自分勝手
「おーい!こっちにパスくれ!パス!」
「させねがふ!?」
「宮本ぉ!?」
おー、見事な顔面ブロック……あ、鼻血出して保健室行きになったな宮本某……あいつ、この前も音夢に圧かけられて、席無理やり交換させられたり運がないなって、そんな事はどうでも良いんだよ。
「はぁ……どうすっかな」
一悶着ありながらも、登校した一時間目の授業は体育であり、怪我から参加することが出来ない俺は、担当の獅子堂に頼んで、見学という形にさせて貰い、クラスメイト達がサッカーに興じる姿を眺めながら、女子の方でぼーっとキーパーの係にされて暇そうに、本当に暇そうに地面を歩く蟻をしゃがんで見ている音夢とどうやって接するか考えていた。
俺と同じ生き残りだと教えて貰ったけど、なんかそれで知った風に話しかけるのも悪いし……だからって腹芸が出来るかって言われたら無理だしなぁ。
……音夢が望んでるのは、彼女の事を全部思い出した俺であって、聞き齧った知識で知ったふりをする俺じゃないだろう。
「……はぁ」
こんなんだったら、音夢の素性なんて知らなきゃ良かったよ、そうすりゃもう少し楽に今の俺として接する事が出来たのに。
ふと、頭に当たっていた陽の光が隠れて、僅かに暗くなった。
顔を上げると、そこには赤いジャージを来た獅子堂が立っていた。
「どうした、溜息なんぞお前らしくもない」
「……アンタが俺をどう思ってるか気になるところではありますが、授業中っすよ先生?」
「なに、悩める生徒と授業の両立ぐらいしてみせるのが教師よ」
それ、多分アンタだけだと思うが、獅子堂は自信満々の笑みを浮かべてこうしている間にも、少々ラフプレイに走った生徒を注意している辺り、本当に余裕なのだろう。
「じゃあこれ、独り言っすけど」
「あぁ」
独り言だって言ってるのに、正面から隣へ移動し腕を組み聞く姿勢を取る。
サッカーの楽しむクラスメイト達の喧騒に比べれば、小さな消え入りそうな声で俺は話し出した。
「……昔からの友達関係だった二人が居て、ある日を境に再会して、片方は相手との楽しいことや嬉しかったこと、辛かったこと、泣きたかったことを全部覚えてて、もう片方はそれらを全部忘れてた……それでも、友人は昔と変わらない態度で接してくる……なにも覚えない方はどうするのが正解なんすかね」
俺の視線に気がついたのか、ずっと蟻を眺めていた音夢が満開の花の様な綺麗な笑みを浮かべて、ぶんぶんっと手を振ってくる。
それに小さく手を振りかえすと、その横をシュートされたボールが通り抜けていき見事にゴール、同じチームになっている日野森が、音夢に距離を詰めていき何やら怒り始め、暫くしたら俺の方をキッと睨みつけてきた……これ絶対、余計な事に巻き込まれんじゃん……
「──俺が思うに、先森。それは覚えていない側がどうしたいかではないか?」
「どうしたいか?」
「そうだ。相手が、全部覚えている事に申し訳なさを覚え、距離を取りたいのかそれとも、歩み寄る姿勢を見せもう一度、友達になりたいのか」
日野森にはもう一度、想い出を作れば良いと言われた。
あの時は、あの言葉で救われたが改めて、考えればある意味自分勝手で無責任ではないかと思ってしまった。
「……自分勝手過ぎないか?」
「ふっ、散々授業をサボるわ、喧嘩はするわをしてきた学園屈指の自由人の言葉には思えんな」
「うぐっ……」
「お前のルールを守らない自分勝手さは後で、話し合うとして。俺はな、自分勝手って言葉はそんなに悪い意味じゃないと思っている」
その言葉に思わず、獅子堂の方を見てしまうと、それを予想していたのか悪戯が成功した様な意地の悪い笑みを獅子堂は、浮かべていた。
なんだか、負けた気分だな……
「人が生きていく上で、ある程度のルールは守らなければならない。だが、人間付き合いはそうじゃない。時には、我が儘に自分勝手をしたって良いんだ。今の俺が正にそれだ、悩んでる生徒を放っておけなくて自分勝手に、話しかけにきたんだからな」
そう言って獅子堂は、快活な笑みを浮かべるとバチンっと勢い良く、俺の背中を叩いた。
グェッと突然の痛みに呻き、その力強さに体育座りをしていた俺は、足と体の間に頭が落ちてしまい額を自分の手に、ぶつけるという器用な事をしてしまった。
「怪我人だぞ……俺は」
「ハッハッハ!悩めよ、少年──後悔のない様にな」
そう言い残し、獅子堂は首からぶら下げていた笛を吹き、クラスメイト達の動きを止めるとそれに負けず劣らずの大声量で、授業の終了と片付けを命じるのだった。
「……自分勝手か……ハハッ、俺の得意技じゃないか」
「綾人〜見てた?見てた?私、頑張ったよ〜」
「うおっと」
「わっ」
立ち上がった俺に向かって、ずっと蟻を眺めていただけの音夢が、いつもの様に抱きつこうと飛び掛かって来たので、それを怪我を考慮した上で抱き止めると、ちょっとだけ驚いた声を出した。
「見てたぞ音夢。次は、蟻以外も見てような」
笑いながら注意をすると、それに音夢は少しだけ目を丸くして、嬉しそうな笑みを浮かべた──それを見て、俺の選択は間違えてなかったと思った。
「……えへへ!バレた?」
「あぁ。でも、それは日野森に怒られたんだろ?」
「むー……あいつ、小言嫌い」
「まぁ、正論で殴ってくるからなぁ」
「……悪かったわね?正論で」
「ひぇ」
「……ヒェ」
いつの間にか片付けを終えた日野森が、目の笑っていない笑顔で後ろから、圧をかけてきた。
背筋に寒いものが走る俺と、それを実際に見た音夢は若干棒読みではあるが、情けない声を出しその場から逃げ出した。
五年前に起きた火災、それによって灰の街と化した部分を『灰都』と呼び、無事であった場所と人々は区別しており、その『灰都』と呼ばれる場所は多摩地域のほとんどであり、孤立する形になった西多摩は完全なゴーストタウンと化し人の暮らしは、行われていない。
「いつ来ても何もない場所だな」
今なお、灰と瓦礫が支配するその場所を伊藤は一人で歩いていた。
地面は瓦礫や、灰によって歩きづらい事この上ない場所を杖を突く老人が歩くには、適していないが優れた感覚を持っている彼にそんな事を気にしている様子はなかった。
「……やはり、どうにも粘着く嫌な空気が漂っている。アイツの残り香と考えれば妥当……む?」
視界の端、元の建物がどの様な使用用途だったかは分からないが、半ば程から折れて倒壊している瓦礫の上を風より巻き上げられた灰と、それに混ざる様に黒い靄が漂ったのを伊藤は、その独特の嫌な気配と己の直感から捉えた瞬間、手に持つ杖から、刀身を引き抜いていた。
サードアイとして、そして生きてきた年数の大半を戦場に捧げていた男だからこその判断であり、その判断を下した彼自身、視線の一切が動かなくなっていた──それはつまり、逸らした瞬間に死ぬという事である。
彼の視線の先で、靄は少しずつその数を増やしていきちょうど、サッカーボール程度の球体になる共もに周囲の空間は捻じ曲がり、やがてその中央にヒビが入るとその次の瞬間には、黒い靄を纏った太い腕が飛び出した。
「しぃ!」
わざわざ、その敵が出るのを待つ事なく、飛び出した腕に斬りかかる伊藤であったが、刀身がその黒い体毛に覆われている腕にぶつかると、まるで金属の様な甲高い音を立てて、防がれ切断するどころか体毛の下にある肉体へと届かなかった。
『──ちげぇなぁ』
「……何者だ」
一度距離を取った伊藤の視線の先には、先ほどよりこちら側の世界に腕を覗かせている化け物の存在があった。
その化け物は、煩わしそうに両腕で空間の亀裂を広げると、赤い光を灯した瞳を暗闇の中から覗かし向かい合う伊藤を見る。
『ちげぇなぁ……お前も悪くはないが、あの輝きと比べれば劣っている。出直すとするか』
低い声で、落胆に満ちた音色を零すその化け物は亀裂の中へと腕を引っ込めると、辺りに漂っていた嫌な気配は消え去り、伊藤は無意識の内に小さく安堵の息を溢していた。
「……言葉を操るアビス・ウォーカーか。奴の気配を探りに来たら、とんだ爆弾と遭遇したものだな」
刀を杖にしまいながら、伊藤は一瞬だけ顔を覗かせた人の言葉を操るアビス・ウォーカーへと思考を飛ばす──もし、戦えば勝てるのかどうかと。
そしてすぐにその結論は、導き出された。
「死ぬ気でやれば……と言ったところか」
気づかぬうちに流れていた冷や汗を拭いながら、伊藤は灰都を後にするのだった。