先生
カードキーを使って部屋の入り口を開け、先に翔子さんに入って貰ってから不審者が近くに居ないか、確認してから扉を閉める。
そういや、普段は全然気にしてなかったけど、漫喫なのに全室カードキー付きで扉も、割としっかりしてるって此処、結構金をかけてるよな……その割には仕事する気感じられないけど儲かってるのか?
「って、そんな事はどうでも良かった。翔子さん、水気取れたっすか?」
「あ、うん。取れたよ……それにしてもよくこんな場所知ってたのね」
「まぁ、よくサボるんで。それに此処は、常連以外ほとんど利用する人も居なし、店主も見て貰った通りの人なんで、逃げ込むのには便利っすよ」
うーん……やっぱり、ザッと拭ける範囲の水っ気を取っても、着てる服が濡れてると少しばかり気持ちが悪いな……とは言え、翔子さんもいる状態でいきなり脱ぐわけにもいかないし、これくらいは我慢しよう。
「……確かに此処なら、彼らの心配をしなくて良いかも。ねぇ、先森君、少しだけ話を聞いてくれる?」
「初めからそのつもりっす。あ、近くに座りますね」
そこそこ広いとは言え、所詮は漫喫。
手や足を大きく伸ばせば、当たってしまうぐらいの近さになってしまうが、ずっと立ってるのも落ち着かないし翔子さんの近くに座らせて貰う。
「……日野森がどういう家かは前に話したから、知ってると思うのだけど、今、その本家と呼ばれる場所に飛鳥が囚われているの。一族を支配する大婆様と、その側近ぐらいしか立ち入ることの出来ない祀り場にここ最近ずっと……」
「通りで連絡がない訳だ……それで、日野森の奴は無事なんすか?」
俺がそう尋ねると翔子さんは、下を俯き震え出す。
「……翔子さん?」
「……ある人に手伝って貰って、家を逃げ出した時はまだ、大婆様の怒りの声が祀り場から聞こえてたから、大丈夫だと思う……具体的な期間は私にも分からないけど……可能な限り急いだ方が良いと思う」
一度、そこで言葉を区切った翔子さんはまるで、口にしたくない事をしなければならないのか、何度か聞き取れないぐらい小さな声で嗚咽を漏らし、ただでさえ震えていた声が更に震え声となる。
……早く、続きが聞きたいが、こんな調子の人になんて言葉を掛ければ良いんだよ……
「……翔子さん」
名前だけを呼ばれて、ビクッとした後に彼女はゆっくりと顔を上げ、泣きそうになっている顔で俺を見た。
「急がないと……あの子は、誰かを好きになる前に……ううん、自分の人生すら決められずに……顔も見た事ない誰かの子供をその身に宿す事になる……情けないお願いなのは、分かってる……でも、もう私には君しか頼る選択肢がないの……お願い、あの子を……助けて……」
日野森の家に一時的に厄介になっていた時から……いや多分、その前からずっとこの人は、自分の娘に不幸が降り掛かる事を予想していたんだろう、だからあの時も俺に頼み事をして日野森の奴を、家から遠ざけようとしたんだ。
黙ったまま、俺は翔子さんの両肩に手を乗せて泣いている目を見る。
「一つだけ聞かせてください。アイツは、どうしてそんな家に戻ったんですか?……アイツは俺と違って馬鹿じゃない。だから、戻ればどうなるか予想していた筈だろ?」
「……逆らえないの。昔からずっと……トラウマとして刻み込まれた恐怖は……容易く人を縛ってしまうの。けど、あの子はそんな恐怖を抱えながら、一度だけ……たった一度だけだけど、大婆様の意思に逆らおうとしたらしい……私はあの子が笑って過ごせる場所で生きて欲しいの」
……トラウマか、俺も同じく縛られているからよく分かるよ。
すげぇな……アイツはそれに一度でも逆らおうとしたのか……なら、俺がするべき答えは決まっている。
「日野森の奴との約束があるんです。楽しい事も、面白い事も一緒に見つけて、やりたい事を見つけたら応援し合う……そんな友達になろうって。だから今、アイツがこの先も笑えなくなるって云うなら、友達として助けに行きます!」
あの日、水族館で誓った言葉と思いに一切の偽りはない。
俺はアイツの友達で、アイツが本当に望んだ事なら死ぬ気で支えるつもりだったけど、そうじゃねぇって言うなら、一人でどうしようもなくなっているのなら、手を伸ばしに行く……それが友達ってもんだろ日野森?
「そうと決まれば善は急げだ!翔子さん、案内を!」
「待って!場所は、此処から離れた長野県の山中なの!!それに公共交通機関は、いつどこで家の人らが見張っているか……」
「……マジっすか」
勢いよく立ち上がったは良いものの……どうすんだ?
当然、俺は車の免許とか持ってないし……多分、走って逃げてた翔子さんも途中で乗り捨てたかそもそも別の手段で逃げてたかだろうし……ADの人らも説得するのが難しい……他に誰か頼れる大人は……
「あ」
居るじゃねぇか、多分、ちょうど暇してて説得はちょっと難しいかもしれないけど、生徒の為なら誰よりも親身になってくれる人が!
「頼れそうな人に心当たりがあるんで、ちょっと電話します!」
翔子さんに断りを入れ、俺はスマホを取り出しとある人物へと電話をかけた。
「ん?電話かって、先森の奴からだと?珍しいな」
臨時休校でズレた分の授業をどう調整するかと、机の上に広げられた書類達と睨めっこをしていたその辺のアスリートと見比べても、何一つ遜色のない肉体を持つ教師──『獅子堂 雄二郎』は着信と共に、名前を表示する画面を見て目を丸くしながら、その手にスマホを取り職員室を出てから通話をタップした。
「どうしたさき『良かった繋がった!!なぁ、獅子堂!ちょっと頼み事があるんだが』──俺の鼓膜を破壊する気かお前は。それと、俺は教師だ、少しぐらいは敬語をだな」
『今、説教を聞いてる時間はないんだって!!』
「……なんだ、話してみろ」
自分を毛嫌いしていた先森が、説教から逃れる為の言い訳ではなく、声を荒げてまで頼みたい事柄に厄介ごとの空気を感じ取りながらも、獅子堂は教師として生徒の言葉を聞こうと、続きを促す。
『俺とあと、もう一人居るんだけど、その人を獅子堂の車に乗せて長野まで連れて行って欲しいんだ!』
「長野に、何故だ?それに今、生徒達には不要な外出を避けるように連絡してある筈だ。先森、お前は何の為にわざわざ俺を使ってまで、長野に行こうとする?」
化け物──アビス・ウォーカーに関して、一切口外するなと契約書を書かされた為、教師陣は休校の理由を工事と偽りそして、生徒に危険が及ばぬよう外出を避けるように連絡していたのだが、アビス・ウォーカーに関わる側だった先森は、綺麗すっかりそんな連絡忘れており、僅かに電話の向こうで困った声を出すが、すぐに真剣な声が聞こえてきた。
『──友達を助けに行きたいんです。でも、そこはあまりに遠くて、時間もない今、俺は先生に頼るしかないんです。詳しい事情は、先生の為にも言えないんですけど、お願いします獅子堂先生』
その声は今まで、先森 綾人という問題児とずっと接してきていた獅子堂ですら、聞いた事がないほどの真剣な声であり、そこに獅子堂という個人、あるいは教師に向けられた確固たる信頼がある事に彼だからこそ気がつけた。
「……たくっ、そうやって敬語が使えるなら最初からちゃんと使え先森」
『へへっ……今回限りっす』
「馬鹿を言うな全く──何処に迎えに行けば良い?」
──全く、本当に子供というのは成長が早いものだな、先森。