第一節 最初の出会い
「さて、儂はどうするかのう」
森に一人残された儂は適当な木に登り、身を隠すようにして樹上に座っていた。
この辺りにヒトの気配は感じられないものの、もしふらっと現れて見つかりでもしたら困るからだ。
ただの童女にしか見えない儂が、こんな森に一人でいるなどヒトからすれば只事ではないと思われるだろう。そうなったら色々と追及されて面倒なことになるに違いない。だからこうして隠れているのだ。
「記憶のない儂の方が、真面目に正体を秘匿しておるような気がするのじゃが」
街に入る方法を探るために向かった、パルイーフとシチーリの顔を思い浮かべる。
ここで待っていろとは言われたが、あの二人のやり方が成功するとは考えにくい。
やはりここは儂が何か策を考えるべきだろうか。
「しかし、何も思い浮かばんなぁ……」
数刻の間、考えてはみたものの中々良さそうな案は閃かない。
何か着想の手がかりになるようなものは無いかと樹上から辺りを見渡すが、先程からほとんど変化が無い。まるでこの一帯だけ時が止まったかのようだった。
姿を隠していても竜の存在感のようなものは隠せないのか、森に棲んでいる魔物たちは明らかに、こちらに近寄ろうとしてこない。
ただ、街の番兵と相対したときにはそんな様子は無かった。ヒトは見ただけでは儂らの正体に気付けないと言うのは間違いなさそうだ。
「ふわぁ……。しかし、なんだか……眠くなってきたのう」
ふと、欠伸が漏れる。
起きてからそれほど時間は経っていないとは思うが、ここまで色々あったからだろうか。それとも、この童の身体のせいだからだろうか。一人になってからどうにも眠気が強くなってきた。
もしかしたら、何も良い案が浮かばないのはこの眠気のせいのような気がしてきた。であれば、少し眠った方が頭も冴えて打開策が閃くかもしれない。
頭の中でそんな理由を付けて、うとうとと微睡んでいたところ、
「うわあああああっ!!」
突如聞こえたヒトの叫び声で、はっと目を見開く。
この森は魔物の縄張りとなっているはずだったが、確かに聞こえた。これはヒトの声だ。
「あれは……」
樹上から眺めたところ、声の主がこちらの木に近付いているのが見えた。
どうやらそのヒトは魔物に追いかけ回されているようだ。
ここまで近付かれても気付かなかったのは、少し眠ってしまっていたせいか。
「狼のような魔物が三匹に……。対するヒトは、男が一人だけか」
額に尖った一本角が生えた、狼のような魔物。一角狼とでも言ったところか。それが三匹。
三匹の一角狼は、獲物であるヒトを逃がさないように、じりじりと囲うように追い詰めている。低い唸り声をあげて威嚇しながら、突撃のタイミングを窺っているようだ。
一方、ヒトの男はと言うと、小ぶりなナイフを構えてはいるが、恐怖で手が震えているし腰も引けている。まともに戦えるような姿には見えない。
「これでは勝負にもならんな……」
男ががむしゃらにナイフを振り回したところで、あの一角狼たち相手には脅しにすらならないだろう。
「うわぁっ!?」
後ずさりを続けていた男が木の根か何かに足を取られたのか、尻もちをついて転ぶ。
それを見て儂は、咄嗟に助けようと樹上から飛び降りようとしたが、すんでのところで足を止めた。
儂がここで間に入り、一角狼を退けることなど容易いだろう。だが、それではこの男に素性を晒してしまうことになるし、間違いなく面倒なことになってしまう。
それに、ここは魔物の縄張りだ。この男だって、それを知らずに入ってきたわけではあるまい。戦えもしないのに魔物の縄張りに踏み入るなど、食い殺されようが自業自得だ。自然の摂理に従うのなら助けるべきじゃない。
……自業自得? 本当にそうか?
儂はこの男のことを何も知らない。どんな事情でこの森に入って来たかも知らない。自業自得かどうかなど、分かるはずが無いのだ。
「誰か、助けて下さいっ!!」
男の叫び声が耳に響いた。
それは儂の姿に気付いたわけではなく、ただ、苦し紛れに助けを求めたのだけなのだろう。
それでも、その声は儂に向けられているように聞こえた。
……ならば。
「てえぇぇやっ!」
樹上から勢いよく飛び降りて、一角狼たちと男の間を割って入るように着地する。
「え、ええっ!? お、女の子……!?」
困惑する男に背を向け、一角狼と向き合う。
突如として現れた恐怖の存在に対し、驚き怯んでいるのがよく分かる。目の前の獲物を追うことに夢中だったのか、すぐ上にいた儂の気配に気付かなかったのかもしれない。
左右の二匹はすぐにでも逃げ出したそうにしているが、正面に立つ一角狼は怯みながらも退こうとする素振りは見せない。恐らくこやつが群れの頭領なのだろう。
「悪いが、お主らの獲物を横取りさせてもらう。大人しく退いてはくれないか?」
果たして魔物に言葉が通じるのかは分からないが、とりあえずこちらの意思を伝えてみることにした。
敵意が無いことは通じたのかもしれないが、一角狼の頭領は退こうとしない。子分たちの手前、獲物を前にして尻尾を巻いて逃げるのは己の矜持が許さないのだろう。
「グルルルァ!」
「あ、危ないっ!」
覚悟を決めた一角狼の頭領が、儂に向かって飛び掛かって来る。
その意気や良し。だが、相手が悪かった。
「せいっ」
「ギャウン!?」
それに対し、出来る限り手加減をして拳でど突く。
すると、思った以上に力が入ってしまったのか、一角狼を遥か後方へ吹っ飛ばしてしまった。
「す、すまぬ。軽くやったつもりなのじゃが……」
地面に叩きつけられた衝撃で目を回す頭領に対し、子分たちが慌てて駆け寄る。
しばらくすると頭領がよろよろと立ち上がり、覚束ない足取りでこちらから遠ざかっていく。
……良かった。殺めてしまってはいないようだ。
「よもや、これほどまでに力の差があるとはのう……」
一角狼たちが森の奥へ消えていくのを眺める。
かなり力を制限して拳を振るったのにこれでは、魔物たちが竜の気配を恐れて姿を隠すのも頷ける。
力加減というのを身に付けていかないと、この先困ることになりそうだ。
「あ、あの……」
背後からの声に気付き、後ろを振り返る。
「た、助けてくれてありがとうございます。僕はベクターって言います」
ベクターと名乗った男は握りしめていたナイフを仕舞い、感謝の言葉を述べた。
しかし、未だに恐怖が収まっていないのか、それとも一角狼よりも恐ろしい化け物が現れたことに恐怖が増したのか……腰は抜かしたままで、声は震えている。
「助けた……。そうか、儂は助けたのか……」
「あ、あの……? 君、いや、あなたは一体……?」
姿も見られてしまったし、尋常ならざる力を振るったところも見られてしまった。
面倒なことになる前にすぐこやつの元から離れるべきだと考えたが、何故か身体が動かなかった。
儂はこやつがどんな事情でここに入ったかを知らねばならない。もしそれが自業自得と言えるような愚かな内容であれば、先程の一角狼たちの前に突き出してやる必要があるのだ。
そうだ。儂はこやつを裁定するために助けたのだ。面倒でもここで逃げるわけにはいかない。それが獲物を横取りした者の義務というものだろう。
「儂の名はサチュじゃ。ベクターとやら、お主の話を聞かせてもらうぞ」
へたり込むベクターに対して手を差し伸べる。
正体の秘匿にいきなり失敗してしまった気もするが……まぁ、なんとかなるだろう。