雨の中の出会い
「はぁ……はぁ……はぁ……」
突如として、出現したアビス・ウォーカーによって被害が出る前からずっと、日野森 飛鳥は本家の祀り場にて、飲まず食わずのまま、碌な睡眠も取らずに自らの力を用い、火を起こし暗闇を照らしながら座禅を組んでいた。
拷問とも呼べる修行を彼女は四日間続けており、普段は欠かさず手入れをし痛みから程遠かった髪は、ストレスと疲労からボサボサになっており、目には深い隈が浮かび上がっていた。
「──そこまで。これで、事前準備は終わりとしましょう。風呂と食事を許可します。朝日が昇ってくるより前に、再びこの場に戻る事、良いですね」
その修行を監視していた美沙希の冷たい声によって、休憩の許可がされるが現在の時刻は、6:00丁度であり彼女に与えられた時間は、僅か三十分程度のものであり、今日までの長過ぎる修行時間には決して見合っていないのだが、飛鳥は反論するだけ無駄な事を理解しているために、何も言わずに祀り場を出て可能な限り、早足で風呂場へと向かう。
「……」
フラフラと足元のおぼつかない彼女の背中を、何か言うまでもなく父親である律騎はサングラスの奥にある瞳で、一瞬だけ見て、小さく口を開いたが結局、何かを言うこともなくその場を立ち去った。
「……はい。無論、そのつもりです……えぇ、分かっています。そちらに不都合は……分かりました」
カチャリと備え付けられた電話を戻し、茂光は背もたれに全身を預けながら眉間を揉みながら立ち上がる。
とある目的のために交渉をしていた彼は、漸くその疲労と胃痛から解放され、とりあえず砂糖たっぷりでミルクも足したカフェオレでも飲もうと、備え付けのコーヒーメーカーにブラジルから取り寄せた豆を入れようと歩き出した直後、廊下から騒がしく走る足音が聞こえ、自身の安息の時間が消し飛んだ事を自覚した。
「茂光さん!今度こそ、教えてください!!」
「ちょっと、先森君!」
扉を荒々しく開けて入って来たのは、案の定先森であり昨日の戦いで傷付いた頬に、絆創膏を貼った状態で桜井の静止を振り切って来たのか、彼まで一緒だ。
「……戦いの前にも言ったが──「俺はアイツが、此処にちゃんと戻ってくるのかどうかだけ知りたいんだ!」……先森君、申し訳ないが私の方でもそれは断言出来ないんだ。無論、戻れる様に最善は尽くすが、覚悟はしておいて欲しい」
心苦しそうに告げる茂光の姿に、先森は何かを言いたげにするがぎゅっと目を瞑り、両手が白くなるまで力んだ後、目を開き来た時同様に部屋を飛び出して行く。
「先森君!」
「良い。彼の好きにさせたまえ」
「ですが……彼女の本家に逆らう真似をすれば……」
日野森の家がどの様なものか知っている桜井は、茂光の判断に苦言を呈するが、茂光本人は慣れた手つきで珈琲を淹れ、そこに砂糖とミルクを入れながら真剣な声で話す。
「時代は移ろいゆくものだ。彼が来てから、停滞していた時代が動き出したのは君も感じているだろう?」
「……それはまぁ、確かに」
「あの家は古くより、この国を守り続けた言うなれば、我々の大先輩と言えるだろう。だが、この黒く苦い珈琲が砂糖とミルクによって、白く甘い飲み物になる様に、より広くに親しまれるものへと変わる時が来たのかもしれない……そう信じたいのさ私は」
クルクルとティースプーンでかき混ぜ、カフェオレを完成させた茂光は話終わると同時に、一口飲み数回小さく頷いた。
「はぁ……分かりましたよ。それが貴方の方針なら従います。ですが、少々、砂糖を入れすぎでは?身体を壊しますよ」
確か血糖値上がってましたよね?と続ける桜井に、茂光はウッと声を漏らしながら視線を逸らし、その先に飾られている恩師、日輪と同期達と共に写った写真を眺めながら、もう一度カフェオレを飲む。
「……ところで、桜井君。例のモノはどうかね?」
「そうですね……試作品第一号が完成まで、あと少しと言った感じでしょうか。しかし、実際に使用可能かどうかはかなり入念にテストをしなければならないかと」
「そうか。その調子で可能な限り急いでくれ」
──使う日が来なければ良いのだがと、茂光は口に出したかったが己の勘がそれを許さず苦しい思いと共に、甘いカフェオレで飲み込むのだった。
AD本部から飛び出した俺は、そろそろ雨が来るのか梅雨らしくどんよりと沈んだ空の下、歩いていた。
「クソッ……何処に行ったんだ日野森」
何処にいるのかすら分からない人を探したところで、見つかる訳もなくやがて、ポツリポツリと降り出した雨の中、事前に傘を用意していなかった俺は行くべきところなどアテもなく、どんどん濡れながら歩き続け、少しだけ冷静になった時には雨が本格的に降り出していた……流石にもう帰るか。
「……見つけた!!」
「ん?」
降り頻る雨の中、聞き覚えのある声に顔を上げれば俺と同じ様に全身を濡らしている日野森のお母さん──翔子さんが、必死の形相で俺の元へと走ってくる姿があり、正直ちょっとビビった。
「ちょっと良かった日野森は──」
「今はごめん!とりあえず、着いてきて!」
日野森の事を聞こうとして口を開いた俺の手を、翔子さんは掴みそのまま走り、その力が予想外に強く引っ張られた俺はバランスを崩しながらも、走る彼女に速度を合わせて横に並ぶ。
「先森君、この辺に泊まれそうな場所ってある?出来るれば、安いところで!」
「いきなりなんなんっすか!?俺は……待ってください、あの男達が原因っすか?」
俺達のかなり後方に、黒服の男が四名、同じ様に傘を差さずにキョロキョロと周囲を見渡しているのを見つけた俺は、少しだけ声を抑えて問いかける……漫画かアニメの世界だけかと思ってたぞこういうシチュエーション!
俺の声を聞いて、驚きながら後ろを見てこくりと真剣な表情で頷く翔子さん。
なるほどね……兎に角、色々とやばい事態ってわけか……この辺ってなるとあぁ、あそこが良いか。
「こっちっす!」
翔子さんの手を引っ張って、俺は裏路地へと入りそのまま、迷路の様に入り組んでいる道を抜け大通りから少し離れた場所に、ポツンと立っている全体的に茶色で統一された漫画喫茶『晴活クラボ』の扉を開けて、中に入る。
「……いらっしゃい」
慌てて飛び込んできた俺達に少しだけ、驚いた顔をしつつもすぐに手に持っている新聞へと視線が戻る見慣れた店長さんの、覇気のない声に安心する。
個人経営なのかよく分かんないけど、此処は俺が授業をサボってたりする時に使う場所の一つでいつ来ても、白髪の兄ちゃんが、やる気無さそうに煙草を蒸かしながら、新聞を読んでいる場所だ。
「部屋、空いてます?あと、タオルとか借りても?」
「……タオルならそこにある。百円で貸し出している、勝手に使ってくれ。部屋は……可能な限り奥が良いか?」
深い事を聞いてこないこの適当さと観察眼が本当にありがたい。
「お願いします」
「……少し待ってろ」
言われた通り待っていると新聞を読みながら、パソコンが操作され聞き慣れた機械音と共に、紙が出てきて専用のカードキーと共に渡される。
「……一番奥、79番席だ。二人で利用しても十分な広さと、数少ない客達から最も遠い場所だ」
「ウッス……行きましょう、翔子さん」
俺達のやり取りをポカンとした表情で見ていた翔子さんの手をとり、貸し与えられた部屋へと俺達は向かった。