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陰る火

 変わり映えすることの無い僅かな体臭すらも、掻き消すほどの薬品の匂いに包まれた真っ白な滅菌室を兼ねた自室で、数少ない家具であるベッドの上で掌に乗るぐらいの大きさをした亀のぬいぐるみを眺める……それくらいしかする事ないしこの部屋、あとバイオリン。


「……綾人。今、何してるのかな……君、分かる?」


 ムニムニとぬいぐるみのお腹を揉みながら、頭を少しだけ横に傾けて『ボク、知らないよー?』って。

 短い手足とデフォルメされた単純さが故に、何処か間抜けで可愛らしい印象を覚えるこの子を見ているだけで幼くて幸せだった時のことを思い出して、胸がポカポカと暖かくなって……手が冷たくなる。


「思い出って残酷だよね。幸せを思い出せてくれると同時に、繋がってない残酷さを叩きつけてくるんだから」


 君の小さな手をムニムニとしても、柔らかいねぇってなるだけで暖かくはない。

 それでも、今の綾人に抱きつく事が出来ない私はこうして思い出に縋り、僅かな熱を頼りに暖まる事しか出来ない。


『主様にぬいぐるみ遊びのご趣味があるなんて、思っていませんでしたわぁ』


「……入る許可。出してないけど、蟻」


 声がした方に少しだけ視線を向けると、真っ黒なドレスに身を包み顔の半分を、蟻を模した仮面で隠したゴスロリ衣装の少女が立っている……本当にいつの間に人の形を取ったんだろう?

 女王蟻って確か、かなりの大きさがあったのにこの姿の蟻は私とそんなに変わらないくらいの大きさになってるし。


『ピェ……ンンッ、ワタクシ、折角仕事をしてきましたのにその様な態度で良いんですのぉ?』


 どうせビビるのなら、偉そうな態度を止めればいいのに……女王としての威厳?何それ、知らない。


「……用件はなに?」


『ですからそのよ──「もう一度だけ言う。なに?」──ピェ……主様の想い人の居場所、見つけてきました』


 瞳に該当する部分の仮面の奥から溢れる丸く赤い光が、まるで涙を流すみたいに揺れ動いたあとに無視できない報告をしてくる蟻に思わず、詰め寄って両肩を掴む。


『ピェ……あ、主様の真っ黒おめめが至近距離にピェェ……怖い』


「どこ?綾人は何処にいるの?」


 いつもの様に怯えまくりながら何か言っているけど、冷静さを欠いている私にはそんなものを一々取り合う余裕はなく、ギチギチと蟻の両肩に力を込めていく……筋肉か甲殻かは分からないけど、結構硬いんだね蟻。


『地下に……物凄く地下に居ますわ!!チカテツ?とか言う乗り物の更に下にワタクシ達から、見えづらい大きな建物がありましたの』


「……見えづらい?」


 蟻の肩を開放しながら人差し指を自分の顎に当てる。

 地下なら確かに隠すのにはもってこいだと思うけど、見えづらいってどういう事だろう?

 異なる世界からでも私達を見つける蟻が、同じサードアイを見つけられない訳がないと思うんだけど。


『ワタクシは人間の技術なんて、カケラも興味がありませんのでどの様な手段を用いているかなんて、考える気も起きませんが綾人さんでしたっけ?覚えている彼の気配を辿ったら、目を凝らしに凝らして漸く何か見える様な?みたいな感じの場所を見つけたんですの』


 結界か何かでも作ってるのかな?

 そんな技術あの人でも……うーん、どうだろうあの人ならサクッと作って、目的の物じゃないから適当に放置しておきましょうとかなんとか言って、他人の手に渡って有効活用されてるパターンとかありそう。

 いっそ、そうであればあの人の自業自得で面白いのに……あ、ぬいぐるみムニムニしてないで返事しなきゃ。


「そう。じゃあ、今度は具体的な場所を把握してきてね」


『え?ワタクシ、まだ働かされるんですの?』


「なに、文句ある?」


『いえ……その……ずっと、兵隊を使役してあっちこっちの情報を探ってますし……整理もワタクシだけですし……そろそろ休みたいと言うかその……主様の想い人なのですからご自身で……』


 なるほど……この駄蟻は私の至福の時間を邪魔すると言うのだな?

 

「……蟻。もう一度、ボコボコにされたい?」


 バイオリンを取り出して構えながら、圧を放てば蟻は丸い赤をグニャグニャに歪めながら、距離を取る。


『わ、分かりました!!調べます調べるから!!演奏だけは、やめてェェェェェ!!』


 はじめっからそうすれば良いのに。

 喚くだけ喚くとズブズブと黒い靄の中に沈んでいき、やがて姿が見えなくなる蟻を尻目に、再びぬいぐるみをムニムニし始める。

 

「……今度は誰にも邪魔をさせない……ゲホッゴホッ……」

 










「よぉ……元気か?」


「……アンタの方が今にも死にそうじゃない」


 極度の筋肉痛に苛まれ、まともに真っ直ぐ立つ事すらままならない人間と念の為、ベッドでの安静を命じられている人間どちらが死にそうに見えるかと言えば……疲労困憊待ったなしの前者、つまり先森だろう。


「師事を願ったのは確かに俺の方なんだけどさ……現役と連戦ってどういう神経してると思う日野森?」


 近くに置かれている見舞い用の軽いパイプ椅子ですら、まるで丸太を運んでいるかの様に重たい動きで引き摺りどかっと座ると、漸く落ち着いた様子で話し掛ける先森にスマホゲーから僅かに視線を向けた日野森の瞳には、少しばかりの羨望が混ざっていた。


「役目を果たせるんだから頑張りなさいよ」


「……どうかしたか?日野森」


「なにが?」


 僅かに声色が硬い事を悟った先森の問いかけを、スマホゲーに逃げる事で取り合う気がないと示す日野森の姿に取り付く島も無いと思われたが、どんどん生来の善人さが顔を出してきているお人好しには通用しなかった。


「嫌な事でもあったか?友達として、何か手伝えることはあるか?」


「ッッ」


 じっと日野森の特徴的なオレンジ色の瞳を、真剣な表情で見つめる先森の声色は、どこまでも優しい物で心の底から目の前の友人を気遣っているのだと分かって──それが堪らなく、自分の無力感を煽り言葉に詰まる。


 優しさとは時として、心に深く傷をつけるものだ。


「──ないわ。私が私の役目を果たせないのは、私が弱いのが原因。アンタに協力して貰う事なんてないわ」


 生来のプライドの高さと守り手として生きてきた自負が、様々な要因があったとは言え結果的に見れば、突如として現れ戦い始めてから未だ数ヶ月の先森に庇われた事や、守り手どころか他者を傷つける犯罪者と言って差し支えのない音夢に負けたという事実が、彼女の精神を蝕み余裕を奪っていた。

 彼女の力を象徴する様な、赤髪もその精神状態を表しているのか艶がなく、何処となくボサっとした印象を受ける。


「……そう、か。分かった、今日はもう帰るよ」


 筋肉痛を堪えながら、フラフラっと立ち上がり壁に手を突きながら病室の扉を開けると先森は立ち止まり、日野森に背を向けたまま口を開く。


「……俺を助けてくれてありがとうな。また、お前と肩を並べて戦える日を待ってる……イテテ」


 なんとも格好がつかない状態ではあるが、どうしても日野森に言いたかった事だけを告げて今度こそ、病室を出て行く先森。

 彼が出ていき、僅かに温度が下がった病室で少し時間が経ってから後悔している様な目で、扉を見つめると自己嫌悪からの溜息を零し、思考がより深く負の方向へと向かい始めた直後来客を告げるノックが鳴り、入室の許可など必要ないと言わんばかりに彼女の返事より早く黒服を着た男が入ってくる。


「本家からの呼び出しだ飛鳥……準備しろ」


 サングラスによって隠され表情ははっきりと分からないが、その声は何処までも冷え切っていた。


「……わかりました。お父様」


 完全に目から光が失われた日野森が、返事をする。

 両者共に一文字に結ばれた口元には、親子らしい暖かさなど微塵もなく、血の繋がりを証明する同じ色をした赤髪がなければこの二人が親子だと思う人はいないだろう。


 ──その日から、日野森は先森の前に姿を現さなくなった。

 

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