初戦後
「んー……うん、特に身体に異常は無し。良かったね先森君」
俺には何一つとして理解出来ない数値の羅列、それらを見てADの主治医兼主任研究員いうめっちゃ、頭良い事が分かる肩書きを持った桜井 湊さんが笑顔で安全という判子を押してくれた。
「その……日野森の容態は?」
取り敢えず、俺の身体が健康なのが分かったのは嬉しい事だが、毒か何かに苦しんでいた日野森の様子が気になった俺は、思わず自分が喜ぶより先に質問した。
スマホを確認すれば、俺が起きた時点で丸一日は経過してて検査してる間も日野森には会えなかった。
……嫌な想像なのだがもしかして日野森は、身動きが取れないほどの重傷なのではないか?そういう想像が、ずっと俺から離れてくれなかった。
「彼女の容態は安定してますよ。毒の影響はありましたが、蜘蛛型アビス・ウォーカーの毒はどうやら動きを止める事に特化した神経毒であった様で、細胞の壊死なども確認出来ず単なる疲労と、神経毒による麻痺が原因でした。既存の蜘蛛毒に対する血清で対処出来たのは、不幸中の幸いでしたね」
ちょっと何言ってるか分からないが、どうやら日野森は無事な様でホッと息が溢れる。
「彼女の事が気になるのならこのあと、会いに行ったらどうですか?病室はすぐ近くの102号室です」
「……そうですね。行ってきます、ありがとうございました」
いえいえ、仕事ですからと笑顔を浮かべて俺を見送ってくれる桜井さん。
なんつうか、あんなにもずっと笑顔で物腰が柔らかいと和むもんだな……めっちゃ、ガタイの良い人だったけど。
さてと本当にすぐ近くだから、そんなどうでも良い事考えてたら到着してしまった……どうするか?口喧嘩して別れたのが最後だから、凄い気まずい、ノックしようとする手が伸びては引っ込むぐらいには気まずい……
『入って良いわよ。鬱陶しいから』
「うおっ!?ば、バレてたのか……」
そういや俺よりずっと前にアビス・ウォーカー共の相手をしてる歴戦の戦士だったもんな。
気配探知の一つや二つ出来て当たり前か……当たり前なのか?分からん、もう俺の常識はほとんど通用しない場所だし。
取り敢えず、入らない訳にも行かないので扉を開けて入るとベッドの上で、退屈そうにスマホを弄っている日野森の姿があった。
「よ、よぉ日野森」
なんとなく目が合わせ辛いので、彷徨わせると日野森には一切機械の類が繋がっていないのが分かる。
どうやら元気という事に嘘偽りはないらしい。
「……相変わらず外見だけのハリボテね。見舞いぐらい、簡単に来れないの?」
ぐっ……猫被りしてない時のコイツは口が悪いな本当に!早くも見舞いに来た事を後悔したくなる気持ちに駆られていたが、それをぐっと堪えて日野森に近づく。
「なに?任された仕事すら満足に熟せず、アンタに助けられた私に文句の一つでも──「すまなかった」──は?」
言葉と共に頭を下げた為に頭上から日野森の、困惑に似た声が聞こえて来る。
「正直、今でも手が震えるほどアビス・ウォーカーは怖いと思っているし、突然目覚めた力への困惑も残ったままだ。けど、助けてくれた日野森がこんな事になって、漸く俺は理解したよ。やるしかないんだな」
我ながら昨日の今日で、いきなり認識を変えすぎでは?と思うがそれでも、俺の行動で誰かが苦しむ結果になるとこうも分かりやすく示されてしまえば、嫌でも認識を改める他ない。
アビス・ウォーカーへの恐怖が無くなった訳じゃないし、日野森や茂光さん、多分きっと他のADの皆んなみたいに人類の為に!とか崇高な理念を持っている訳でもないけど、もう誰かが俺の為に傷付き倒れて、死んでいくのは見たくないとそう思ったんだ。
「……あっそ。そんな覚悟を持てるなら早くしろって言いたいけど、アンタに助けられたのも事実だから黙っておく。言っとくけど、訓練が始まったら手を抜かないからね」
「……素直じゃねぇなお前」
「なんか言った?」
おぉ……思わず漏れた言葉にそんな視線だけで人を殺せそうな睨みしないでくれよ。
つか、誰だって同じこと言うと思うぞ?俺の謝罪を聞いた上で、まだ半端と呼べる覚悟だろうに、そこに突っ込む事なく視線を逸らしながら、訓練は手を抜かないって宣言するのは自ら鍛えてやるって言ってる様なもんじゃん。
「いやなにも?いつ、退院するんだ?」
「明日には出れる」
「思ったより早いな。ベッドに寝てる姿見ると、リハビリとかそういうのが必要なものだとばかり」
「骨が折れてたり、年単位で意識失ってたら必要でしょうけど……はぁ、本当に馬鹿ねアンタ」
「人が心配してんのにその態度……!友達少ないだろお前!」
「はぁ!?別に居るわよ友達くらい!そういうアンタだって、誰かと連んでるところ見たことないけど?」
「はっ、どうせ猫被りのお前しか知らん連中だろに。やれやれ、これだから偽る事しか出来ない奴は」
こんなに盛大に日野森を馬鹿にしているが、友達が居ないのは事実そうなので全力で無視していく。
授業サボって、色んなところに行ってたら、いつの間にか話しかけてくる奴は俺に喧嘩を売ってくる様な輩しか居なくなっていたという自業自得過ぎてなにも言えない。
「……いつ死んでもおかしくないんだから、友達なんて真面目に作るだけ無駄よ」
「日野森……」
「もう用事は済んだでしょ。早く帰りなさい、先森」
今までの俺と等身大で会話し、ギャーギャーと生産性のない話をしていた日野森とは打って変わり、何処か儚げで病室という場所のせいか、掻き消えてしまいそうな蝋燭の火の様に弱々しく見えた。
……多分、何か声をかけた方が良いのかもしれないが、こいつと出会ってまだ二日程度の俺になにが言える?余計な事を言って、怒らせる可能性の方が高い気がする。
「……おう。じゃあな、日野森。訓練の時、頼むわ」
彼女に背を向けて、病室を出て行く。
チラッと背中越しに見た彼女は、相変わらず儚げな雰囲気を放っており、苦し紛れに言った言葉も今の彼女には届いていないのだと理解した。
「彼の検査結果はどうだった?」
アビス・ディフェンダー──通称、ADと呼ばれる組織は東京の地下に基地が存在しており、その存在は一般には公開されていない。
それには様々な理由があるのだが、最も大きな理由としてアビス・ウォーカーに対しての情報が圧倒的に足りず後手に回る可能性がとても大きいという事だ。
アビス・ウォーカーの出現は今のところ、日本のみとなっているがそれもどこまで信頼して良いのか不明であり、組織として表に出た際に生じるであろう、混乱の全てを対処出来ない為極秘の存在となっている──そんな現状を憂うADの長、茂光 郷は主治医であり、現在パソコンと睨めっこをしている桜井に問いかけた。
「今のところは他のサードアイ覚醒者の方々と比べ、特筆する様な事はありませんね。ですが、それが最も不気味です」
「……そうだな、アビス・ウォーカーに飲み込まれた者は例え、サードアイ覚醒者であっても例外なく死亡している。だが、彼はサードアイを目覚めせ敵を屠ったところか、生きて戻ってきている」
「はい。それに──」
カチカチっと桜井がマウスをクリックすると、パソコンの表示が切り替わり先森が戦っている様子が映し出される。
「連中と同じ、黒い霧の様なものを纏っているのも気になります」
詠唱をし、サードアイの力を引き出した先森はアビス・ウォーカーが身に纏う黒い霧と視覚情報的には、同じにしか見えないものを纏っていた。
これが指し示す事は、先森が使用する力とアビス・ウォーカーの力は同質なものではないか?と桜井は予想立てており、彼の『協力』を得る事が出来ればサードアイ覚醒者達に頼る事なく、既存の兵器で対応出来るのではないかと。
桜井自身、この考えが如何に間違っているかは理解しているが、それでも先森 綾人という一人とそれ以外のその他大勢、どちらかを選べと言われれば後者だと判断してしまう。
「もし、彼の力を解明し人類の物に出来れば今の少数精鋭という方針も」
「桜井」
「ッッ……す、すみません」
だが、その選択を茂光は選ばせない。
彼にとってはサードアイ覚醒者も、そうではない大勢の人達も等しく守るべき対象であり、犠牲する存在ではないのだ。
「今、我々がするべき事は何故、出現の予兆も無しに先森君がアビス・ウォーカーに襲われたのかの原因究明だ。もし、万が一にも予兆が確認出来ずにアビス・ウォーカーが都市部に現れてみろ。市民に多くの犠牲が発生し、我々は揃ってその責任からクビになるだろう」
「……そうですね」
「君の医者のそして、研究者としての知識を私は信頼している。だから、頼むぞ桜井君」
先森達に見せていた柔和な笑顔を浮かべながら、桜井の背中を軽く叩く茂光は、仕事があるからと部屋を出て行く。
残された桜井は手元にあったすっかり冷え切った缶コーヒーを開けて、一口飲みながら画面に映る先森を見る。
「……先森 綾人。君が、この停滞した状況を打破する鍵になると信じて良いのかい?」