見知らぬ者を守る者達
東京都千代田区霞が関……日本における対犯罪組織、警察の本部、警視庁にて。
「せぇぇい!」
「ぐおっ!」
綺麗な一本背負いで畳の床へと勢い良く叩きつけられる先森の姿と、そんな彼を取り囲む百名余りの屈強な男達の姿があった。
白い道着を身に付けている先森は、既に何度か投げられている為に胸元などがかなり着崩れており、ADに所属してからの鍛錬によって、鍛えられた筋肉が顔を覗かしているのだが周囲にいる黒帯の男達に比べれば、まだまだと言えてしまう。
「ふぅ……ふぅ……次、お願いします!!」
「よしっ!次は俺だ、来い!」
先程の人物より、優れた身体つきの男性が前に出て両手を大きく広げる。
彼は警察内部で行われる大会においても、優勝経験を持ち間違いなくこの場にいる者の中では優れていると言っても過言ではない相手に、疲れた様子を見せずに果敢に突っ込み、腕と胸を掴み投げようとしピタッと固まる。
まるで山を背負っている様な、彼の全力など嘲笑うかの如き安定さは長年の地道な鍛錬と確固たる技術が為せる技であった。
「ぐっ……動かねぇ……」
「ハッハッハッ!もっと全身を使うんだ。こんな風になぁ!」
「うぉぉぉ!?!?」
見本を示すと言わんばかりに、先森の道着を掴み取り一切の澱みなく、懐へその身を入り込ませると綺麗な弧を描き、彼を先程の様に畳へと叩きつける。
パァン!という気持ちの良い音が響き渡り、先森の身体から空気が抜けていくが受け身はしっかり取っていた様で、道着から手が離れると立ち上がり、目の前の警官に頭を下げる。
「ありがとうございます!次、お願いします!!」
「よし、代わるぞ!」
再び立ち上がった先森と、次の警官との組み手へと移り変わっていく。
その光景を見ながら先程の警官──名は、佐々木 圭吾──はこの組み手を眺めている伊藤の前に立つと頭を下げる。
「お久しぶりです。伊藤先生」
「無理を言ってすまんな、佐々木」
杖の上に両手を置きながら椅子に腰掛けながら、先森と警官達の組み手を見守りつつこの場の誰よりも、充実とした気を放っている伊藤が申し訳なさそうに礼を告げる。
「いえ、先生の為ならいつでも。しかし、百人組手とはまた、キツイ事を考えましたね」
「理論や理屈を叩き込むより、あいつには一度の経験が何より勝る。それに、傷付ける力ではなく守るための力が欲しいと言われれば、お主らほど適任はおらん」
音夢との戦いが終わり、日野森とは違って目立った怪我のなかった先森は身体が動けるように回復するや否や、伊藤の家を訪れていた。
『伊藤の爺さん、頼む!どれだけキツくても構わない、俺に守るための力と術をくれ!!』
音夢を前にして動揺や困惑があったにしても、不甲斐ない結果になってしまいその果てに、日野森を傷つけてしまった事を悔やんだ先森は、更なる力に飢えていた──今度こそ誰も……敵として向かい合う音夢すらも傷付けずに無力化するために。
目の前で土下座をしながら頼み込む先森を見ながら、伊藤は暫く考え古くからの付き合いがある警視庁へと連れてきたのだ。
「ぐおっ!」
何度目かの先森が宙を飛び、叩きつけられる。
その光景は焼き回しの様ではあるが、二人から見れば投げられる直前に重心をズラして対抗している事や、油断していた表情の警官が真剣な顔に切り替わっていたりと変化があった。
佐々木はそれを見ながら、確かに伊藤が言う通り彼は実戦形式の方が飲み込みが早く、少しずつではあるが何年も鍛錬を積んだ者達に追いつかんとするその才能は、羨ましいという感情すら通り過ぎ、一種の恐れすら感じつつある己がいる事に気がついた。
「……先生達の役目は少しですが、聞き齧っています。子供がここまでしなくてはならないのですか?」
警官として無辜の民を守る事を信条としている佐々木としては、自分には無い特別な力を持っているとしても未だ高校生の先森がその身一つで、戦わなければならない事に憤りを感じている──代われるのなら代わりたいと。
「そうだ。特に奴は色々と因果が絡まっている……それでも必死に足掻いて、望む結果を手に入れようとしている若者の背中はジジィとして、応援したくなるものだろう?」
そう言って茶目っ気いっぱいに笑う伊藤を見て佐々木は、部外者の自分がこれ以上言うのもアレだろうと口を閉じた瞬間、目の前の光景に変化が訪れる。
「ぉおおお!」
「──それに先森の奴は、お前ら同様に覚悟を貫き通す強い意志がある」
それは酷く、不恰好で弧を描くこともなかったがちょうど、百人目の警官の体勢を崩し畳へと叩きつける先森の姿があった。
投げられた警官は兎も角として、投げた本人すら一瞬、惚けてしまうというなんとも間抜けな光景ではあるが、先森の強い意志が不可能を成し遂げた瞬間であった。
「ありがとうございます!!次、お願いします!!」
「……なるほど」
現役警官相手に一本もぎ取ったというのに、状況をしっかり認識してもなお崩れた道着を着直したり喜ぶ素振りを見せずに次の相手を要求する先森の姿を見ながら、佐々木は伊藤の元を離れて彼の元へと歩き出す。
──先程、自分が彼に対して恐れを抱いた理由を理解した。
見た目だけ見れば、ただの不良少年であり地道な努力や暑苦しい真似などとは縁遠く見えてしまうが、その内側にはこの状況に文句一つ言わず、立ち続ける強い自らも焼き尽くしてしまいそうな熱が宿っておりそれは本来、あの様な子供が持つ物ではないからだ──
その在り方に納得出来た訳でも、可能なら代わってやりたいという気持ちが無くなった訳でもないが一人の男として、守られなければならない者達がいる側の人間として、先森の覚悟は理解し真剣な表情へと切り替わり大きく息を吸い込み、その場の全員の意識が向けられるほどの大声を出す。
「ぼさっとするな!相手が望んでいるのなら次々、挑まんか!……それとも、一本取られて驚いたか?百人終わったからもう終わりだと思ったか?笑わせるな!!目の前に立つ少年は、俺達と何も変わらない守り手だ。覚悟を持った一人の男だ!……秩序の守り手の意地、見せてみろ!」
先程まで訓練場に流れていた真面目ではあるものの、何処か弛んでいた空気が流れていた理由の中には先森をただの子供として……はっきり言ってしまえば舐めていたと言えるだろう。
そんな空気が佐々木の熱が宿った言葉によって皆に届きピリッとした空気へと一気に切り替わる。
多かれ少なかれ、この場にいる全員は警察としての誇りを胸に抱いている者達であり、佐々木の言葉に宿る熱によって自分達から紛れと言えど、一本勝ち取ってみせた先森を自らと同じ土俵に立つ者と認めた瞬間であった。
「……ウッス!お願いします!!」
──そんな男達の熱は伝播していき同じようにやる気に満ちた先森は、道着を直し構えた。