奇妙な共同戦線
「綾人!?」
「先森!?」
倒れて動けない女は無視して走り出した私は、酷くゆっくりで足も力を使うための口も、こんなに動くのが遅いと文句を言いたくなるほどで、視界の先で落ちていく大切な人が落ちていき必死に伸ばした手は何も掴むことが、出来ず霧のせいで落ちていく綾人がどうなったのか見えなかった。
「……いや……そんな……あやとぉ……」
目から零れ落ちた涙が暗闇の向こうに消えていく。
今すぐにでもこの涙を拭ってくれる綾人が、現れる事を夢見るけどそれは儚く叶う事はなくて、私の嗚咽と涙だけが暗闇へと注がれていくだけだった。
『あの手応え……なるほど、弱っていたか。ならば奴が戻ってくるまでの間、貴様の意地を魅せて貰おうか?』
その言葉と共に向けられた殺気に、反射的に振り向きながらバイオリンを握る。
私のその行動ですら、アイツにとっては興味の対象らしく喉を鳴らし愉しげに笑う様な素振りを見せる……自分がこの場における絶対の強者だと思っていなければ取れない行動だね、さっきまで私がその状態だったからよく分かるよ。
『ククッ、そこの女も良い気配だが、どうにも己はタイミングが悪い様で弱っているし、奴程ではない。此処から立ち上がり、戦いを望むのは無理というものだ』
「……お前はなんだ?蟻と同じ、アビス・ウォーカーなの?」
『ん?貴様ら人間が己らをどの様に名付けているか知らぬが、此処とは異なる場所から現れるものをそう呼ぶのなら、そうなのだろうよ』
会話可能な奴がいるなんて、彼女から聞いた事はないけど……まぁ良いや。
連中に対してあれこれ考えるのは、彼女の役目であって私じゃないし今は、もう少しで上手くいきそうだった計画を乱してくれたコイツを殺さなきゃ、気が済まない。
「──火よ、刺し貫け!」
演奏を始めようとした瞬間、綾人と仲の良い女が詠唱を行い火を放ち、奴が煙に包まれる。
……不意打ちではあると思うけど、アレじゃアイツを仕留めるには火力が足りてない。
『ほぅ?蚊帳の外は気に食わないか。ハハッ、良い根性を魅せてくれる──だが、足りんよ』
「なっ!?」
私でも捉えきれない速度で、女に近づくとその頭を掴み、掌に作り出した黒い球体を腹部に叩き込みそれが爆ぜると共に、女は今度こそ意識を失い纏っていた火も消えて、手から力が消える。
動かなくなった女を、外見に似合わず優しく地面に寝かすとそこから少し離れて、私に手を向けて挑発してきた。
「……随分と紳士だね」
『一時とはいえ、輝きを魅せた者への礼儀よ。さぁ、もうお喋りは十分だろう?』
「うん、そうだね」
言い切ると同時に、周囲の闇を吸収し魔王を演奏する事で人形を五体を作り出す。
さぁ、私の命令に従ってアイツを殺して、私の物言わぬ傀儡達。
『随分と精巧に造るものだが……己との相性は悪いぞ』
綾人の時と同様にドリルになりながら、飛んでいく五体の人形達をゴツい腕に見合う大きさの、掌で纏めて掴み上げると全てを吸収していく。
普通のアビス・ウォーカーなら意図的に吸収する知性なんて、備わってないからやっぱりコイツ何かがおかしい。
『考え事か?』
「ッッ、お前が特殊すぎるんだよ!」
瞬間移動でも使えるの!!って言いたぐらいいきなり真横に現れた化け物を蹴り飛ばして、距離を取ろうと思ったけどまだ空中にいる私に、追いついてくるとか反則。
顔面を鷲掴みにしよう伸ばして来た腕を、真下から蹴り上げてスカしそのまま空中で身を捻り、脇を蹴るが相変わらず愉しげに喉を鳴らし、反撃と言わんばかりに振るわれた蹴りを膝で受け流し、同じタイミングで着地し睨む。
『チラリと見えたが貴様、その隠れた左目の奥は「黙れ!!」ククッ』
「……その口、閉じろよ。負の産物が」
『似たようなものだろう?己らは』
「似てる?私達とお前が?……ふざけんな、お前らさえ居なければ……私は綾人と離れずに済んだんだ!!闇よ、力を貸せ!!」
堪忍袋の緒が切れた私は、滅多にしない詠唱をし周囲の闇を従わせイメージ通りの形を与えていく。
本当は人形を作り、時間を稼ぎつつ行う技だけど私との戦いを時間潰しにしか捉えていないコイツは周囲の変化を見ながらも止めようとはせず、私が何をするのか待っている──本当に腹が立つよその姿。
その怒りを込めながら私はモーツァルトのレクイエム──『怒りの日』を力強く奏でる。
タイトル通り、キリスト教における終末思想の一つを冠する曲はレクイエムの中で最も、激しく迫力に満ちた曲調であり、本来であればオーケストラによる歌声があり、その激しさにより強く深く熱を与える。
私も歌えるけど、今は奏でる音により強く、私の怒りを刻み込む。
『ほぅ。形なき、闇がまるで燃え盛る炎の様に蠢き、その身を焼きながらも動く亡者を作り出すか!実に醜悪だが、貴様らしい怒りと憎悪に満ちた光景ではないか』
何が面白くて愉しいのかは分からないが、私の演奏と共に世界を塗り潰し切り替わっていく景色を両手を広げ、讃美するかの様に褒め称える化け物。
気に食わない……この光景は私と綾人が味わった地獄の再現も兼ねているというのに、それをまるで意に介していないあの余裕を捻り潰したい!
炎が蠢き、亡者が裁かれる時を待つ時、審判者は降臨する。
『禍々しくも神々しい……これが貴様の審判者という訳か』
私の背後に現れる両手を広げ、天秤と剣を携えた黒い人が全てを見下しながら、天秤を翳し化け物の罪を計る。
もちろん、私の意志で生み出したものなのだから、その判決は有罪となり亡者達が化け物を取り押さえ、動きを封じ込める。
さっきみたいに吸収をしている様だけど、吸われたところから次々と亡者達は湧き出て化け物を拘束し続け、審判の執行を妨害させない。
「──ダビデとシビラの予言の通り」
私の言葉を合図に亡者達は周囲を取り囲む炎の様に、黒い炎を生み出し化け物の焼き始め、審判者が剣を天高く掲げて、それを一気に振り下ろす。
「──世界は灰燼に帰す」
言い切るともに最後の一小節を高らかに演奏し、弓を離すと全てが爆ぜ暗闇に包まれる。
私の演奏による歌詞の再現しサードアイの力を最大限使う事で世界を侵食、自分の意のままに操る技……火の再現性は多分、あそこで倒れる女の方が上手いけど……というか厳密には火じゃないしアレ。
「……流石に消えてくれた?」
少し時間が経ったけど、あのウザい笑い声が聞こえてこない。
跡形もなく吹き飛んでくれたのなら嬉しいけど……随分、呆気ない終わりだね。
『ふっ──フハハハハ!!!!!少々、貴様の事を見誤っていた様だな。良い一撃であった』
「……まだ生きてたの」
『ふん!』
漂っていた闇が化け物の声と共に吹き飛び、ダメージを負った奴の姿が現れる──けど、あの様子じゃ軽傷も良いところかな……化け物が。
『己は奴以外に殺される気はない……その様な顔をするな、己の意地が勝っただけで貴様の一撃は十分すぎる威力だった』
「軽傷で言われてもね」
敵に慰められても嬉しくないし……綾人に頭撫でられながらなら話は別だけど。
『貴様と己は相性の問題よ。さて──』
また消えた!?何処に──
「がっ!?」
後ろ!?本当にこいつ、動きが速い!
『──我慢の限界も近い。貴様の悲鳴を聞けば、奴も戻ってくるか?』
殴られた反撃で放った蹴りは、胴体で容易く受け止められそのまま顔面を鷲掴みにされる──何をする気なのか考えるまでもない、あの女にやったのと同様に私を攻撃するつもりだ。
既に空いている手には闇が集まり、球体を形成しているところからも狙いは明らか。
「……助けて……綾人……」
都合の良い言葉が思わず口から漏れた。
事態を掻き回し、被害を広げたのは他ならぬ私……そんな私が落ちていった綾人に助けを求めるなんてあまりにも都合が良すぎる……けど、そう願わずにはいられなかった。
『もっと大声で助けを呼んだらどうだ?』
この化け物の目的は分かっている……分かっているけど、私の弱い心がその提案を飲んでしまった。
「助けて……助けて綾人!!」
柄にもない大声で、彼の名前を呼ぶ。
応えるはずの相手はもう居ない……私と戦って、疲れ果てていたところに殴られて屋上から落下したんだから。
返事がない、虚無の時間は私に彼が死んだと思わせるには十分過ぎて……だから、その声には驚いてしまった。
「音夢を……音夢を離せ!!!」
『グオッ!?』
まるで物語のヒーローの様に綾人は、私の助けを聞いて舞い戻り化け物の顔面を殴り、私を拘束から解放してくれる……どうして……助けてくれるの?
「決まってる。俺はもう一度、君と友達になりたいんだ」
そう言って綾人は、私を抱き上げながら記憶の中にある優しい笑顔を浮かべてくれた。
『ククッ、貴様なら必ず戻ってくると信じていたぞ!!さぁ、己を殺してみせろぉぉ!!』
「本当になんなんだよお前……音夢、まだ戦えるか?」
「う、うん」
「なら、援護を頼む。俺も今の状態がどこまで続くか分かんないんだ」
そう言って綾人は私を地面に下ろすと、火の様な闇を纏った拳を構えて化け物と向かい合う──奇妙な共同戦線が組まれたのだった。




