転入生の美少女
何もかもが崩れ落ち、色鮮やかな世界とは真逆の白と黒が支配する灰の世界を、両手で必死に耳を押さえて歩き続ける子供がいた。
『たす……けて……』
『いやァァ……身体が……身体が……』
『───』
必死に、必死にどれだけ力を込めて耳も押さえても、聞こえてくる誰かの苦しい気な声と、絶望に満ちた断末魔の中、もはや流れる涙も無くなった子供はそれでも、大好きな両親に逃げろと言われたから、こんな世界の外側に向けて足を動かし続け、そして──■■れ■彼■■■を■てその場で──ピピッ!ピピッ!
「んぁ?」
軽快なリズムと共に、スマホにセットしておいた目覚ましの音が部屋に鳴り響く。
一度、目を開けてしまえば窓の向こうから射し込む太陽光が、無理やり叩き起こし二度寝を許してくれないので、手探りでスマホを探して、止めて身体を起こす。
そういや、今日は伊藤の爺さんが朝から仕事だとか言ってたから、俺の家に戻って来てたんだっけかと、見慣れた家具達を見ながら少しだけ頭を動かし、目を覚ます。
「……なんつうか、悪い夢を見た気がするが、もうよく思い出せねぇ」
まぁ良いか……目覚ましの時間はギリギリに設定してるから、とっととフレークでも食って行くか。
牛乳で流し込む様にフレークを食って、制服に着替え家を出て、最寄りのコンビニからこし餡パン、カレーパン、カツサンド、BOS缶コーヒーブラックを買って、学園へと向かう。
「……少し、空気がジメジメしてきたな。帰る頃に雨じゃなきゃ良いんだが」
そろそろやってくるであろう梅雨に、ただでさえ低い気分が下がって行くのを感じつつ歩いて行くと、学園が見えて来て相変わらず、でかい声で挨拶している獅子堂の姿もあった。
「おはよう、先森!今日も真面目に来た様で俺は、嬉しいぞ」
「ウッス。アンタも、相変わらずっすね」
「次は敬語を覚えることだな先森。っと、そうだ少し耳を貸せ」
急に小声になって、辺りを見ながら手招きしてくる獅子堂の不審者感に、思わず学園内に逃げ出したくなったが、ほかの生徒の目もあるし、襲われる事はないというか、この人の性格的に普通に密談だろと当たりを付ける。
しかし、周りに聞かれちゃ不味いことなんかしてるか?……バリバリしてるわ主にADの仕事だけど。
もしかして、バレたか?なんて事を考えながら、耳を近づけると無駄にいい声で囁かれた。
「お前、日野森の付き合ってるって聞いたが本当か?」
「ッッ〜〜思春期かアンタ!?」
心配して損したわ!!つか、仮に真実だとしてもいい歳したおっさんの教師が、生徒のプライベート的なところに突っ込んでくるんじゃねぇ。
「なんだ違うのか」
「違うわ!アイツは、ただの友達だ」
水族館で俺と日野森は、お互いに友達になると誓ったんだから、関係性と言われても友達としか答えようがないって、なんだ俺の返事を聞いたら、嬉しそうに笑顔になったぞ獅子堂のやつ。
「なんで、嬉しそうなんだ?」
「ん?そりゃ、ずっと問題児で一人だったお前に、漸く友達って言える相手が出来て、それも優等生の日野森って言うなら、ずっと見てきた俺としては嬉しい限りだ。こうして、サボらずに登校してくれる様にもなったしな」
こういう人なのは、よく知っていたがそれでも真正面から向けられるどこまでも、真っ直ぐで生徒である俺のほんの些細な変化を、自分のことの様に喜んでくれる人の好意を受けると身体がむず痒くなって訪れるポカポカとした、暖かさは慣れないな。
「……ウッス」
「よし、今日も良い一日を過ごせよ先森」
バンっと背中を叩かれて、一歩を歩み出すと背中はあの怪力で、しばらく痺れた痛みが残ったがそれでも、朝から気落ちしていた気分は、遥か遠くになり俺は心地よく教室に向かえた。
「えー、今日は急ですが、なんと転入生を紹介します!」
ほー、こんな時期に転入生か……まぁ、どうでも良いから寝るか。
「どんな子だろ?」
「可愛い子だったらいいな!」
「いやいや、ここはイケメンで」
……うるせぇ、気になるのは分かるがいくらなんでも煩すぎる。
男子どもは、美人や可愛い子、スタイルが良い子など欲望に任せた盛り上がり方をし、女子はイケメン!とか可愛い子!など、こっちもこっちで男子と同様の盛り上がり方を見せており、授業中であれば隣のクラスから文句がくるほど煩くなった。
「はいはい、そこまで!じゃあ、紹介するから入って来て!」
「はい」
手を叩き、クラスメイトを静かにさせた先生が廊下で待機している転入生に声をかけると、綺麗な女性的な声が聞こえ、それに男子達はガッツポーズを見せると、転入生はドアを開けて入ってくる。
先ず、目を引いたのは腰までの長さがある濡れた様な黒い髪が、彼女の歩幅に合わせ後ろに靡きながら広がっていく光景と、病的と言えるほど真っ白な肌だった。
ある種の神秘さすら感じられる彼女は、入ってくると共に誰かを探している様で、髪で隠れた左目はこちら側から何処を見ているか分からないものの、残された右目は思わず恐怖を覚えるほど黒く濁っておりその目と俺の目がバッチリ合ったその瞬間──
「あっ!」
パァァっと満開の花が咲き誇る様な、笑みを浮かべて先生の横に並ぶ様に向かっていた足が、方向を変えて真っ直ぐ俺の方へと歩き出した。
「土御門さん?」
先生の静止を呼びかける声など耳にも入っていない様で、その足を早めていきその過程で、もしかして自分が!?みたいな感じでワクワクしている男子達の心を折りながら、土御門と呼ばれた彼女は最後尾に座る俺の前に立った。
「……えーと、土御門さん?」
反射的に思わず、声をかけると一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべたかと、思ったらまた花が咲き誇る様な笑顔に変わり、勢いよく俺に抱きついて来た──って、え!?!?
「うおっ!?!?」
咄嗟に同い年の女子を、不安定な体勢で受け止められる訳もなく、俺と土御門は共に後ろに大きく倒れる事になり、どうにか受け身で衝撃は和らげたが、その際、飛び込んできた彼女をぎゅっと抱きしめる形になってしまい、少しだけ彼女の口から苦しそうな声が漏れた。
「す、すまん!だい……じょう……」
最後まで言葉を言い切る事は出来なかった、何故なら──
「綾人♪綾人♪」
──まるで、子供の様に無邪気な笑顔を浮かべ、心の底から嬉しいという感情が抑えきれないといった感じの喜色に満ちた声で、俺の名前を呼ぶ土御門の姿があったからであり、同時に嫉妬と怨嗟に満ちた視線がブスブスと俺に突き刺さる。
「……訳が分からない。誰か助けてくれ」
思わず、助けを求める言葉が口から飛び出したが、俺は何も悪くないよな?
と、取り敢えず怪我もなさそうだし、土御門を引き剥がして……って剥がれねぇ!どんだけ力強いんだこいつ!?
「つ、土御門……「音夢!音夢!って呼んで!じゃなきゃ、離れない」……分かった、音夢。一旦、離れてくれ、立てないから」
「はーい♪」
名前を呼んだらあっさりと、離れてくれ、俺は立ち上がる事が出来たが、今度は凄い自然な足捌きと流れで、俺の右手を両腕で、ガッツリと拘束して顔をスリスリし始めた……なんで、こんな好感度高いのこの子?
「……えーと、音夢。君は一体……なんなんだ?」
女の子にかける言葉じゃねぇなとは思いつつ、大混乱中の頭ではこれが精一杯、引きずり出せた言葉であり今なお、嬉しそうに笑顔を浮かべている彼女を、最大限配慮した言葉だった。
俺の投げかけた質問に、一度首を傾げ、ふっくらとした柔らかそうな唇に指を当てて少しだけ考える素振りを見せた後、やっぱり笑顔で、俺の目をじっと見ながら音夢は口を開いた。
「綾人と一緒。私だけが、貴方の痛みを知っていて、貴方の悲しみと嘆きに寄り添える、この世界でただ一人だけの理解者だよ?」
思わず見惚れてしまう表情で告げられた内容は、俺と一緒という何を言っているのか全く、分からないが何故かその言葉は、ストンと胸の中に落ちてきてこれ以上、追求する気持ちが起きなかった。
「……そうか」
「うん!そうだよ!」
否定せず、同意された事が嬉しかったのか右腕から感じる力は、さらに強まりスリスリどころかグリグリに変わったところで、俺はふと正気に戻り、今ここが学園で、針の筵になるぐらいの視線が向けられている事に気がつき、気を抜いていたのであろう音夢の拘束から抜け出した。
「あっ……」
「せ、先生!音夢の席は何処ですか!?」
とりあえず、次の拘束が飛んで来るより早く彼女を遠ざけないと俺が羞恥心で死ぬ!その一心で、発した言葉はちゃんと先生に届いた様で、ハッとした表情を浮かべた。
「土御門さん、とりあえず貴女の席は向こうに用意してありますから」
そう言って、先生は俺から離れた空席を指差すが、音夢は一度だけそこに視線を向けると、小さく溜息を零し俺の隣に座るえーと……宮本だか宮崎だが忘れたけどナントカ 太郎に詰め寄った。
「ねぇ、そこ変わって」
「え、いや」
「変わって?」
「……ハイ」
熱という熱が消えた声と、濁りまくった目という圧力に完膚なきまでに屈したナントカ 太郎は、自分の荷物を纏めると、音夢が行くはずだった席にすごすごと移動して行った……なんか、すまん。
満足そうに奪い取った机を俺の机に、ピッタリとくっつけると音夢は漸く座り、これで文句ないでしょ?と言わんばかりに俺を見て来た。
最後の希望として、先生を見るが諦めた様に首を振られてしまい、俺の希望は完全に断たれ俺は項垂れながら、座るとすかさず俺の腕を絡め取ってニコニコとし始めた音夢。
「これからよろしくね綾人♪」
「……おう」
平和な学園生活よ、さらば。