変化は難しく
「……なぁ、日野森」
「なに?言っとくけど、連中に対しての話なんてこんな街中じゃ出来ないわよ。バレたら大事なんだから」
ただ話しかけただけでジロリと睨まれるこの不条理よ……つか、やっぱりアビス・ウォーカーに関しては極秘裏なのか。
まぁ、確かに普通の生活を送れてる連中にはあんな気色の悪い化け物の存在なんて隠しておくに限りるわな。
「いや、それじゃねぇ。現状、力がない俺を家に送るってのは理解したが良いのか?既にかなり時間遅いが」
アビス・ウォーカーに襲われたのが夜の9時過ぎ、そして俺が起きて諸々の説明を聞いて今はなんと0時を回っており、普段は明るい商店街もすっかり夜の帷が支配している状況だ。
俺より強く、なんなら邪な考えで近づいてきたおっさんとかいたらそのまま燃やしそうな日野森と言えど、女子は女子こんな時間に歩かせるのは良くないだろう……不良の俺が心配するのも変な話だが。
「あぁ、やっぱり気がついてなかったのね。アンタが住んでるマンションと同じよ私が住んでるの」
「……全然知らなかったわ」
「でしょうね。私だって、興味なかったし。アンタが悪い意味で有名だから勝手に耳に入ってきただけだもの」
それはどうも。
そこから俺と日野森の間に話はなく、ただ淡々と足を進め気がつけば家に到着していた。
どうやら日野森は、俺の一つ上の階のようでエレベーターの前で別れ一人部屋へと向かう……気のせいでなければ背後から日野森の視線を感じるが部屋に入るまでが警護って事だろう。
「……ただいま」
俺以外に住人は居ないのだから言う必要のない言葉なのだが、家族を失ってからずっと続けている事なので疲れ切っているこの状況でも口は動く様だ。
「……風呂は明日で良いか。今は寝てぇ」
制服を乱暴に脱ぎ捨て、ほとんど何も入ってない鞄を放り投げる。
そのままソファへと横になり……机の上にある写真が目に入った──まだ、中学に上がる前の俺と両親が写った写真だ。
何もかもが燃えたあの日、俺が後生大事に抱えていた唯一の写真であり俺に両親が居たという証明。
今でも思い出す、何一つ遺体なんて入っていない空の棺桶を。
建物も何もかもが灰に変わった場所で人間なんていう脆い存在が姿を保てる訳がなく、今なお骨の一つも見つかってないらしい。
「おやすみ」
そんな記憶に蓋をする様に写真に向けて言い、俺は目を閉じた。
「ッッ……まだ身体中が痛いな」
アビス・ウォーカーに襲われようとも時間は進むため、憎らしい程に晴天の下制服で隠した湿布を撫でながら学園へと向かう。
サボっても良かったのだが、もしサボっている間に連中に襲われたらと考えると日野森がいる学園へと大人しく登校するのが吉だと思えてしまった……いつぶりだ?真面目に登校するのは。
「ん?先森!?お前が朝から登校してくるとは珍しいな」
げ、あの筋骨隆々とした身体に厳つい顔は生活指導の獅子堂じゃねぇか……この人、本当に毎日欠かさず朝から校門の前に立ってるのか。
獅子堂 雄二郎──俺が通う学園、杯火学園の生活指導担当の教師でありその肉体と厳つい顔から『杯火のヘラクレス』と呼ばれたりしている……噂でしか聞いてないが、それはどっちかというと獅子を殺す側ではないか?
「ん?どうした怪我しているのか?」
……普通、一目見ただけで怪我してる事気がつくか?制服で隠れて見えてないんだぞ。
「……まぁ、はい」
「そうか。喧嘩か?」
「違います」
ギロっと睨まれたが俺の否定を聞いて信じる事にしたのか視線が柔らかくなる。
生活指導って事で普通の教師たちより接点は多いのだが、こういうところがこの人を嫌いになりきれないところではある。
「なら良いが、お前昨日の放課後ほとんど使われてない部屋とは言え扉を壊したままにしただろう。放課後、その事で話があるから職員室に来い」
忘れたわ……そういや、出られねぇって蹴破って出たんだっけか。
その後が色々とあり過ぎて覚えていられんかったわ。
「うっす」
さてと放課後になったらどうやって逃げ出そうか。
とりあえず、授業が終わると同時に教室を飛び出してそのまま全力疾走で下駄箱まで向かうか?いや、うちの学園は下駄箱まで辿り着くには必ず、職員室の前を通る必要があるからそこを獅子堂に張られればあの剛腕で捕まってゲームオーバーか。
「獅子堂先生、おはようございます」
そんな逃げる算段を考えていると後ろから凛とした声が聞こえてきた──日野森のものだ。
「あぁ、おはよう日野森。今日はいつもより遅かったな、寝坊か?珍しい事もあるものだ」
「えぇ、まぁそんなところです。っと、そうだ先森君」
「ん?」
教師の前だからか昨日より少しばかり高い声に加え君呼びとは流石は優等生だな、猫被りが上手な事で。
俺の方に向かって歩きながら鞄に手を入れる日野森。
「これ、落ちていたわよ」
そう差し出されたのは俺のスマホであった。
どうやら日野森の所属する組織が回収してくれていた様で受け取り、充電とかを調べると満タンになっており安心する……ん?なんだこのアプリ、見覚えがないぞ?
「なぁ、日野森これ」
「それでは先生、私達はこれで失礼します。行きましょう、先森君」
「ちょ!?待て!?」
アプリの事を聞こうとした俺の言葉を遮ると同時に手をがっしりと掴み、歩き出す日野森は有無を言わせる気はない様で女とは思えない力で俺を引き摺っていく。
数少ないとはいえ、学園きっての不良と優等生が生徒たちのいる前でこんな事をすれば余計な噂が広まるぞ……多分、この女そういうの興味ないんだろうな。
そんなこれから起きるかもしれない現実に億劫になっていると連れて来られた場所は人気の少ない校舎裏で漸く解放された。
「あのねぇ、昼間は連中の活動が殆ど無いとはいえ単独で動くとか何してんの?」
「……いや、もしかしてずっとお前の監視がある状態で過ごせと?」
「嫌ならとっとと力を使い熟しなさい私だって、自分の時間が減るのよ」
私、不機嫌ですと言わんばかりに睨みつけてくる日野森だが、理不尽な事しか言ってないのに気がついてるのか?力に目覚めろと言われてもこちとらそんなもん全然知らないで生きてきた一般人だぞ!?
「サードアイは、この世界に理を示す力。だからこそ、自分自身でその力を開花させる以外の選択肢はないのよ。別に突然、死体に成り果てたいのならそうやって無意味に私を睨んでいれば良いわ」
「……誰もがお前みたいに振る舞えると思うなよ日野森、お前は生まれた時から力を持ってるから何一つ怯えも、恐怖もない選ばれた人間みたいな態度を取れるんだろうけどよ!俺は人間がどれだけ弱いかよく知ってるんだ!!武器を得たからって、はいそうですかってすぐに使えるようになれる訳がないだろ!!」
悲鳴を聞くしか出来なかった自分。
耳を閉ざして歩き続ける事しか出来なかった自分。
目の前で、家族が、死ぬのをただ見ている事しか出来なかった自分──そして、昨日のアビス・ウォーカー相手にただ逃げて挙句の果てに殺されかけた自分。
どれだけ、粋がっても何も変わらない……変えられないんだよ人は。
「そう。なら、勝手にしなさい」
何処までも冷え切った言葉だった。
昨日からの非日常とトラウマを刺激された事で堪えることができず、叫んだ俺の言葉を聞いた日野森は何処までも冷え切った氷の様な目と声を残し、その場を歩き去っていった。
……きっと、取るべき選択を間違えたと遅れながらに理解したがその時には既に、日野森の背中はなく俺はただその場にしゃがみ込み、一時間目の授業をサボるのだった。