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父親の覚悟

「ふっ!」


「……」


 まるでリングの様に取り囲む日野森の者達を尻目に、先森と律騎は同時に相手に向かって走り出し、距離を詰めると先に間合いに入った先森が鋭い左ストレートを顔面に向けて放つが、律騎はそれを軽いフットワークで先森の内側に入り込みながら避け、手の力だけを使った最速パンチを先森の顔に向けて放つ。

 顔に来た攻撃は、最も本能的に防ぎに動く攻撃のため、先森はそれを右手の手のひらで軽く受け止めるが、その次の瞬間に、律騎の親指が下に行くように向きを変え、防ぎに来た先森の手を掴むとそのまま、流れる様な重心移動と体捌きだけで、地面に向けて体勢を崩させる。


「このっ!」


 右足を倒れる方向に踏み込む事で、体勢を維持すると同時に浮いた左足を大きく回し、律騎を蹴ろうとするが一歩、下がられ避けられてしまうが、一度状況をリセットした事で先森自身も追撃をされず、再び両者は至近距離で睨み合うと、今度は律騎の方から右ストレートが放たれる。

 右手ではたき落とすと、同時に左ストレートを放つ先森だが、自身がやったのと同じようにはたき落とされ、引き戻されていた右ストレートが再び、飛んでくる。


「おらっ!」


 右ストレートをギリギリまで防がずに、自分の内側へとわざと引き込みながら、律騎の内側にその身を滑り込ませると、一本背負の形で律騎を投げ飛ばそうとする先森だったが、重心移動からその目論見がバレており投げる瞬間に律騎が自身の後方へと重心をズラした事で、攻撃は不発に終わりその隙を突かれ、首元に左腕が回され締め上げられる。


「がっ……ぐっ……(ヤベェ……こいつ、強い!!)」


 内心で律騎の強さに驚く先森であったが、首を絞められてなおその闘志が色褪せる事はなく、即座に首に回された腕に体重を乗せながら、顎を律騎の肘と同じ方向に向け呼吸を確保し、即座に律騎のアバラ目掛けて何度も肘打ちを行う。


「……ぐっ」


「今だ!」


 僅かに拘束が緩んだ瞬間に、その隙間を縫って抜け出し距離を取りながら、喉を抑えながら軽く咳き込む先森。


「なるほど……我流だが、押さえるべきところは押さえているらしい」


「散々、警官達に扱かれたからな!」


「そうか」


 スッと構え直す律騎に応じる様に先森も構え直す。

 二人の戦いに呑まれているのか、周囲に多くの人が居るというのに話し声や呼吸の音の一つすら、先森の耳には届いておらず、ただ向かい合う律騎が放つ殺気と、二人の間を流れる風の音だけがその耳に届いており、それは対面する律騎もまた、同じ状況だった。

 

「「……ふっ!!」」


 短く息を吐き、二人はまたも同時に駆け出し──次の瞬間には、今まで以上に動きのキレが増した律騎の鋭い右ストレートが、先森の顔面を完全に捉えた。

 右頬に衝撃が走り、視界がぶれ、熱を感じたかと思った瞬間、先森の腹部には律騎の左膝がめり込んでおり、体中の空気が口から溢れでる。


「カハッ!?」


「……手加減は終わりだ。所詮、お前は世界を知らない子供だったということだ」


 構えも何も無くなった先森の無抵抗な腕を掴み、先ほどの先森がやりたかった背負い投げで、先森を地面に叩きつけるのではなく、遠くへと投げ飛ばす。

 どうにか受け身を取りながら、転がる先森であったがその衝撃とダメージは、抜けておらず気合いで立ち上がるが、フラフラと視界が揺れてしまっていた。


「……まだ、立つか」


 そこへ乱れたスーツと、サングラスを直しながら律騎が歩いて近づいていく。

 彼は先森の目を見て、焦点が定まっていないのを見抜いたが、倒れたままを良しとせず立ち上がってみせた先森への警戒心を一切、抜く事なく追撃の回し蹴りを放ち、先森を蹴り飛ばした。









──クソ強いな……日野森の親父。

 伊藤の爺さんや、警官達との訓練、アビス・ウォーカー達との戦いで俺も、喧嘩しかしてなかった頃よりは、強くなってる筈なのに、ボロボロじゃねぇかよ……くそっ、口の中に入った砂利が鬱陶しいな……口も切れたのか血の味がして不味いしよ。


「……これで四度目だ。本気で、蹴り殴り飛ばしている筈だが、何故、お前はそうまでして立ち上がる」


 あー……もうそんなに吹っ飛ばされてたのか俺……道理で、入った時は少し離れてるなと思った祀り場だっけか?それが、そこそこ近くにある訳だわ。


「……俺は、翔子さんと約束して、日野森の奴を助けに来たんだ……こんな所で、寝てる訳にはいかねぇんだよ」


 気合いを振り絞り、再び構える。


「なぁ……ちょっと、質問があるんだがよ……アンタ、なんでこんなに強いのにアイツを守ってやらねぇんだ?」

 

 殴り合いをして、この親父の強さは身に染みるほど理解した。

 けど、だからこそ疑問があった──此処まで、鍛え上げた人間が何故、自分の妻と娘を遠ざけているのか。


「アンタ、ただの暴力好きとかそういうのじゃねぇだろ?……ただの勘だけどよ、アンタは守るために力をつけたんじゃねぇのか?」


 口には出さないが、翔子さんと会った時にこいつが言ってた『それが君の賭けか?』ってセリフも、今に思えば妙に引っ掛かる。

 翔子さんは、日野森を助けるために俺を選んだ……つまり、この親父がこの家に日野森を縛り付けようとしているのも、何かから日野森を救おうとしているんじゃないか?


「……お前に何が分かる?」


「あ?」


「奇跡と呼ばれる力を使えるお前に、ただの人間でしかない俺の何が分かる!!」


 その言葉と共に放たれる右ストレートは、俺の顔面をしっかりと捉え、その強さが吐き出された言葉が本心より曝け出されたものだと分かって、無性に腹が立った。


「しらねぇよ……けど、アンタが日野森を悲しませる選択をした事だけは分かる!」


 漸く、俺の拳が日野森の親父の顔面に当たり、その衝撃で奴がかけていたサングラスが宙を舞い、怒りに染まった日野森の親父の瞳が顕になった。


「俺だってそんな事は当の昔から知っている!!だが、日野森という一族に力を持って産まれてしまったあの子を、強く、逞しく育てなければならなかった!!それが結果的に、飛鳥の生存に繋がると信じて!」


 鼻っ面を勢いよく殴られ、鼻血が溢れる。

 鬱陶しいそれを拭いながら、お返しに日野森の親父の顔面を真っ直ぐ、ぶん殴る。


「だからって、娘の笑顔を奪うのが親父の選択かよ!!こんだけの強さがあるなら、降り掛かる理不尽から守ってみせろよ!!」


「それしかなかった……人の生き死になぞ、簡単に操れるこの家で愛した女と娘を守る為には、個人の感情なぞ捨てなければならなかったんだ!!」


 同じ様に鼻血を拭った日野森の親父が、聞いてるだけでも分かるほどの悲痛な叫びと共に今度は、俺の左頬を殴り飛ばす。

 ……俺は全然、この家の事なんて知らないし、アンタが見てきた無慈悲な現実も味わってない……けどよ、友達がそこで苦しんでるってのに、黙って見て見ぬふりなんて出来ねぇんだよ!!


「ADに……俺達に預けるって選択だって、取れたはずだろ!!」


「お前らの組織がこの家に取り潰されない保証が何処にある!?」


「保証とかなんとかしらねぇよ……けど、俺は友達を見捨てる選択はしねぇし、あの人達もそう簡単に諦めたりしねぇよ!!そん時、出来る全力の足掻きをしてやる……今みたいにな!!」


 左のアッパーで日野森の親父の顎を勢いよく殴り飛ばすと、脳が揺れたのかその場でたたらを踏む。

 俺には到底、想像できない様な苦しみがこの親父さんにはあったのだろうけど、ただ一つだけ気に食わない事がある。


「俺が……俺の選択があの子を苦しめている事など、何年も前から知っている……それでも、俺にはこうするしかなかった!!特別な力も何も持ってない俺が、飛鳥と翔子を守る為には、全てを手放す覚悟が必要だったんだよ!!」


 何度か、頭を叩き揺れが治ったのか、苦痛に満ちた顔で俺を睨みつけながら、叫ぶ日野森の親父さんを見ながら、全力で走って距離を詰めていく──そう、気に食わないんだ俺はこの人のこの──


「──悲しい覚悟を!!親父が決めるんじゃねぇ!!親父ってのは、何がなんでも近くで家族を守るもんだろうが!!」


 クロスカウンターの形になる様に、互いの拳が相手の顔面へと突き刺さる。


「──俺は……どうすれば……良かったんだ?」


「……娘が笑える様に、足掻いて……足掻き抜けば良かったんじゃねぇか?」


「笑顔か……はっ……何年前から見てねぇかな……」


「だからダメなんだよ……」


 互いに文句を言いながら、俺達は同時にその場で崩れ落ちそうになり──


「お父様!!先森!!」


 祀り場から涙を流しながら、飛び出してきた日野森に仲良く抱き締められる事となった。

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