望まぬ戦い
「土御門 音夢……世界的音楽コンクールでの優勝経験もある、土御門 時雨と土御門 麻理の一人娘か」
AD本部にて、自身の仕事部屋として与えられている局長室にて部下から報告される土御門 音夢に関するデータを、珈琲片手に眺める茂光の眉間には読み進めると共に皺が刻まれていた。
「何度か両親と共にいる姿が、ご夫婦の友人から聞き出せたがその時の彼女は、必ず両親のどちらかに隠れる様にして、相手の顔を伺うというかなりの人見知りだったと……転入初日に臆せず、先森君に抱き着いたのと同一人物には思えないな。そして、彼との接点が出来たのは、そんな娘を普通の学校に通わせようとした夫婦の意向で、日本に長期滞在することになった時か」
マウスを操作し、画面に映し出された報告書をスライドさせると、当時、土御門夫婦が使用していたSNSに多少の画像加工はされているものの、背景に今は灰都になってしまった場所に建っていた小学校とランドセルを背負っている土御音夢の姿を収めた写真が上げられていた。
さらには、奥さんである土御門 麻理は個人的なブログをやっていた様で、そこには緊張と両親から離れる孤独感か今にも泣き出しそうになっていたと書かれていた。
「……暫くの間、友達が出来なかった様だが、入学から一ヶ月経った辺りから友人として、男の子が出来たという記述があり、これを先森君だと判断している……なるほど」
この断定先森とする男の子との関係は、長い事続いた様で茂光がデータに目を通していくと、運動会や音楽会、遠足などことある毎にその存在が、土御門 音夢と共にいる事が明らかになる。
珈琲を一口飲んだところで、茂光はとある事に気がついた。
「男の子の記述は毎回あるが、それ以外の友達の記述が増えていかない……まさか、本当に彼女にとって友達と言える存在は、彼しか居なかったのか?」
当時を知る多くの人間、記録の殆どが災害によって失われてしまったために、確定と言えるほど断言は出来ないがそれでも、かき集めた断片的な情報の全てが茂光の予想を裏付けていた。
「たった一人の友達にして、同じ境遇の生き残り……彼女の盲目的なまでの執着は確かに此処にあるのかもしれないな」
土御門 音夢という少女の行動理由に一つの予測が出来た茂光は、そのまま局長として部下の報告に目を通していくのだが、ある時その手が止まり、彼の表情が一気に困惑のものへと切り替わった。
そこに映し出されているのは、土御門夫婦の友人として、今現在秘密裏に音夢を預かっている可能性があると目される者達が、顔写真付きで並べられていたのだがそこに一人だけ、彼が見覚えのある人物がいたのだ。
「……先生?」
その人物は、茂光がまだ二十代であった頃に通っていた生物学専攻の大学にて、教授として教壇に上っていた人物であり、本来であればもう既に生きている事はあり得ない。
そんな人間が普通の街中を歩いている姿が、こうして写真に収められている事に困惑を隠せなくなっていた。
画像には、その教授の娘さんと書かれているが、茂光から見てその人物は娘というには、記憶の中にある教授と瓜二つを通り越し、同一人物にしか見えなかった。
「調べなければ……ん?」
すっかり冷え切った珈琲を飲みきると同時に、部屋に備え付けられている電話が着信を知らせる音が鳴り響く。
考え事をしながらも、電話を手に取った茂光の耳にその考えの全てを吹き飛ばす報告が飛び込んだ。
『先森 綾人の反応、全てが消えると同時に、学園周囲にアビス・ウォーカーが出現。現在、伊藤、日野森両名によるアビス・ウォーカー殲滅戦が行われている』
「ねぇ、綾人。今日、放課後に話したいことあるから屋上に来てほしいな」
怪我もある程度回復した頃に、突然、隣に座る音夢から耳元で囁き声でそんな事を提案された。
元々、綺麗な声なのも相まって耳元で囁かれると、くすぐったい様な気持ち良い様な妙な感覚になるな……って、そんな事じゃねぇ、話したい事があるから放課後に来い?
これから彼女ともっと気楽に話していこうと思った矢先に、とんだ提案だな。
この学園の屋上は、最近にしては珍しく生徒に向けて常時開放されており、自由に出入りが可能で屋上からの景色が良いのも相まって、昼時などはかなりの人気スポットになっている。
そんな屋上だが、放課後となると使用用途はガラッと変わり、青春らしい……まぁ、簡単に言えば告白場所になっているため、そこに呼び出されるというだけで誰もが浮き足立つ場所だ。
「……それは良いけど、俺一人か?」
念のため確認を取っておこうと、黒板の前に立っている教師の目を盗んで音夢の耳元で、囁く。
「んっ……そうだよ。綾人、一人で来てほしい」
同じようにくすぐったかったのか、少しだけ首を窄める音夢。
俺が記憶を取り戻していないのもあって、俺から見た音夢は凄く好意を向けてくる異性の友達という程度の認識しか、まだ持てていない。
とは言え、呼び出しをされて向かわない訳にもいかず、悶々とした悩みを抱えたまま時間は流れて、放課後となる。
「日野森には少し用事があると言っておいたが……思いっきり怪訝な顔されたな」
多分あの面は、『なに、また問題起こしたの?』って感じのやつだ。
最近は大人しくしてるんだが……まぁ、日頃の行いってやつはそう簡単に払拭されないわな。
三階から更に階段を登っていくと、屋上への入り口が見え既に音夢が、到着しているのだろう少しだけ扉が開いており、太陽の明かりが僅かに差し込んでいる。
「はぁぁふぅぅぅ……よしっ、音夢!来たぞ!」
覚悟を決めて扉を大きく開いて、屋上へと足を踏み入れると音夢がフェンスに背を預けながら、立っており今まで考え事でもしていたのか、俺の声を聞いて閉じていた目がゆっくりと開き、沈みゆく太陽を背にした彼女のその瞳は元々、光が宿っていなかったが今まで以上に、何か仄暗いものを感じさせるものだった。
「ありがとう、綾人。本当に一人で来てくれて」
「そういう約束だからな。それで、こんな所に俺を呼び出してなんの様だ?」
背中を預けていたフェンスからその背を離し、カツンカツンっと足音を立てながら薄らと微笑みを携えて、歩いてくる音夢のその姿は、何処か神秘的で──それでいて、不気味さを感じずにはいられなかった。
その独特な空気に俺が呑まれていると、ピタッと足音は止まり彼女と俺の距離は、机一個分ほど離れたものとなった。
「ねぇ、私が綾人に言ったこと覚えてる?転入してきた時に、すっごく混乱した顔でどうにか絞り出した、『お前はなんなんだ?』って聞かれて返した言葉」
あの時、言われた言葉?
少しだけ考えて、すぐにその時の光景は思い出され同時に、彼女の言葉も鮮明に思い出した。
『綾人と一緒。私だけが、貴方の痛みを知っていて、貴方の悲しみと嘆きに寄り添える、この世界でただ一人だけの理解者だよ?』
あの時はなにを言っているのか分からなかったが、今にして思えば同じ生き残りという事を示していた。
「ふふっ、その顔は思い出してくれたみたいだね。それとも、今いる『組織』から聞いた事と照らし合わせて、何かに気がついた?」
「ッッ!?どうしてそれを!?」
「──やっぱり、そうなんだね」
悪戯が成功したみたいに笑う音夢を見て、今の発言が俺を引っ掛けるものだったと理解した。
……口にしてしまったものは仕方ない……それに、音夢がADとは異なる何かにいる可能性も考えてはいた、今の質問をしてくるって事は一気にその疑いを強めるしかない。
「音夢、お前は」
「だーめ。今は私が綾人に質問する番なの!」
従う理由はないが、勘が訴えかけている。
此処は、音夢の言う通りに従っておけと……それが何故なのかは分からないが、黙って頷くと音夢は嬉しそうに笑みを浮かべて、更に口を開く。
「私と綾人は、この世界でお互いだけがたった一人の理解者なの。だって、そうでしょ?どれだけ多くの人が、辛かったね、苦しかったねと慰めの言葉を口にしても、あの地獄を経験していない部外者の言葉でしかない。私達の痛みを本当に理解出来る訳じゃない──だって、その人達は経験していないんだから」
音夢の言葉は確かに的を射抜いている。
俺がどれだけあの日の地獄を口にしようと、俺が感じた喉の渇きや痛み、思い出そうとすればいくらでも耳に蘇る助けを望む声、絶望に沈んでいく声……身体も心も焼く火の熱さと、自分しか居ない孤独感。
これらを本当に理解出来る『他人』なんてこの世界には居ない──音夢を除いて。
「ねぇ、綾人?私と一緒に居よう?貴方の痛みも、苦しみも全部全部、私が一緒に背負って慰めてあげる。この世界で、たった一人だけの理解者とずぅーと、ずぅーと一緒にいよ?」
音夢の蕩けきった甘いその提案は、思わず差し出された手と共に取りたくなってしまうほど、甘美で優しくそれでいて蠱惑的なものだった。
──それでも俺は、伸びかけた右手を左手で押さえ込み、そんな俺を首を傾げながら見ている音夢の目を見つめた。
「綾人?」
「音夢、一つだけ聞かせてくれ。それは俺にADから離れろという事か?」
「そうだよ。綾人は、私と二人でううん……二人だけで生きるの」
俺の質問に一切、澱みなく音夢は言い切った。
それと共に、伸びかけていた右手はゆっくりと元に戻っていき左手で押さえ込む必要もなくなった……音夢の返事はなんとなく予想していた。
「音夢の提案はとても嬉しいと思う」
「本当!?なら──「けど、ダメだ。俺は君の手を取れない」──え?」
喜色に染まった表情が一気に困惑へと切り替わる。
どうやら断られるとは、微塵も思っていなかった様だ。
「ADの人達には色んな、貸しがあって……色々と世話になってるんだ。まともに学園にすら通う気がなかった俺が、普通に学園に足を運んでいるのもあの人達のお陰だし、全然接点のなかった日野森っていう友達も出来た……昔の俺だったら、君を選ぶのかもしれないけど、『今』の俺にとってADは簡単に捨てたくない場所なんだ。だから音夢も!……音夢?」
音夢も一緒にADに来ないか?と誘おうとして、俺は彼女の異変に気がついた。
俺の言葉なんて聞こえていないっといった風に、下を向いて聞き取れないが何かぶつぶつと言っており、控えめに言ってその姿はかなり怖く、反射的に一歩下がるとそれが失敗だったと悟る。
「どうして?どうして?どうして?綾人は私から離れるの?なんでどうして私と綾人はずっと一緒に居るの──逃げないで?」
明らかに普通ではない様子で、話す彼女の両手に虚空から、バイオリンが出現し握られると自然な動作で、彼女はそのまま演奏を始める。
その音楽は、日野森と共に訪れた水族館に現れたクラゲ型アビス・ウォーカーを倒した後に、流れた──『魔王』という曲だ。
「待て音夢!?」
嫌な予感から彼女を止めようと腕を伸ばすが、その瞬間、辺り一体が暗闇に閉ざされ、戦場で感じる独特な澱んだ空気を感じ、反射的に音夢から離れるために後方へと、飛ぶと先ほどまで俺が立っていた位置を挟み込む様に黒い人形が二体、現れて学園の外には別のアビス・ウォーカーが現れたのか黒い大きな影が見える。
「──本当は綾人の意志で、私を選んで欲しかったけど、力づくで行くね?怪我も治ってるみたいだし」
「……音夢」
「綾人を傷付けたくはないから、早めに降参してくれると嬉しいな。着装」
着装と音夢が口にした瞬間、周囲の闇が彼女の周りに集まり、一つの服の様になる。
所謂、ゴスロリと言われる分類だとは思うのだが、黒で統一されたマントやベストの襟元や裾などには、金色が線の様にあしらわれており、ふわりと広がるスカートの裾は純白の白という何処となく軍服を感じられる姿へと変化した彼女の姿は、まるで指揮者の様でもあった。
「ッッ……闇よ、我が身に纏いて鎧となれ!」
思わず、その姿に見惚れかけていたが、慌てていつもの様に鎧を身に纏うと、音夢はそんな俺を見て妖艶に微笑む。
「その姿も格好良いね。顔が隠れちゃうのが、残念だけど」
「褒めてくれるのは嬉しいが……戦いたくはないな」
こうして敵対の意思を見せられてもなお、覚悟が決まらない俺の甘えた言葉に音夢はゆっくりと首を振って、否定を示す。
俺が提案を断った時点で……もう彼女には力で俺を連れ去る以外方法がない様だ。
拳を構える俺を見て、彼女が演奏する魔王が一度、大きな音を奏でると人形が一気に、俺に向かって走り出してくるのだった。