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日野森の家

 長野県を取り囲む数多くの山々の一つ、その緑多く人工物より獣の足跡を探した方がすぐに見つかるという様な、人の暮らしから隔離された場所に、木々に隠れる様に建設された豪華な古き良き日本家屋が建っていた。

 衛星写真に映り込み、取材を希望するメディアが訪れようとしたが見通しが悪く、整備されていない道を案内なく進むのは難しく、その家の者以外決して辿り着くことが出来ない秘境は珍しく、多くの男達がその手にとても平和な日本とは思えない銃や、刀等といった武器を手に持ち家を取り囲んでいた。

 そこへ、一台の黒い車が悪路を物ともせずに、やって来て朱色に塗られた門の前に停車すると、運転席から黒いスーツに身を包みサングラスを身に付け、短く整えた赤髪の男性が降りると門の前に待機していた二人の和服を着た男の片割れが、後部座席へと素早く移動しその扉を開くとゆっくりと、その手を優しく支えられエスコートされた日野森が能面の様な表情で降りてくる。


「……ありがとうございます」


「いえ……お帰りをお待ちしておりました、飛鳥様」


 形だけのお礼であったとしても、日野森のいう家に仕える事を至上の喜びとしている男にとっては嬉しい様で、母親と共に家を飛び出し、ADに所属していた『次期当主』の帰還にその頬を緩めていた──哀しきかな、そうあるべしと定めそれで満足していた彼女であれば、気にも留めなかったが無遠慮に心の奥へと踏み込む男のせいで、今の日野森にとってその態度ほど、嫌だと思うものはなかった。


律騎(りつき)様、ご苦労様です」


 門に残っていた男が、黒スーツの男──日野森 飛鳥の父である日野森 律騎へと恭しく頭を下げる。

 

「御老公は?」


「祀り場にてお待ちです」


「つまり、いつもの場所か。いくぞ、飛鳥」


 目の前で頭を下げている男にも、そして後ろにいる飛鳥にも視線を向ける事なく律騎は両手をポケットに入れたまま、歩き出す。

 次期当主の父親である時点で分かりきっていた事だが、律騎は相応に偉い地位にいる様で部下に該当する男達に礼儀を払う必要はなく、尊大な態度を示しても誰も咎めない様だ。

 前を歩く律騎の後ろをまるで、妻の様に三歩空けて追いかける飛鳥は整った枯山水と呼べる庭を通り過ぎ、屋敷の中へと入り靴を脱ぎ、手入れが行き届き埃の一つすらない檜で出来た床を歩く道中も、すれ違う男達が彼らに恭しく頭下げ中央を譲っていく。


「入院するほどの怪我を負うとはな。護国の剣が随分と、鈍らになったものだ」


 正面を見たまま、律騎が冷えた声色で突如として話しかけ、まさか向かうまでの間に会話があるとは予想していなかった飛鳥は、咄嗟に言葉が出る事なく驚いた表情で目の前を歩く父の背中を見るが当然、その視線が合う事はない。


「ADとかいう組織がそんなに心地よいぬるま湯だったか?……まぁ良い。俺が何を言ったところで、お前に俺の言葉など届かない。その様な感情など護国の為には不必要だ」


 返事など最初から期待していなかったのか淡々とどこまでも、冷え切った言葉を口にし正面を見据えたまま律騎は歩き続け、飛鳥はその冷たい背中に声を投げかける事はなく沈黙の空気が流れたまま、目的地である祀り場へと辿り着く。

 入り口であった門と同じ様に、朱色で塗られた襖の前に二人は寸分違わぬ同じ動作で両膝を床に着け、座ると代表として律騎が低くよく通る声で問いかける。


「飛鳥をお連れしました、御老公。開けても宜しいでしょうか?」


 数秒の沈黙の後にただ一言だけが、返される。


「入れ」


「……はっ。聞いたな、飛鳥」


 膝行で襖の左側へと、移動した律騎は室内にいる人物に己の姿が見えない様に、そのままの位置でゆっくりと襖を開く。

 室内は光源の類が無いのか暗くひんやりとした空気が飛鳥の首筋を擽るが、その感覚に身を震わせようものなら叱られるのは分かりきっている為、堪え室内に向けて一度、頭を下げると父と同じ様に膝行で室内に入る。

 彼女が入ったのを確認すると、襖は控えている律騎によって閉じられ射し込んでいた日の光すら、遮られ完全な暗室へと変わり、直後左右の壁に備え付けられた蝋燭が一斉に火を灯し、祀り場と呼ばれる空間を薄く照らし出す。


「……来ましたか。当代の剣よ」


 しゃがれた声でありながら、飛鳥の元へと届くその声の主は彼女がいる場所から、五メートルほど離れた場所に座していた。

 一直線上に続く蝋燭の灯りの先に、檜の床より一段ほど高く迫り上がっている場所がまるで祭壇の様になっており、周囲を火のついた蝋燭が取り囲む、その内側には赤い彼岸花が咲き乱れ円を描く様な天井からは、しめ縄が巻き付いておりそこから無数の白い大神飾りが、ぶら下がっていた。

 豪勢かつ、厳かに飾り付けられた祭壇の真ん中に、赤い座布団の上に綺麗な正座をし座る老婆が一人。

 朱色の着物に、金色で縁取られた三本足の鴉……八咫烏が描かれた着物を身に纏うその人物こそ、先程の声の主であり齢二百を超え、日本の守り手である日野森家を支配し恐れられ、現人神と謳われる日野森 美沙希(みさき)である。


「……お久しぶりです。御老公」


 平伏したまま、制服を着ている飛鳥は挨拶をする。

 次期当主という立場ではあるが、それはこの二百年以上生き続けている現人神に何かが起き、この世を去った時の立場でありそんな未来が、一欠片も想像出来ない彼女にとってはただのお飾りとしか思えず、ただただ絶対者である美沙希に頭を下げ続け、上げる許可を待ち続けるしかなく、彼女は美沙希の方を見ることが出来ない。


「挨拶より先に、不甲斐ない姿を見せた事を謝るべき場面でしょう剣よ。幼き頃より、私は言い続けてきましたよ。日の本を守るつまり、護国の剣が容易くその血を流し守るべき地を汚し、剰え倒れてはならぬと」


「……はい。すみません、御老公」


「奇跡を授かる事が出来なかった不出来な者達とは違い、貴女はその身に薄れゆく奇跡を授かったのです。それなのに何故、人に仇なす獣や奇跡を悪用する者に負けているのですか?新参者が作り上げた組織に所属する事を許したのも、更なる力に目覚めるのを見越してのもの、決して鈍って良いなどと言ってはおりませんよ」


「……はい」


 飛鳥は言葉を紡ぐ事が出来ず、ただ頭を下げ続け御老公の言葉に同意を示していく。

 丁寧な物言いではあるが、その言葉一つ一つに込められたしっかりとした怒気を感じ取っているが故に、余計な言葉を発する愚を犯さなかった。

 それでも、そんな彼女の態度が気に食わないのか美沙希の歴史を感じる皺は、さらに深く刻まれていく。


「……面を上げなさい剣よ」


「……はい」


 ゆっくりと上げられた飛鳥の顔は、どこまでも能面の様に冷え切っており、感情を伺う事は難しいが平時より、血の気が失せている唇が彼女の恐怖心を如実に表していた。

 それに対し、所々に白髪が混ざってはいるもののその歳からは想像出来ない手入れの行き届いた赤髪が、怒りを体現する様に逆立っている美沙希は、彼女の冷え切った目を見つめながら口を開いた。


「今から一週間、貴女を再び鍛え直します。それでも尚、私が納得のいく剣へと戻らなければその時は、次代を産む母胎になって貰います」


 未だ高校生と呼べる飛鳥にとって、その言葉はとても残酷で、それでも一族を支配する美沙希の言葉に勝てないのかゆっくりと口を動かし、同意の言葉を紡ごうとした刹那、脳裏にとある言葉が蘇る。


『同じクラゲ同士、これから楽しい事も面白い事も、一緒に見つけていこうぜ!そんで、お互いにやりたい事を見つけたら、応援し合う!どうよ?』


 同じ、目的も夢も持たない現実にただ、流されて生きている者同士として『彼』が水族館で、提案したその言葉は彼女にとって初めての友人と、結んだ約束で掛け替えの無い……そんな未来もあるのかもしれないと今ではなく先を始めて見た時の、決して捨てたくない誓い。


「……や……です」


「……なんですか?」


 恐怖心に抗い、掠れた声で絞り出した返事ですら、美沙希はその圧をもって封殺し再度、言葉を投げかける。

 幼い時から刻まれてきた恐怖心は、日野森 飛鳥から小さく灯った反抗の熱を奪い去り、二回目の反論を放つ力が完全に消え去り、沈黙してしまう。


「……沈黙は肯定と見做します。律騎、そこに居るのでしょう!剣を連れて、外に出なさい!!」


 力無く、飛鳥は律騎に抱えられて祀り場を出ていくのであった。

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