舞い戻る者
「おれも、おやじみたいになる!」
ぴょんぴょんとはしゃぐ六歳ぐらいの男の子が、精一杯小さな腕を伸ばしながら紺色の制服に身を包んだ警察官と思われる黒髪を、短く切り揃え全身を鍛えた事が分かる背の大きな男性に話しかけていた。
見回りをしていたところを見つかった様で、警察官の男は少しだけ困った様な表情を浮かべながら子供の頭を撫でる。
「そうか。なら、今お前がするべき事は分かるな?」
「えっと……?」
少し考えて答えが見つからなかったのか、きょとんと首を傾げる男の子にしょうがないなと言わんばかりの、優しい笑顔を浮かべる男性。
「もういい時間だ。女の子は、家に帰してあげなきゃな」
「そっか!よし、おれが家までごそうするよ、ねむちゃん!」
「う、うん!」
「じゃあな、おやじ!早く帰ってこないと、晩飯全部、たべちゃうからな!」
手を繋ぎ仲良く帰っていく子供達を、男性の手を振りながら見送るその姿は歴とした父親としての姿であり、微笑ましいと言える日常の光景であった。
「……お前もいつまでも寝てないで早く起きろ。なるんだろ?」
男性は背を向けたまま、後ろに立っている半透明の青年に話しかける。
話しかけられるとは思っていなかった青年はそれに驚き、慌てて口を動かそうとするが声は出る事なく目の前の人物には何も伝える事が出来ない様だ。
そんな青年の周りを小さな、火の玉がくるくると回る──それが何故だか、自分を急かしている事だけは理解する青年。
「お前がやるべき事を成せ。俺はずっと見ているから」
火の玉を追いかける様に走り出した青年は、目の前の男を追い抜くがその瞬間に男は、後ろに振り向いてしまった為に、顔を見る事は出来なかった。
それでも不思議と彼は、笑っている様に思えて青年は力強く光の向こうへと飛び出した。
「──っは!?」
い、生きてる?
身体を起こしながら、手や足がしっかり繋がっている事と頭からの出血がない事を確かめ、一先ず安心する。
何か見ていた気がするんだが、はっきりと思い出せないな……けど、不思議とやる気に満ち溢れている気がするし、この両手を包む火みたいなのが暖かくて心地よい。
「なるほど……ちょうど中庭の木と茂みが良い感じにクッションになったのか」
身体の下敷きになっている枝と茂みに軽く手を合わせ、その場を少しだけ離れて上を見上げる。
屋上に戻らなきゃとは思っているのだが、同時に校内に戻って階段を駆け上がるのじゃ遅いという謎の直感が囁いてんだよなぁ……
「ん?」
『──』
カサカサと音がしたと思ったら蟻型アビス・ウォーカーが隣に現れた……予想外なのはお前も同じって感じだな、ご丁寧に立ち止まってるし。
「ちょうど良いか」
気になっていたこともあるし試させて貰おう。
立ち止まっている蟻型アビス・ウォーカーに駆け寄り、噛みつこうとしてきた攻撃を跳躍で避け、大きな尻尾に着地し、両手を触れる。
「闇よ、吸い込め!」
『ギィ!?』
僅かな抵抗はあったが、予想通り蟻型アビス・ウォーカーを広がった俺の闇が、飲み込み吸収する事ができ、それと同時に身体を包む闇が復活する。
顔を覆う分は足りなかったけど、やっぱり俺はアビス・ウォーカーをエネルギーとして吸収出来るみたいだな。
どの程度の大きさ、強さで決まってるかは分からないが少なくとも、あの時の狼や音夢が生み出してた人形、今回の蟻みたいな連中は吸収してエネルギーに変えられる──これが分かったのデカくね?
「よし、これなら──」
「助けて……助けて綾人!!」
「ッッ!?」
今の声は、音夢!?
って事は、音夢の強さをもってしてもあの乱入したよく分かんない化け物には押されてるって事か!
「……失敗したら大怪我じゃ済まないが……やるしかねぇ……闇よ、足場になれ!」
音夢がやっていた様に自分がジャンプするその部分を強くイメージし、足場を作りそこへジャンプして着地。
同じ容量で屋上までの道をつくり、次々とそれらを踏み締めて跳躍──屋上へと上がりきったその瞬間、鷲掴みにされている音夢と、倒れて動かなくなった日野森が目に入り、自分の不甲斐なさと怒りを噛み締めながら拳を振り上げ──
「音夢を……音夢を離せ!!」
『グオッ!?』
──力のままに化け物の顔面をぶん殴った。
奴が手放し、ふわりと浮かび上がった音夢を抱きしめながら受け止め、屋上へと着地し、彼女の顔を見ると今にも泣き出しそうな表情と困惑が混ざった表情で俺を見ていた。
そりゃ、そうだよな……君はずっと、俺に好意を隠さずに向けてくれている……そんな相手が屋上から落ちれば心配で仕方ない筈だし、敵対する選択を取ったのは俺で、此処で助ける通りはない──じゃあ何故か?
「決まってる。俺はもう一度、君と友達になりたいんだ」
自分を試す様に覚悟を言葉にする。
いつもの様に後から色々と悩むかもしれない──けど、俺はそうすると決めたんだ。
これだけは変わらないし、誰にも変えられない!
『ククッ、貴様なら必ず戻ってくると信じていたぞ!!さぁ、己を殺してみせろぉぉ!!』
俺が戻ってきた事がそんなに嬉しいのか?
これほどまでに向けられて嬉しなくない好意ってのがあるんだな。
「本当になんなんだよお前……音夢、まだ戦えるか?」
「う、うん」
「なら、援護を頼む。俺も今の状態がどこまで続くか分かんないんだ」
困惑しつつも頷いてくれた音夢を下ろし、一歩前に出ながら彼女に背を向けて構える──短い期間だけど、俺が接した彼女は此処で俺を裏切って攻撃する事はしないという確固たる信頼を以て。
「……力を貸してくれ。日野森」
俺の言葉に応える様に両手を包む火が一段と燃え上がると、赤い手甲の様に形を変えて俺の手にピッタリとハマり、これなら何一つ問題はないという圧倒的な自信が胸の奥から激ってくる。
『ハッ、ハハハハハ!!!!!貴様はどこまで己を刺激すれば気が済む!!アァー……実に最高の気分だ、名を教えろ己を惹きつけてやまない輝きを持つ人間よ!』
こいつ、やっぱりやべー奴だろ……いっそ狂気すら感じる歓喜の仕方してやがる。
「……先森綾人」
『先森綾人か。ククッ、己は……そうだな、デクスターとでも名乗っておこうか』
デクスター……まぁ、聞いた事はないなって消えた!?
「綾人、右!」
「ッッ!?」
咄嗟のガードをした右手に凄まじい衝撃を感じて、吹き飛ばされる。
あの野郎……名乗りが終わったら即座に攻撃してきやがった……そこは何かの合図とかあるだろ!?
『ハハハハハ!!』
「……こりゃ、そういうの期待するのは無理だな」
音夢の生み出す人形の妨害など全く、意にも介せず俺に向かって歓喜の笑いをしながら向かってくるデクスターの野郎を見ながら、地面に足を着けると同時に真正面から突っ込む。
「闇よ、足場となれ!」
距離が近づき、音夢の人形が奴の視界を一瞬塞いだ瞬間に、斜め右へと跳躍し生み出した足場を使い、勢いを乗せたゼロ距離パンチを顔面に叩き込む。
『ぬおっ!?』
そのまま奴が俺の方を見直す前に、膝蹴りを腹部に叩き込む、両手を合わせて首筋を全力で叩く。
デクスターの野郎が大きく前に体勢を崩したのを見ながら、背後に着地し足払いをしようとした瞬間、奴の足が上がり真後ろの俺目掛けて蹴りを放つ。
「くっ!」
腕をクロスし防ぐが、数メートル吹き飛ばされるほどの重みがある蹴りは、到底バランスを崩した状態から放たれた蹴りとは思えず、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
俺が体勢を戻す一瞬で、奴も自らの体勢を整え首を右手で押さえ鳴らしながら俺を見る奴の顔は、人間らしい表情を読み取る事など出来ないが、絶対に笑顔だろうと確信出来る雰囲気を醸し出している。
『先程、俺に容易く殴られた者とは思えん動き……クハハ!さては周囲を闇を吸収したな?』
「蟻一匹な」
『そうかそうか。なら、少しばかり強めに行っても良いだろうフン!』
右足を大きく持ち上げ、叩きつけると同時に発生した衝撃波が音夢の人形達を跡形もなく消し飛ばすと、合掌を右手のみで行った後に顔の正面まで持ち上げ、握り拳を作ると腰まで引き絞りそこに物理現象ではあり得ない黒い光が、周囲の空間を捻じ曲げながら現れる。
「ッッ、そうな見え透いた大技させるかよ!」
直感でしかないがアレはヤバい……狙いは俺だろうが音夢や日野森を巻き込む可能性がある以上、このまま突っ立って見てられるか!
啖呵は勢いよく切ったものの、奴に準備時間というものはほとんど必要ないのか、既に黒い光は今にも溢れ出さんと言わんばかりに、周囲から光を奪っているのを見て、阻止ではなく防御へ思考を切り替えつつ、デクスターの方へ全力で駆け出しながら、全てを飲み込むイメージを……昔見た宇宙の神秘を思い出していく……
『──黒色凶星』
ありとあらゆる光が飲み込まれ、今目の前には黒しか広がっていないんじゃないかと錯覚を起こすほどの、奔流が奴の拳の動きに合わせて放たれる。
「綾人!!」
後ろから音夢の悲痛さすら感じる叫び声が聞こえてくる。
多分、走馬灯とでも呼ぶべきか今この瞬間、迫ってくる光もこの考えもやけにゆっくりと時間が流れている気がしてこんな状況だというのに、思わず笑ってしまう。
『ほぅ?』
お前はそういう楽しげなリアクションを見せると思っていたよデクスター。
奴の放つ黒い光に向けて、両手を突き出すと赤い手甲が目に入って、不思議と自信が湧いて出てくるのを感じ黒い光が両手に触れた瞬間に、固めたイメージを叫ぶ。
「ブラックホール!!」
身体から一気に力が抜けていくのを感じると共に、目の前の黒い光が歪曲する様に今の俺の全力で作り出した卓球の球くらいの大きさをした黒い球体、そこに吸い込まれていく。
それでも、デクスターの技を全て飲み込むのは無理な様で、溢れ出る光を右手で受け止めながら倒れそうな身体を全力で前へ、前へ進める。
『ハッ、ハハハハハ!!さぁ、その身体で次はどうす!?』
「五月蝿い、少しはその口閉じてろ化け物」
いつの間にかデクスターの背後に回り込んでいた音夢が、チョークスリーパーの形で首を絞める。
「おぉぉぉぉお!!!」
右手で光を削りながら走り、左手を握り締める。
もう、ほとんど俺の力は使い切っている……目を開けているのをキツいし、ほんの少しでも気を緩めてしまえば倒れてもう二度と立ち上がれないと思う──だが、両手に宿る火の熱が、今もデクスターを邪魔している音夢の勇姿が俺に力を分けてくれている!!
「これが今の、全力だぁ!!」
音夢が引き剥がされると同時に、火を纏った俺の拳が勢いよくデクスターの胸部を捉えて爆ぜ、吹き飛ばすと同時に、黒色凶星とブラックホールのぶつかり合いも爆ぜる形で終わり俺は勢いよく、屋上を転がりどうにかフェンスで耐える。
屋上にあった貯水タンクにデクスターがぶつかったのか、大雨の様に水が降り注ぐと共に周囲の闇が、薄くなっていく。
「……倒せたのか?」
自分で言ってなんだが、これフラグみたいだな……
『──クハハ!!良い、良い痛みだ!!』
「……あーもう、やっぱりフラグだった……」
バシャリという音共に俺の目の前に降り立つデクスターの胸部には、煙が上がっており倒すには足りなかったが、ダメージは与えたらしい。
『その様子を見る限り、本当に力尽きた様だな』
「元々疲労困憊だからな。殺すか?」
自分で聞いておいてなんだが、多分こいつは既に殺す気を失っていると思う。
なんというか、喧嘩を売られて相手をボコボコにしたから取り敢えず満足したわみたいな、少なくともコイツにとって何かしら満足のいく戦いだったのは間違いない気がするんだ。
『いいや、次の機会にしよう。今は、この一撃を噛み締めて己が下がるとしよう』
ほらやっぱりな、だと思ったよ。
『お前が己を殺してくれる日を楽しみに待っているぞ先森 綾人』
「ドMも大概にしやがれデクスター」
奴が目の前から消えると同時に、階段大勢が駆け上がってくる音が聞こえてそっちに視線を向けると、歪んだ扉を蹴り破り、茂光さん率いるADの人達が現れ、倒れている日野森の救護と俺の方に向かってきた。
どうやら音夢はいつの間にか姿を消していたらしい……もう少し、会話したかったな。
「先森君!!無事か!?」
「なんとか……でも、俺、もう意識保つの限界っす……」
「あぁ、今は眠ってくれ。お疲れ様、先森君」
なりふり構わず来てくれたのであろうスーツや、髪型が少し乱れている茂光さんを見て安心した俺は、意識を手放したのだった。




