過去に向き合う
AD本部にて綾人達が話をしている頃、伊藤はただ一人、その手に白い竜胆の花束を手に持ちながら、都内を一望できる場所にひっそりと建てられた墓へと足を運んでいた。
生前の願いを叶える形で用意した場所ではあるが、老人の足で来るには少々、適していない坂を上りながらその場所へと辿り着くと、持って来たペットボトルの水をその墓へとかける──今日は彼にとって、欠かす事が出来ない大切な人の墓参りの日だった。
「今年も来ましたよ佐々木隊長」
墓に彫られた名前──佐々木 重国の名を呼びながら、ゆっくりと墓の汚れと水気を拭き取り、しゃがむ伊藤はそのまま、備え付きの花瓶にもう一本のペットボトルに入れた水を注ぎ、そこへ持って来た白い竜胆を植え、全体を見ながら見栄えを整える。
「貴方のお陰でまだ、俺は生きています。其方はどうですか?先に行った者達と、楽しく酒でも飲み交わしているのなら羨ましい限りですな」
懐かしい光景を語る様に伊藤はADにいる誰もが聞いた事のない一人称と、今にも消え入りそうな声を何も返す事のない墓へと語りかける。
「こっちは相変わらず、化け物を狩る日々ですが最近、一つ変化がありましてね。一人、若い奴が入ったんですが、これがまぁ昔の俺を見ている様で……佐々木隊長も知ってる軍部にすら顔が効いていたあの日野森相手に真正面から喧嘩を売ったらしく、いやはや何を考えているのか……若いと云うのは向こう見ずで無鉄砲で、どうして見ていてあんなに心配になるんですかね。隊長もそんな気分だったんですか?」
梅雨明けと言えど、未だ何処か湿度を含むじっとりとした風が、伊藤の頬を撫でていき僅かに体温を奪うが、空に輝く太陽の熱がすぐにそれ以上の熱を与える。
「……そいつは今、色々と難しい立場に置かれているんですがね、彼が現れた事であの埒外の化け物、厄災の気配が何処となく濃くなってる気がするんです」
厄災
強力な力を持つアビス・ウォーカーを指す言葉であり、伊藤にとっては自らの命を賭けて復讐したい相手でもある、何故なら──
「──佐々木隊長、貴方が馬鹿をした俺を命懸けで助けてくれた理由はわかりませんが、儂は必ず厄災をこの手で殺します。それがこの愚か者が生かされた理由でしょうから」
──伊藤の大切な人を奪い、自らの愚かさをこれでもかと見せつけられた憎き敵なのだから。
「儂の愚かさを笑ってくださるのなら、どうか見ていてくだされ佐々木隊長。貴方から譲り受けたこの刀が、命を賭して次代へと残した儂が、あの化け物を殺す姿を」
先程までの雰囲気が嘘の様に、怒気と殺気を放つ伊藤の凄まじい威圧感に周囲の木々に止まっていた鳥達は、我先に逃げる様に飛び立っていくのだった。
杖に仕舞われた刀を墓の前に掲げる伊藤の姿は、その雰囲気も相待って鬼気迫るものでありながら何処か痛々しいのだが、それを指摘できる者も気が付ける者も、既にこの場には居らずただ竜胆の花が何処か悲しげに下を俯くだけだ。
「……それでは佐々木隊長。儂はこれで失礼します、次の戦いに向けて身体を休ませなければなりませんので」
ゆっくりと立ち上がり、一歩下がると伊藤はスムーズな動きで墓に向けて、敬礼をすると目を瞑ってから振り向き、背にした墓へと振り返る事なく、その場から離れていくのだった。
「……先森!テストも近いと云うのに寝ている暇がお前にあるのか!」
「うおっ!?……う、うす、すいません」
「全く……む?これはまた珍しいな、日野森、起きろ。授業中だぞ」
「……え?あっ!すみません、先生!」
慌てて起き上がったは良いものの、すぐに船を漕ぎ出す飛鳥……気持ちは分かるぞ、俺も同じくめっちゃ眠いからな……よく音夢は真面目な顔して授業を受けていられるよなってそれもそうか、昨日は特に襲撃とかなかったから、寝ずの番をしてたのは俺らだけか。
あの話し合いの後、例の装置があるところに俺と飛鳥はセットで配属されたんだが、お互いに相手が起きてるのに寝てられるか!って意地の張り合いをした結果が、この日中の抗えない眠気よ……馬鹿だろ俺ら。
「むぅ……綾人の寝顔観察してたのに……」
「それするなら起こしてくれ音夢……」
「だって気持ち良さそうに寝てたから」
そう言って音夢は申し訳なさそうに目を伏せる。
……今此処で、彼女を問い正す勇気が俺にあれば物事は万事解決なのかもしれないけど、そこに踏み込む勇気を俺は持てないでいる。
彼女が俺の事を好いていて、同じ災害の生き残りだからこその執着心を向けている事も分かってはいるんだが……それでも怖いのだろうな、俺の為にと言って誰かを殺していると音夢の口から聞くのが。
「ああやって怒られたくないから今度は起こしてくれ」
「ん、分かった。残念だけど綾人がそうして欲しいならそうする」
そう言って音夢は花が咲く様な柔らかい笑みを浮かべる。
見惚れるほど綺麗な笑顔の筈なのに、俺はそれを直視出来なくてスッと視線を逸らしてしまった──ずっと見ていたら、彼女の美しい顔に真っ赤な血が塗られているのを幻視してしまいそうだったのだ。
「……なぁ、音夢」
「何?」
キョトンとした表情を浮かべながら首を傾げる彼女を見ながら、俺は思わず『どうして俺に向けている優しさを他の人に向けられないんだ?』と言いたくなってしまったが、それをしたら本当に音夢が、言葉も手も届かない何処か遠くに行ってしまう気がして、力なく口から空気が漏れるだけだった。
「……祭り、楽しみだな」
「……うん。綾人との祭り、楽しみ」
「飛鳥も居るからな?」
「むぅ」
唇を尖らせて不貞腐れる音夢に思わず、小さく笑ってしまうとそれを何処か嬉しそうに音夢が見ていた……何か変なことしたか?
「漸く笑ったね、綾人。今日、ずっと難しい顔してた」
本当に俺の一挙手一投足を見ていたんだろうと分かる言葉だった。
お前の事で悩んでたんだけどな……そんな嬉しそうに笑われると心が痛くなる。
「……そうだな、今日はずっとそんな気分だよ」
「そっか……ごめんね、綾人」
急な謝罪に心臓がドキッとするのを感じるのと同時に音夢が、悩んでる俺を見てその悩みに辿り着かない訳が無いよなと納得している俺がいた。
「……明後日、きっと私は現れるから止めたければ、全力で止めに来て。私はもう話し合いで止まれないし、止まるつもりもない。だから、ね」
その先を音夢が言葉にする事はなかったが、何を言いたいのかは不思議と理解出来た。
その方法は俺が彼女に対して望んでいない方法ではあるが、俺にとって最も分かりやすくてやり慣れている手段だったから。
「──分かった。俺はお前の為にも意地の張り合いじゃ決して負けねぇ」
「それは私も同じ」
言葉だけじゃ止まれないのなら、拳をぶつけ合わせて互いの意地を相手に認めさせる……そう、俺が散々やってきた喧嘩の作法と同じだ。
そして約束通り、その日は訪れる。