来ないが、それでも寡兵の我々には心強い味方だ」


「……でも、やっぱり反対は大きいみたいね」


 飛鳥が外を眺めると、事前説明もほとんどなく強制的に避難させられることに対するデモ活動が行われており、避難活動を行いたい自衛隊や警官の人々と衝突を起こしていた。


「無理もない話だ……選択の余地無しの強制なのだからな。今の首相には損な役回りを押し付けてしまった」


「それでもきっと、アビス・ウォーカーの事を教えるよりは混乱もマシなのでしょうね」


「安全な場所など無い化け物の存在は、この高度文明社会にとってあまりにも危険すぎる」


 アビス・ウォーカーの存在を公表すれば、今目の前で起きている混乱以上の出来事が日本各地、世界中で起きる事だろう。

 そして、それらの不安に駆られた人々を安心させられるほどサードアイの人間は多くない以上、どれだけ強硬な手段だとしても使うしかないのだ。

 ブレーキがかかり、トレーラーが停止する、どうやら目的地に到着した様だ。


「飛鳥君」


「何かしら?」


「今のうちに家族と電話をしてくると良い。落ち着いた時間は、限られているからね」


 もしもがあるのかもしれないと、あえて茂光は言葉に出すことなく、飛鳥もまた問いかける事はせずに、そうねと返すとトレーラーから降りて、避難が行われた事で誰も居ない灰都近郊を少し歩く。


「……廃墟と灰だけの景色。此処が綾人と土御門の二人の故郷だった場所、初めて来たわ。此処の何処かに貴方達は居るの?」


 少しの間、灰都の寂しい景色を眺めた飛鳥は乾いた風を感じながら、スマホを取り出して両親へと連絡をかける。

 一コールの後に通話は繋がり、聞きなれた母の声が彼女の耳に優しく響く。


『どうかしたの飛鳥?』


「……少しだけ話をしようかと思って。ほら、落ち着いた時間、取れないかもしれないし」


『……そうね。どんな話をする?』


 通話の向こうにいる母、翔子は娘の声が落ち込んでいるのを理解し、明るい声で返す──自分も不安で仕方ないのに。


「んー……あ、今、お父様って近くにいるの?」


『えぇ、居るわよ。ふふっ、律騎さんったらね、今まで私達を遠ざけてた癖に上に無理言ってまで、私の近くに居る許可を貰ったらしいの。あ、顔赤くしてる』


「ちょっと娘の前で惚気ないでよ……まぁ、でもお父様がお母さんの近くに居るなら安心出来るかな」


 父親の強さをよく知っている飛鳥は、もし避難の最中何かしらの暴動が起きてもきっと、父が母を守ってくれるだろうと安心する。


『え?自分も飛鳥と会話したいって?……いい飛鳥?』


「あ、うん、良いよ」


 急だなとは思った飛鳥だったが、ただ交代するだけなのに何やらイチャイチャしている雰囲気の声が聞こえてくる両親に対するちょっとした呆れで、本当にただ単純に代わりたくなっただけなのだろうと溜息を溢す。


『……飛鳥、元気か?』


「え、交代して開口一番がそれ?お母さんとの通話を聞いてたのなら、私が元気なのは分かると思うけど……ほら、お母さんに笑われてるし」


 どれだけ口下手なのだこの父は……と呆れる飛鳥であったがその口元にはしっかりと笑みが浮かんでいた。


『そうだな……翔子の、お母さんの事は俺が何があろうとも守ってみせる。だから、お前は何も心配せずに彼を助けに行くと良い。自分が為すべきと思った事を信じて、貫き通し二人で戻って来い……決して、迷うなよ』


「……いきなり本題だし……でも、うんありがとう。為すべきと思った事を信じろか、ふふっ、私が迷ってた事を見抜いてたの?」


 短い時間だったけれど、土御門と接した飛鳥の心には迷いが生じていた。

 彼女は自分とは比べ物にならないほどの、強い感情で彼を好いて愛していたから、そんな彼女が漸くその手に抱き締める事が出来た人を自分が奪って良いのか、邪魔をして良いのかと。

 以前までの、綾人に救われる前の自分なら決して悩むことのなかった問題にずっと囚われていた飛鳥にとって父の言葉は一つの答えを授けたのだ。


『俺達の娘だ、一人で抱え込まない訳がないからな』


「ははは!確かにそうね、お父様が言うと説得力しかないわ!」


『……そういう事だ。ああ、そうだ、飛鳥』


「なに?」


『あの男であれば、俺は認めるぞ。とは言え、大切な娘を俺から奪おうと言うのだから、二、三発は覚悟して貰うが』


「ちょ!?」


 混乱する飛鳥を他所に言いたい事だけを言い切った律騎は、スマホを翔子に返してしまう。

 突然落とされた爆弾に顔を真っ赤にしている飛鳥であったが、高鳴る心臓を落ち着かせる様に灰都を見ながら大きく深呼吸をして、盛大に咽せてしまう。


『あらあら、可愛らしい反応。青春ねぇ』


「ゲホッ、お母さんまで!」


『ごめんごめん。娘の成長が嬉しくて。ほらだって、環境のせいで貴女はずっと私にもあまり感情を見せなかったし……本当、親としては情けないけど、彼のお陰で飛鳥が色んな表情を見せてくれて嬉しいの。だから、私も律騎さんと同じで彼なら大歓迎よ』


 翔子も律騎も、揃ってもっと何かをしてあげられたんじゃないかという後悔を胸に抱えているからこそ、迷っている飛鳥の背中を押していた。

 どんな選択をするにしても決して、後悔がない様にと、それが今出来る親としての役目と決めて。


『頑張ってね飛鳥。私達はずっと応援しているから、そして戻って来たら沢山のハグと料理を振る舞ってあげる。だから、二人で無事に戻っておいで』


 両親の言葉に背中を押された飛鳥の目元には涙が浮かび、心の中にあった迷いが消えていた。

 零れ落ちそうになる涙を拭いながら、飛鳥は笑顔を浮かべて返す、嘘偽りのない本心からの言葉を。


「うん、必ず綾人を連れて戻ってくる。だから、二人も無事でいてね!」


 飛鳥の胸に滾る火が灯った瞬間だった。

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