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お勉強!

「良いか、テストも近いんだから気を抜くなよ。ただでさえ、予定になかった休校で少しばかり日程が押しているんだ。そこで例年なら、赤点を取ったものは補習の時間を放課後に用意していたが、今年は夏休みの一部を使ってミッチリと補習を行うことになった」


「「「えぇーー!!!」」」


 夏休み返上による補習という、遊びたがりな学生達には死刑宣告にも等しい言葉が獅子堂の口から放たれ、綾人達のクラスにいる学生達は皆、大きな悲鳴をあげ無力な抵抗を試みるが、暖簾に腕押し……なに一つとして意味がなかった。


「嫌なら勉強をしろ!補習の対象にならなければ、今まで通りの夏休みを送れるんだ……では、今日も勉強に励むように!」


 今までの担任がアビス・ウォーカーの一件から辞めてしまったので新しく、担任になった獅子堂は絶望の表情で虚空を眺めている綾人をチラリと見て、眉間を押さえながら教室を出て行く。

 朝のHRが終わり、一時間目が始まるまでの僅かな時間であっても、学生達は友人の元へと集まるのは必然であり、見慣れた三人組が形成されるのも当然であった。


「終わった……祭り……」


「綾人の目が死んだ魚みたいになってる……勉強苦手?」


「あー……そっか。土御門が転入して来た時は、真面目に来てたから知らないか。この馬鹿は授業をサボる事に関しては天才的に上手かったのよ。当然、そんな奴が予習復習してる訳もなく」


「……綾人、私が勉強、教えようか?」


 突如として、絶望の淵に立たされた彼にとってその言葉は、正しく自分を苦難から救ってくれる女神の言葉に等しく、死んだ魚の様な目が瞬く間に力に満ちた目になると、凄まじい速さで音夢の手を包み込むように掴み、ぐいっと顔を近づけた。


「本当か音夢!?ありがとう!!本当にありがとう!!神はいた……これで俺は救われる!!」


「ヒャア」


「ちょっと綾人、土御門が聞いたこともない声をあげて固まってるから一旦離れて。そ、それと勉強ならわ、私も教えてあげるわ!家、近いんだし……どっちかの部屋でゆっくりと……」


 突然、手を握られただけではなく、顔まで至近距離に近づけられた事で固まる音夢とそんな彼女に対抗してか、思春期の学生にとっては些か、破壊力の高い言葉をもじもじと告げる飛鳥。

 周囲の空気などいざ知らず、飛鳥の提案に対して返事をしようと顔を向けた綾人の視線の先には、顔を赤くしている飛鳥の後ろに立つ筋骨隆々の男──獅子堂がそれはもう良い笑顔で立っているのが見え、顔を青くしながら周囲を見れば既に他の生徒達は自分の席に座っている事に気がつき……とりあえず、笑みを返しておいた。


「チャイムが聞こえなかったのかお前達は!」


「「「ヒェッ!!」」」


 この後、数学の先生の代理として来ていた獅子堂に、三人とも問題の解答者に指名され続け、ほとんど自力で解けない綾人はその度に、ため息を貰うのだった。







「なんで、この式がこうなるんだ?」


「公式をただ覚えてもダメだよ綾人。その公式の意味を理解しないと」


 放課後、図書館で教科書と睨めっこしながら飛鳥から分けて貰ったルーズリーフに解答を書き、答え合わせで文句を言う綾人に音夢が、横から公式の解説を行なっていた。


「どういう事だ?」


「今更、三角形の面積の求め方で躓かないでしょ?アレは、式自体が単純なのもあるけど、そういうものだと理解しているからすぐに使えるのよ。だから、土御門の言うとおり公式を理解しておくって大事なの」


「うん。補足するなら、理数系って呼ばれる科目は一つの公式から幾つもの公式に繋がるから、どれか一つでもしっかり理解して覚えておけば、後は自分で形を変えれば使える」


「なるほど……つまり、ここの解説を先ずはちゃんと理解しろって事だな」


「応用とかはあるけど……それは追々ね。っと、ねえ、土御門此処、分かる?」


「……此処、前の文で過去形になってるからそこも過去形に変えて」


「あー……なるほどね。全く、どうしてこう英語って似たような形が多いのかしら」


「外国からすると日本語の方がややこしい……ん、綾人、これ何?」


「ん?えーと……信長だから楽市楽座だな。ほら、税を無くして商業を楽にしたって聞いた事ないか?」


「あるかも」


 意外にも、三人で教え合う形は悪くなく、大抵は綾人が頭の良い二人に教わる場面が多いが、啀み合っていた飛鳥と音夢も、共通の目的を持つ事で相互に教え合えるようになり、そこに暗記科目なら得意であった綾人が加わる事で負担が一人に集まらず、また他者に教えると言う勉強法も行えており、三人が顔を合わせている机からは、教える声と筆記用具が動く音が途絶える事はなかった。


 そんな事をしていると時間が過ぎるのは早く、下校を促すチャイムと放送が三人の耳に届き、全員が少しだけ驚いた顔で顔を見合わし、小さく笑い合うと荷物を片づけ、校門へと向かう。


「こんなに真面目に勉強したの久しぶりで、少し頭イテェ……」


「少し分かるわ。私も頭痛い」


「カフェオレ飲みたい……」


 疲れた顔をしている三人だが、その表情には何処か満足感のようなものが混ざっており、三人で勉強した時間を大切なものの様に思っているのが伺える。

 居残りで勉強していた者や、部活動を最後までやっていた者以外はほとんど居ない廊下は三人の声がよく響いていた。


「甘い物……ケーキ、いやアイスも捨て難いな」


「苺を乗せたショートケーキ食べたいわね……紅茶と一緒に」


「私は餡子たっぷりのどら焼き食べたい」


「あー、良いなどら焼き。渋めの茶と一緒に食いたいかも」


「ふふっ、昔と好み変わってないね綾人」


 懐かしい思い出を振り返っているのか、ふんわりとした優しい笑みを浮かべる音夢に綾人は一瞬、返す言葉を迷ったが、すぐに口を開いた。


「そりゃ良かった。ついでに、今の俺はブラックの缶コーヒー飲むのも結構好きだから、覚えておいてくれよ音夢」


「ん、分かった」


 今の綾人にその時の記憶はないが、それを踏まえた上で音夢には今の自分を知って貰おうと綾人は、音夢と同じく柔らかな笑みを浮かべながら返し、その気持ちを汲む様に音夢も頷く、そんな少し寂しいけれど優しい光景を飛鳥は、慈愛の笑みで見守っており、それに気がついた綾人が一歩引いた様な彼女の手を取り口を開く。


「なーに、母親みたいな顔してんだお前?飛鳥も覚えておいてくれよ俺の趣味」


「……はいはい。じゃあ、便乗して私の好きな飲み物は紅茶よ、濃いアールグレイに少し蜂蜜を入れたものが特に好き。土御門は?」


「えっと……一番好きなのは……林檎の炭酸ジュース」


「え、可愛い!アンタ、そんな可愛い好みだったの!?」


 雰囲気から産地にこだわった豆を使った珈琲とか、そういうのを想像してた飛鳥は音夢の子供らしいチョイスに、思わずテンションが上がり、ぐいっと顔を近づけてしまい、音夢から鬱陶しいそうに顔を退かされてしまう。


「……ウザい」


「ハハッ、言われるぞ飛鳥」


「うぐっ……距離感間違ったとは思うけど……そこまで言わなくても」


 そんな学生らしい和やかなやり取りは永遠に続くかと、思われたが下駄箱で靴を履き替え、外に出た直後、終わりを告げた。

 いつかの様に迎えに来ていた壱与が、沈む太陽を背に立っていたのだ。


「あら、随分と仲良くなったのね。音夢」


「……壱与」


 今までの柔らかい雰囲気が嘘の様に硬く、鋭いものに切り替わると冷たい声で音夢は壱与の名前を呼び、それを受けてなお壱与は余裕な態度を崩す事なく、距離を詰めていき空気に呑まれている二人を無視し、音夢の手を取る。


「連絡もなしにこんな時間まで……貴女、分かっているの?」


「煩い。迎えに来たのならとっとと、連れて行って」


「全く、我儘なお姫様ね。それじゃあね、先森君に日野森さん」


「あ、ちょっ」


 去っていく音夢の無表情を見て、声をかけようとした綾人であったがその声が届く事はなく、二人は歩いていき黒い車へと乗り込む。

 邪魔者が誰も居なくなった密室で壱与は、後部座席に座る音夢を見ながら口を開く。


「『お友達ごっこ』は楽しかった?悪い女よね、貴女も」


「……今度は何をやらせるつもり?」


「余裕がない女は嫌われるわよ?」


「早く」


「はいはい。少しだけ時間をかけて……そうね、祭りが行われる頃には終わると思うけど、蟻のアビス・ウォーカーを使って、これから言う三箇所を襲撃して来て──それで、彼らは丸肌。堀を失った城に成り果てるわ」


 そう言って嗤う壱与に音夢は何も言葉を返す事はなく、ただ黙って視線を外に向け、そこにあった『拝火祭』というチラシを見て、僅かに苦しげな表情を浮かべるがすぐにいつも通りの無表情へと戻るのだった。


 悪意は止まる事を知らず、やがて暖かな友情も、煌びやかな青春も、優しい愛も、全てを飲み込み深淵へと彼らを飲み込んでいくのだろう。

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