拉致と意地
綾人と音夢が謎の黒い液体に包み込まれ、姿を消す三十分ほど前。
彼らが戦っていた場所とはもう一つの場所で、闇の中を閃光が駆けては火花を散らしていた。
「速い速い。だが、その程度では深淵を断ち切るには足りんぞ?」
無傷のまま嘲笑う壱与の言葉に対し、伊藤は無言のまま斬撃を放つがこれまで同様に容易く受け止められ、刀を引き抜く一瞬、足を止めた事で肩口から鮮血が飛び、彼が流した血と月明かりに照らされ無数に張り巡らされた壱与の武器の姿が顕になる。
「……ワイヤーを武器にするとは何処の暗殺者だ全く」
「一見すると武器に見えず、暗闇にはよく溶け込み、人体など容易く切断できる……武器など使えればなんでも良いが、使い勝手の良い物を好むぐらいの嗜好だとも」
宙を舞うワイヤーは、壱与の指全てに繋がっており彼女の指の動きに合わせ空間を自由自在に動き回りながら、攻撃と防御その両方の性質を発揮し歴戦の剣士たる伊藤を甚振っていた。
伊藤はかなり前から刀の間合いに入る事を諦め、雷のサードアイを利用し斬撃を飛ばしながら戦っているのだが、全て壱与が操るワイヤーによって、去なされ地面に傷を作るか目視で捉えているのか最小限の動きで避けられてしまっており、開戦前の言葉通り遊ばれているとしか思えなかった。
「サードアイ。お前、複数のサードアイを使っておるな?」
ワイヤーの間合いの外から伊藤が尋ねた言葉に初めて、壱与が嘲笑以外の表情である驚きを僅かに浮かべ、それは即ち伊藤の質問が正しい事を物語っていた。
「驚いたな、まさか手の内の一つがこれほど短時間で見破られるとは」
「ふん、さほど驚いてない癖によく言うわ。儂の斬撃を避けられるのが不思議であったが、同じ雷のサードアイであれば何も不思議ではなく、この無数に漂うワイヤー……それを動かしてなお切れぬお前の指、何かしらの硬化可能なサードアイを使っているとすれば辻褄が合う。面妖な鎧の可能性もあるが、それにしてはちと手が白すぎる」
「……なるほど、戦士の観察眼と云うのを舐めていたよ。次からは手袋でもつけるとしよう」
タネがバレたにも関わらず、余裕綽々の笑みを崩さない壱与は懐から煙草を取り出すと、ワイヤーの一本を動かし摩擦熱で火を着け、紫煙をたっぷりと肺に入れてから吐き出し、視線を伊藤ではなく綾人達が居る方角へと向けた。
「……ククッ、そうするなら少しばかり計画を早めてあげるとしよう。感謝しなさいよ音夢」
「何を言って──は?」
伊藤の視線の先で、ワイヤーそれぞれに火が走り、水が滴り、雷が宿り、岩が絡みつくその光景は決して、人の常識では測ることの出来ない未知の天災そのものと呼べる光景が広がる。
「目覚めやすいとされる火を初めとする、基本の属性達だ。ありとあらゆる天災をその身に受けて尚、お前が生き残ると云うのならば厄災との対面も赦してやろう」
その言葉を最後に落とされた天災によって伊藤が立っていた場所、施設は全て地下にあった装置をも飲み込み平地と成り果て、残るものが何も無いのを見届けてから壱与はその場から離れていった。
「──カァ!」
暫くして雷が落ち、砂地の下から伊藤がその姿を現す──為政者はやはり、戦士という生きものを理解していなかった。
必死に伸ばした手は、暗闇に沈んでいく二人に届くことがなく虚空を掴み、それと同時に胸に穴が空いた様な悲しみが押し寄せるのを感じ、下唇を思いっきり噛む事で堪えた。
今はそんな哀愁に駆られている場合でも、悲嘆にくれる場合でもない。
自分の心を強く持ち、自らを律しなければ此処に来る敵に容易く殺されてしまう。
「流石は火の守りの家系。始まりが巫女なだけはありますね、今にも泣きたいのに私を睨みつけますか」
「えぇそうね……心底、此処でアンタを燃やしてあげたいくらい」
壱与と土御門に呼ばれ、日輪と茂光さんに呼ばれたここ最近、全ての厄介ごとの裏に居たであろう黒幕らしい優雅な笑みを浮かべるじゃない。
「ふふっ、折角の雑談だけど生憎、そこまで中々と話をするつもりはないの。漸く、鍵が揃ったのですから」
「綾人をどうするつもり?」
鍵……言葉通りに受け取るのなら、綾人はコイツにとって何かを起こすための重要な要素って事になるわね。
闇のサードアイだけで良いのなら、音夢で事足りる筈なのに綾人を狙い理由は何?
「パンドラと呼ばれた少女の様に箱を開く為に彼が必要なの。人造の鍵では、出力が足りず開けない箱を開く、天然の鍵、それが先森綾人と呼ばれる少年が背負った運命。ふふっ、きっと面白くなるわよ?あらゆる災いが飛び出すその先に、希望は眠っているのだから」
狂気的な笑みを浮かべる彼女の言葉が何一つの理解出来ない。
言葉一つ一つは分かるし、なんとなく伝えたいニュアンスも分かるけどそれを認めたくないと脳が、心が理解を拒んでいる。
「……厄災を呼び出すと言うの」
絞り出した言葉に反応し、彼女は楽しげな笑みを浮かべ満月の様な狂気を、人を人で無くしてしまう様な見ているだけでこちらの神経をグチャグチャに掻き混ぜる瞳で私を見る。
「えぇ!今度こそ、完璧な形で厄災をこの世に降臨させ、愚かな人類を滅ぼしその先で新たな新世界を構築する……それが私の目的よ。残念ね、茂光の坊やは折角のチャンスを、最小の犠牲で済む方法をやはり手に出来なかった!そのせいで、貴女も地獄を見ることになるのだから」
『彼を殺す事を最小の犠牲と呼ぶのなら、それを私は断じて認めない。無論、土御門さんを殺す事も』
「茂光さん!?」
突然のスマホ起動に驚いて変な声が出てしまったわ……恥ずかしい。
「夢物語を語る時間はとうに過ぎたわよ?」
『かもしれない。既に私は後手に回る事を余儀なくされた立場にいるのだろう。だが、それでも貴女の計画の完遂は阻止させて貰おう』
「アッハハハ!通信機越しにしか喋れぬ男に何が出来る?」
『──伊藤』
「ッッ!?」
名を呼んだ瞬間、薄暗い空間に雷が走り私の目の前に傷だらけの伊藤さんが、現れたかと思うと次の瞬間、今まで楽しげに話していた女の右腕が切断され、クルクルと宙を舞っていた。
「すまんな、仕留め損ねた」
『いや、傷を与えればそれで良い。少なくとも、あの傷が回復するまでの猶予を作れた』
一瞬過ぎて全然分からないけど、なんかこの二人の信頼感が感じられて格好いいと思っている自分がいるわ……多分これ、今考える事じゃ無いと思う。
あーもう、さっきから色んな事が一気に起き過ぎて頭が追いつかないわよ!!
『自分の安全を手放すほどの勇気は貴女に無い筈だ。違うかね?』
「……時間稼ぎをして何になると?既に鍵はこちらの手の中、例えそちらが大軍を用意しようと、手駒のアビス・ウォーカーを使えば良いだけのこと」
『彼らの救出策を練る時間、厄災への準備時間、市民の安全確保、後手に回るしかない状況だが確かな時間を確保出来た。それだけでADには十分だとも』
「ならば精々、足掻くと良いさ。所詮は全て、暗き深淵に飲まれるまでの刹那でしかない」
忌々しげな言葉を残し、彼女は暗闇にその姿を消して行った。
伊藤さんが動かないと言うことは綾人達を拉致したとき同様、何かしらの移動手段を使ったのでしょう。
『……飛鳥くん、色々と言いたいだろうが今は戻りたまえ。状況は限りなく最悪だ、少しでも休んでおきなさい』
「はい」
色々と聞きたい事はあったけど、茂光さんの疲れ切った声と悲しみに満ちた声を聞いてしまっては、何も言えるわけがなく私は、伊藤さんを支えながらチラリと綾人が消えた場所を見てからAD本部へと帰るのだった。




