第四節 門前払い
「こうして地上から見ると、存外大きいものじゃのう」
森を出て街道に入り、歩いていると目的地の街がどんどんと近付いてきた。
上空から眺めたときも一際大きな集落だとは思ったが、地上から見るとより大きく見える。いや、実際に大きいのだろう。
高く積み上げられた石の壁によって街全体がぐるりと囲まれており、魔物や不埒な侵入者を許さない仕組みが出来ているのが見て取れる。
その石壁の内側に今から入ろうとしているのだが、やはりというか問題が生じていた。
「うーむ。儂らが普通に入れてもらえるとは思えんのよなぁ……」
街の内と外を分ける境。門を前にして、そう呟く。
儂らの他にも商人やら旅人やら、様々なヒトが街へ入るべく門に向かって行くのが見える。そこで門を守る番兵と、何やら話をして内へ入っているのだ。
「何が問題なんですの?」
「ほれ、奴らが何か紙切れを番兵に見せておるじゃろう。あれは恐らく街へと入る資格のようなもので、あれが無ければ入れてもらえんのかもしれん」
「あの程度の番兵であれば、蹴り飛ばして入るのも容易そうですが」
「お主なぁ……」
呆れてため息を吐く。
「そのようなことをしたら儂らは一瞬でお尋ね者になって、のんびり街を見学なんて出来なくなるわい。そういう暴力的な手段は禁止じゃ」
「そうやって入るヒトもいるかもしれませんよ?」
「そうやって入るヒトを参考にするでないわ」
『真化』を使わずとも暴力に訴えるのは止めろと釘を刺す。
シチーリは「冗談ですよ」などと言ってへらへらと笑ってはいたものの、こやつはどこまで本気なのか分からない。
「大丈夫ですわ、サチュ様! わたくしに良い考えがありますの!」
番兵の検問をどう乗り越えるか考えていると、隣でパルイーフがそう言った。誇らしげな表情で胸を張り、よほど自信があるように見える。
「ほう。どうするつもりじゃ?」
「まぁまぁ、それはやってみれば分かりますわ! 二人とも、ついて来て下さいまし!」
「お、おい!」
そう言うとこちらの制止も聞かずに、門へと向かってずんずんと歩き出していく。仕方なく儂とシチーリもその後に続いた。
その先では馬車を引いた旅人らしき一団が番兵と話を終え、街の内へと入っていく。
その一団が過ぎた後、パルイーフが番兵の前を堂々と歩いて通り過ぎようとすると、
「止まれ。通行証か身分証を掲示してもらおう」
番兵の一人が事務的に淡々とそう告げた。
やはり、黙って通してくれるというわけにはいかないようだ。
「ごきげんよう、門番さん。わたくしたち、この街には観光に訪れましたの」
番兵に対しパルイーフが一歩前に出て、優雅に会釈をする。
その口調や格好からは、貴族の令嬢に見えなくもない。後ろには執事のような恰好をした男も控えておるし。
「お忍びで来ていますので、おいそれと身分を明かすことは出来ないのですわ。ごめんあそばせ」
自信満々かつ毅然とした態度で、堂々と言葉を続ける。
なるほど、貴族の振りをして通ろうというわけか。悪くない策かもしれない。
「申し訳ありません。どのようなお方であれ、通行証か身分証が確認できなければお通しすることは出来ない決まりとなっています」
それを聞いて簡単に通すわけもなく、番兵は道を譲ろうとはしない。目の前の女が身分を偽っていることは十分考えられるからだ。というか、現に偽物令嬢なわけだし。
一応、相手が本物の貴族であったときに備えて、口調は少し丁寧なものになっているが、それだけだ。むしろ番兵の瞳は疑わしいものを見定めようと気合が入ったように見える。
「その、通行証? か、身分証? が無いと絶対にダメですの?」
「ダメですね」
「わたくしたちは特例で通していただけたりとかは?」
「ありませんね」
「どうしても?」
「どうしてもですね」
「ふーむ……」
これは想定通りの展開。さて、ここからどうするつもりなのだ?
「サチュ様」
「む、どうしたのじゃ?」
突然、振り返ったパルイーフに名を呼ばれる。
この後の展開に儂が必要なのか? しかし、事前に相談も何もされていないので、どう動けば正解なのか分からない。いや、そもそも何もしないのが正しいのか?
「サチュ様……」
「おお。儂はどうすれば良いのじゃ?」
こちらへ歩み寄って膝をつくパルイーフ。作戦の耳打ちでもするつもりだろうか。
それならば即興でもそれに応えるしか──
「すみません……! 万策……尽きましたわ…………!!」
「終わりかい!?」
パルイーフから伝えられたのは作戦でも何でもなく、情けない敗北宣言であった。
「んもー! 門番さんがあんなに頑固だなんて思いませんでしたわー!」
「あれで通れるなら番兵なんぞいらんじゃろうが……」
想像以上に中身の無い作戦に思わず頭を抱える。
ここからどう挽回するかを必死で考えてみたものの、打てる手が少なすぎてどうしようもない。
それに、パルイーフの行動を怪しく思ったのか、番兵は余計に訝しげ表情をしている。ここで下手な行動を取れば、それこそお尋ね者にされてしまいかねない。
「仕方ありませんね、後は俺が何とかしましょう」
後方で静観していたシチーリがそう言って前に出る。
何だかすごく嫌な予感がするが、こうなっては仕方ない。あやつに任せてみるとしよう。
「お嬢様方がご迷惑をおかけしました、門番殿。私の方よりお詫びさせて頂きます」
「あんたは何者なんだ?」
「こちらのお嬢様方の従者にございます」
落ち着いた態度で深々と頭を下げるシチーリは、本物の執事のようであった。偽物だが。
「私どもは深い事情があって、おいそれと身分を明かすことが出来ないのです。何とか通していただくわけにはいかないでしょうか?」
「だから、さっきから言っているだろう。どんな事情があろうとも、身分が証明できなければ街へ入れるわけにはいかないと」
番兵が少々苛つきながらそう吐き捨てる。
先ほどのパルイーフのことで、儂らのことを不審者の一団だと定めたのだろう。実に正しい判断だ。
「ふぅむ、そうですか……。では、『別な手段』で通らせていただくとしましょうか……」
「なっ、何をする気だ! 実力行使というわけか!?」
気味の悪い笑みを目の当たりにした番兵は緊張した面持ちで槍を構える。
あやつめ、釘を刺しておいたのに暴力で押し通る気か? それならば止めなければ──
「そう身構えないで下さい。暴力に訴えるつもりなどございませんよ。ただ、ちょっと……こちらの誠意を受け取ってもらえないかと思いまして」
それは番兵に向けた言葉だったが、儂に対しての言葉でもあった。暴力では無いと聞き、動きかけていた足を止める。
どうやら、あやつなりに何か考えがあるようだ。一体何をするつもりなのだろうか。
「ふん、賄賂で懐柔する気か? そんなことで通れると思うなよ」
番兵はもはや完全にこちらを敵視しており、槍を構えたまま下ろそうとはしなかった。
それに対してシチーリは全く怯むことなく近寄っていく。番兵がその不気味な威圧感に気圧されているのはこちらにも伝わって来た。
「賄賂? そんなものではございませんよ」
「なら何を……」
「俺はただ、貴方様の靴を舐めさせていただこうかと思いまして」
前言撤回。こいつは何も考えていない阿呆だった。
「うわっ、何をする!? やめろーっ!」
「フフフ。何かを願う時、ヒトはこうやって誠意を見せるのでしょう? 実に面白い文化ですねぇ」
シチーリは信じられない速度で番兵の足下にへばりつき、蛇のように絡みつきながら靴をベロベロと舐め回し始めた。
あまりのおぞましさに錯乱した番兵は、引き剥がそうと足をばたつかせるが、当のシチーリはびくともしない。
「あ、いいですね。俺がこちらの靴を舐め回している間は、そうやって逆の足で頭を踏んでいただけると気持ち良いです」
「ひいっ! 気持ち悪い、やめてくれー!!」
踏まれようが蹴られようが恍惚とした表情で靴を舐め続けるシチーリ。
番兵は槍を手放し、両手を使って引き剥がそうとするがやはり微動だにしない。そこには竜とヒトの力の差というものが如実に現れていた。
……いや、こんなところで竜の力など見たくなかった。
「やめんか、莫迦ものが!」
気味の悪すぎる光景のあまりしばし言葉を失っていたが、慌てて我に返ってシチーリを蹴り飛ばす。同種である儂の蹴りは効いたのか、ようやくシチーリは番兵の足下から離れた。
かなり力を籠めて蹴ったのだが、蹴られたシチーリは恍惚とした笑みを浮かべていた。こやつ本当に気持ち悪い。
「ふ、不審者だ! 応援を要請してくれ!」
変態に絡まれていた足が自由になった番兵は、一目散に距離を取って大声で周りの者に知らせていた。
すぐさまその声を聞きつけ、別な番兵たちが続々とこの場に集まり始めていた。
こうなってはもう弁明などしようが無いだろう。
「ええい、余計に酷くなったではないか! 一旦退くぞ!」
「了解ですわ!」
「いやー、正直もう門を通るとかどうでもいいので、靴舐めて踏まれていたいです」
「お主は死んでしまえ!」
「ありがとうございます」
去り際に後ろを振り返ると、まるでおぞましいものを見るような番兵たちの眼が映った。
どうかその眼に儂が含まれていませんように……。