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日野森飛鳥

「……全く、余計な邪魔が入りましたね。休憩はそこまでですよ剣。さぁ、もう一度、あの火を見せなさい」


 御老公が何かを言っているけど、今はそんな事を気にしている余裕はない。

 何も言わずに立ち去ったのに……アンタなら、友達と言ってくれた私を必ず助けようとしてしまうから何も言わず、此処には私が自分で望んで来ていると、思わせた筈なのに……どうして来ちゃうのよ先森。


「……その目、感情と欲望に満ちた人のする目、先程までの無機物らしい目と違う。どうして、貴女はそこに戻ってしまうのです!!護国の剣として、人々を照らし導く火の守りの役目を担う巫女……それが私達、『火ノ守』!!人の感情など不要だと教えた筈です!!」


 俯いた私にも分かるほど、祀り場全体が明るく照らされていく。

 いつも、無表情で座り私達の事なんて、どうでも良い様に見下ろしていたあの御老公が、怒りにその身を焼いている……それが堪らなく恐ろしくて顔を上げる事も逃げ出す事も出来なくなる。


『……俺を助けてくれてありがとうな。また、お前と肩を並べて戦える日を待ってる……イテテ』


 怖くて、怖くて、震えが止まらなくなったその時、ギュッと瞑った瞼の裏側に彼はいた。

 私の様に特別な役目を背負っていなくても、アビス・ウォーカーの脅威から名も知らぬ誰かを助けようと、その身がボロボロになるまで鍛えている彼の姿が。

 筋肉痛のせいで、酷く格好が悪い姿だったけど、今の私はきっとそんな彼より格好悪い姿だ、言いたい事も言えず、やりたい事も出来ないそんな私を、彼は待っている?……ううん、それは違う!


「漸く立ち上がる気になりましたか。では、始めますよ剣」


「──違う。私の名前は、剣なんて名前じゃない」


「──なんですか?」


 ただ言葉を返されただけでギュッと心臓が握り潰されるみたいな苦しさを感じ、呼吸が短くなり言葉が上手く紡げなくなる……それでも、それでも私はこのまま格好悪い自分で居る事が許せない!!


「私の名前は、日野森飛鳥!!拝火学園に通う、二年生!!──ただの人間よ!」


 あいつが待ってる私は、日野森の令嬢でも、次期当主でも、護国の剣でもない──ただの人間、日野森飛鳥、肩を並べられる友達!


「……日野森の者が、人間らしく生きるなど……そんなものは許されて良い訳がない!!」


 蝋燭に火が着き、その燃え盛る勢いは一気に蝋燭を溶かしていきそれでも、サードアイの力で生み出された火が消えることはなく、轟々と音を立てながら辺りの温度を上げていくこの光景は、完全に私と御老公の道が分たれた証拠でしょうね。


「もう良い。貴女には、期待しません、即刻、次代を産む母体になって貰いましょう」


「はいそうですかって、簡単に従う良い子の飛鳥は、もう居ないわよ!」


 とは言え、今の私じゃ疲労困憊過ぎて真正面から戦っても、勝てる訳がない……相手は腐っても、現人神と崇拝される程のサードアイの使い手。

 まずは、先森との合流を──


『だからって、娘の笑顔を奪うのが親父の選択かよ!!こんだけの強さがあるなら、降り掛かる理不尽から守ってみせろよ!!』


「先森!?もうここまで来てるの?」


 しかも戦っている相手はお父様……あの人は、うちの一族でも生粋の武闘派……早く助けに行かなくちゃ──


『それしかなかった……人の生き死になぞ、簡単に操れるこの家で愛した女と娘を守る為には、個人の感情なぞ捨てなければならなかったんだ!!』


 ──え?

 あのお父様が……私が何をしても褒めてくれない、嫌味ばっかりのあの人が私を愛している?

 嘘だって思いたかったけど、外から聞こえてくる低い声はいつもの冷淡な、声の何倍も感情が強く込められたまるで、燃える火のような熱を持っていて、それが嘘だと私には思えなくて、気が付けば涙が流れて来ていた。


『俺が……俺の選択があの子を苦しめている事など、何年も前から知っている……それでも、俺にはこうするしかなかった!!特別な力も何も持ってない俺が、飛鳥と翔子を守る為には、全てを手放す覚悟が必要だったんだよ!!』


 お父様はずっと、分かっていたんだ、私を苦しめている事が。

 それでも、サードアイの資質が全てのこの家で力の持たないお母さんと、幼い私を守る為に全てを投げ出して……愛している娘に嫌われる事も厭わないで、ずっと一人で戦い続けていた……


「あ、あぁ……ああぁ……それなのに私は──」


『おとうさんなんて、嫌い!!』


『……分かっています。役目は果たします』


『……』


 酷い言葉を……他人行儀を……最近は、碌な会話すらしていなかった!!

 怖いと思っていたあの人の背中にずっと、守られていたなんて気付く事もなく……もう何年も前からお父様の前で、笑っていない……ううん、それどころか顔も碌に見ていない……私は親不孝な事をしていたのに……


「お父様が……私を愛してくれていた……その事実がこんなに嬉しいなんて……!」


 止まることのない涙を拭う事なく、もはや御老公の事など微塵も頭になかった私は、全身を駆け抜ける衝動に従って、彼女に背を向けて後ろの襖へと、全力で走り勢いよく襖を開き、沈みかけている夕陽に照らされながら崩れ落ちそうになっているボロボロな二人に向けて、両手を広げて抱き着いた。


「お父様!!先森!!」


「「うおっ!?」」


 ふふっ、二人揃って同じリアクションをしながら、私を抱き留めどさりと力なく尻餅をつくのが、なんだかとても面白くて、泣きながら笑う。


「日野森!!無事か?何処か、怪我とかしてない?」


「大丈夫よ!!ふふっ、むしろ、心配するべきは私の方じゃない?先森」


 いつも自分の状態なんて関係なく、すぐに周りを心配するんだから──でもありがとう、そんな貴方だから私はこうして、ただの女の子で居ても良いんだって思えた。

 きっと、先森とこんなに仲良くなっていなければ私はずっと、日野森の剣のまま人ではないナニカとして、生きることになってたと思う……だから、勇気が出た時に改めてお礼をさせてね。


「うぐっ……だってよ、お前の親父さんめっちゃ強くてさ……」


「えぇ。だって、私のお父様だもの。強いのは当たり前でしょ、ねぇお父様?」


「あ、あぁ……そうだな」


 ふふっ、私も同じ立場だったらそうやって目を丸くすると思う。

 本心で話をするなんて、いつぶりかすら分からないけど、伸ばした手じゃ到底、回しきる事が出来ないこの大きな背中にずっと守られてきたんだって漸く、理解したから改めて言わさせて。


「──ありがとうお父様。ずっと、私を守ってくれて。でも、一回くらいは素直に頭を撫でて褒めて欲しかったな」


「お前聞いて!?──いや、そうか、そんなに大きな声を出していたか俺は」


「えぇ。今までの態度がまるで嘘みたいに……本当に信じられないくらい熱い声が聞こえたわ」


「ハハッ、折角グラサン着けてまで怖い親父さん演出してたのに、バレちまったな!」


「元はと言えばお前が……ええい、これは何を言ったところで俺が辱めに合うことに変わりはないな」


 そう言って顔を赤くしたお父様はそっぽを向いてしまった。

 けど、掠れるような小さな声で「……すまなかったな飛鳥」と言っているのはしっかりと聞き取れたからね。


「──飼い犬に手を噛まれるとはこの事か。妻と娘の自由の代わりに、私の命に絶対という契約を交わしたというのに。貴様すら、この私を裏切ると」


 暖かな空気を裂くように、それほど大きな声ではないのに、祀り場の中から御老公の言葉が聞こえてきた。


「……俺は常に翔子と飛鳥の為に動いていただけだ。貴様の犬になったつもりなど初めから無い」


 お父様が立ち上がりながら言葉を返すと同時に日が沈み、辺りが暗くなると同時に今まで以上で燃え盛った火が祀り場を飲み込み、まるでキャンプファイヤーの様に炎上していくが、その火の中であっても相変わらず御老公は、座したままだ。


「そうですか──では、侵入者共々、死になさい。火よ、燃えたぎれ」


 うねりを上げて、祀り場ごと燃えたぎる火が方向を変えて私達に迫ると同時に、私の両隣に居た人達が動き出した。

 

「飛鳥!」


「闇よ!!盾となり、我が味方を守りたまえ!!」


 逞しい腕に抱き締められると同時に、安心する黒い闇が私達を包み込む。

 少しでも舞う火の粉から私を守ろうとするお父様と、私達を守る為に高温の火を防ぐ先森。


「──闇の奇跡を使いますか」


 見事に火を防ぎきり、周囲へと溶け込んでいく闇を見ながら御老公は、憎々し気に呟いたけど、そんな事より私は鼻をつくタンパク質が焼ける嫌な臭いが、気になって先森へと視線を向けると突き出していた右手に火傷を負っていた。


「先森!!」


「心配すんな日野森……こんなのお前が使う火に比べたら、全然熱くもなんともねぇ!!」


「……なんですって?」


 不服そうな声を漏らす御老公を先森は、火傷を負った手で痛いはずなのにそんなものを感じさせない動きで、指差した。


「お前がどんなに凄い奴か俺はしらねぇけど、お前の火はただ苦しいだけで日野森みたいに、心の底から安心出来る暖かい火じゃねぇ!!俺からすりゃ、お前の火より何倍も、何億倍も、何兆倍も!!日野森が使う火の方が好きだ!!誰かを苦しませるだけで、笑顔に出来ない力なんて……そんなもん、コイツには似合わねぇ!!」


「……さきもりぃ……」


 『今』の私を肯定してくれるその言葉にスッと胸が軽くなるのを感じて、また涙が溢れて出てきてしまう。

 拭っても、拭っても止まる事がないその涙は、とても暖かくて……今の私だけじゃなくて、今までの私もそして、これからの私も救われた気がしたんだ。

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