『デリート!』
深い霧に包まれた、高層ビル群が立ち並ぶ広大な都市。
高経済社会で途方もなく進化し続けて、生活の質は更に上昇していった。
「……まったく、悩みの種は尽きないものだよ」
自分、尽きぬ財産と最上級の生活に囲まれていて、なおも国の命運を握る絶大な権力まで持つ最高トップ。
忠実な部下に命令さえすれば、どんな無理難題も実現できる。
そこまで恵まれて尚も自分は不満だった。
高経済社会の進歩に犠牲はつきもの。
環境破壊も物凄くて日々悪化していく。
空気も悪く、水の質も悪く、人間の生きる場所ではなくなっていた。
更に貧富の落差が激しく、不衛生で治安の悪い所では自分の悪口ばかり飛び交う。
だからこそ権力でそいつらを黙らす法を作り徹底的に弾圧した。
殺戮、拷問、死刑、監禁、侵略、戦争……と、ありとあらゆる暴力でもって世界に恐怖を植え付けた。
この国も、隣接する国も、かつて敵対していた大国も、自分一人の思いのままだ。
「そう、世界全ては我がもの! このルビージョーカー総統様のな!!」
「はは、その通りでございます」
周りの人は礼儀正しく跪いてくれる。
このルビージョーカー様に逆らう人はいない。……と思っていたのだがな。
「クソジョーカー死ね!!」
「独裁体制に終わりを!!」
「赤き悪に正義の鉄槌を!!」
「みんなで立ち上がろう!!」
「この世に平和を!!」
日々、あちこちで不満が爆発してデモが暴れている。
何度も何度も軍を動員させて、連行、拷問、私刑、と悪虐を重ねて鎮めてきた。
……なのに何故、反逆は潰えないのか!?
日中監視体制で数多くのカメラを設置して、デモが起こる前に弾圧する件も後を絶たない。
奴らは我が完璧な平和体制を否定してくるならず者だ。
なぜ不満なのだ? 独裁と毒づく連中は平和を乱す悪魔だ!
だから徹底的にいたぶって殺してやろう!!
でも、その繰り返しだ。いい加減止めて大人しくして欲しい。
我が作った世界平和は大人しくしてさえいれば安穏の生活が約束される。誰も満足するはずなのだ。
まるで自分から酷い目に遭いたいのかと思わんばかりに、反逆が絶えない。
「ついに完成しました」
かねてより、我が悩みを解消すべき「救済スイッチ」を開発していた。
目の前に赤いスイッチがあるだけの簡素な手握りの機器。それを手に取る。
「気に入らないものを口にして押すだけで、無かった事にできます」
「ほう?」
くりくり機器を手の中で遊ぶ。
「それと仰せの通り、総統様とこの装置のみ消滅の対象から外れています。それと無かった事にしたものを元に戻す事はできません!」
どういう作りかは知らないが、興味深い。
「ご苦労。この装置を作った人は消えろ!」
赤いスイッチを押す。
するとフッと目の前の人が消えた。まるで初めっから存在してなかったかのように周りの人は反応もしない。
聞いてみるととぼけるように「え? そのような人は存じませんが?」と答える。
本当に無かった事にできるんだ。
「ははははははっ!」
目の前が明るくなった気がした。
この装置は危険なものだ。だから製作した人がいると不都合だ。だから消した。
同じものを作られて、逆に自分が消されかねないからだ。
そういう不安要素をたった今、消したのだ。
故に、この装置を作る方法を知る人間はこの世に存在しない。
自分だけがこの装置を有しているのだ。
夢のようである。
後に確認したのだが、「救済スイッチ」の製作に携わった人間は全員忽然と消えていた。
それでも研究所や研究成果のデータは未だ残っていたので、それは爆破して燃やした。これで誰も同じものを作れまい。
「レッドジョーカーに天罰を!!」
「みんなで独裁レッドジョーカーを打ち倒…………」
「この世か……」
何十人もいたデモ隊は忽然と消えた。
何事もなかったかのように、行き交う人間は通り過ぎていく。
一瞬にして平穏な様相に戻っていた。そんなテレビを目に、自分は満足気だ。
ははっ! 我に逆らうデモ隊は世界から消えた事だろう!
この日から、恐ろしいほどに静かな日々となった。
デモ自体は起こせるはずなのだが、不思議と誰も実行しない。我が体制の恐怖に怯える人々はいるが、反逆に燃え上がる人間は一人もいなくなってしまったのだ。
「これぞ! 真の救済!!」
満面の笑みに歪み、愉悦に浸った。
…………だが、この時に感じた違和感を早く気付けば良かったと、自分は後悔する事になった。
この時ほど人間は過ちを繰り返す愚かな生き物だと嘆いた事はなかった。
ウ~ウ~! ウ~ウ~!
赤いランプがけたたましく警戒音を鳴り響かせてきた。
自分はドクンと切羽詰る。
周囲の幹部が騒ぎ出していく。そして乗り込んでくる軍。
「ク、クーデーターだ!!」
デモ隊が存在しなくなってから、溢れる不満は軍に押し寄せた。
取り締まる事で憂さを晴らせず、ただただ独裁体制に従うのが苦痛になってきたせいかもしれない。下手に武器を持っている分、反逆する手段にも成り得ただろう。
押し寄せた軍の発砲音で次々倒れゆく幹部。その恐ろしい銃口が自分にも!
このままでは自分の命が危ない!!
「クーデーターを目論む人など消えろォォォォッ!!」
カチリと赤いスイッチを押す。
忽然と目の前の軍は全部消えた。静寂に包まれ、自分は息を切らして床に尻餅をつく。
幹部の死体だけが転がっていると言う奇妙な風景。
「し……死体は消えろ」
赤いスイッチを押して見ると、死体が全部忽然と消えた。
そこから違和感が大きくなってきた。
今宵の食事に、高価な料理を持ってこさせた。すると何故か肉料理が無かった。
「おい!! 肉はどうした!!」
「い、いえ……失礼しますが、肉とはどのような……?」
「分からないのか!? 肉だ! 肉!! 牛や鶏などを殺して肉を調理して食べるのだ! そんな事も分からないのか!!」
「は……? そ、総統様……? 一体……??」
「もういい!! そいつは処刑しろ!!」
「はっ!」
警備員が動き、とぼけていた失礼な料理人を捕まえた。
「ちょっと待ってください! な、なぜ……??」
暗闇の出入り口へ連行され、自分の与り知れぬ処刑場で命を散らした。
それだけで溜飲が下がった。
しかし他の料理人も肉料理を知らなかったので、仕方なく肉の無い料理を平らげた。
数日後、何気なく高価な車で警備に囲まれながら外を走っていたら、どこにも墓場がなかったのだ。
後に火葬場も何も無くなっていた。
では死んだ人はどこへ埋葬すればいいんだ?
「……と言うか、何が起きているんだ?」
後日、監獄へ赴いて、目の前の痩せこけた男に銃弾を撃ち込んだ。パン!
憂さ晴らしである。
このように無差別に監獄の人間を撃ち殺してカタルシスを得ていた。
哀れ囚人は銃創から赤い血をぶちまけ、その男は地面に倒れる瞬間、フッと消えてしまった。
「ん? 消えたぞ?」
「はい。死んだら消えますが?」
後ろに居た幹部は平然と当たり前のように言ってくる。
胸騒ぎがして、この後も動物を射殺すると消える事も確認できた。
腑に落ちないと思い、心当たる記憶をたぐり寄せるとハッとした。
『し……死体は消えろ』
クーデーターを消した際に、転がっている幹部の死体が見苦しく思って何気なく消した事を思い出した。
あの時は気軽に押してしまったが、まさか世界から死体という概念が消えるとは……。
救済スイッチを手元に、ゴクリと息を飲んだ。
このせいで肉料理まで一緒に消失してしまったのだと悟った。死体が消えるのでは肉は取り出せないからだ。
安易に人を消さないようにしよう、そう思った。
「総統様! 何事も環境を大事にしていただくお願い申します!!」
大衆の議員で囲む大規模な会議室で、青いリボンを胸元につけた平和主義者が異を唱えていた。
青いリボンは正しい平和と秩序を訴える象徴とされ、暗に反逆すると意が込められていた。
その青いのが目障りだな、自分は胸糞悪く思った。
ここでいつもなら『ブルーリボンを付けた人は消えろ』と救済スイッチを押しそうなものだ。
なにか変な弊害が来て不都合な事が起きても困るから、消すのは────!
「青は消えろ!」
人間以外のものを口にして救済スイッチを押した。
効かなければ効かないでいいのだが、押した瞬間、ブルーリボンは緑になった。
「グリーンリボンに誓って、この乱れた圧政を正しくするべき────」
「緑は消えろ!」
今度は橙色になった。
キリがないので「もういい。リボンを付けて逆らう人は消えろ」とスイッチを押した。忽然とリボンの人は消えた。
全く腹が立つ奴らだ……。
閉会し、解散した後に外へ出たら、強烈な違和感が視界に入った。
時計を見た。まだ午後4時。日が暮れる時間ではない。
空は橙色に染まっていた。
それだけならまだいいが、草木まで赤や橙色に生い茂っていた。
────と言うよりも『青』と『緑』がこの世に存在しないのだ!
「ば、馬鹿なッ!? 消せるのは人ではないのか??」
ドクンと動悸がした。
そして製作者が言っていた事を思い出した。
『気に入らないものを口にして押すだけで、無かった事にできます』
なにも『人間』だけ、とは言っていなかった。
だからこそバッタリとデモもクーデーターも死体も無くなってしまったのだ。そして更に『色』の概念まで消えるとは……。
ゾワリと背筋が凍るほど、恐ろしくなってしまった。
自分の屋敷へ帰るまで、道中見かけたものに青と緑は存在しなかった。
青が混合する紫自体は存在するので、青そのものが消えただけなのが不幸中幸いだった。
心労が重なったか、体の調子を崩して病気に蝕まれてしまった。
癌細胞が自分を苦痛に苛まされるように、体内に蠢いていた。その激痛に耐えられず、口にした。
「癌は消えろ! 二度と出てくるんじゃあないッ!」
すると、体がスウッと楽になって快方へ向かった。
思わず笑みがこぼれる。そうか、病気も消せるんだったな。こういう使い方もあるのだな。
たくさんある病気や怪我を次々消しまくっていった。
更に言えば老化も消して老衰死も消した。衰弱死も消した。失血死も消した。事故死も消した。なんなら殺害も消した。
全ての『死』は消えた!!
もう『死』は存在しないのだっ!!
胸がすく思いである。
自分は二十代並みの容姿と体力に留まらず、永遠の命をも得た!
多少の犠牲はあったが、永劫に平和な楽園を創り出せたのだ!!
「諸君! みなで楽園で平和にすごしましょう!!」
晴れ晴れと大衆の前で言い放った。
誰もが喜んで拍手してパチパチと鳴らしていたが、不満を持っている不穏な感情も読み取れた。
自分に逆らえないからこそ、表向きで賞賛したフリをしているのだとも察していた。
「よろしい! 悪意は消えろ!」
すると皆誰もが泣きながら喜んで賞賛してくれるようになった。
……のだが、今度は誰もが涙を流して暗いムードになってしまった。
悪意を抱く概念がないので悲しい感情が代用になったのだろうか?
まるで自分のやり方を否定しているみたいで腹が立った。
「ええい! なぜみんなは暗い方向へ行くんだ!! 苦しみも悲哀も消えろ!!」
するとフッとなにかこそぎ消えた感覚がした。
「アッハハハハハハハハハハハハハハ」
今度はみんな笑い出した。拍手しながら気が狂ったかのように笑い声は止まらなくなってしまった。
耳に劈く笑い声が我慢ならず「笑うのも消えろ!!」と握るようにスイッチを押してしまった。
すると唐突に人々は静まり返ってしまう。
老若男女、全てのものが無表情で拍手だけパチパチ鳴らしていた。
「あ……ああ…………!」
そのおぞましさに自分は恐怖で震え上がってしまう。
見渡すも死んだような顔でこちらを見て拍手し続けていた。異様な光景である。
なんて事してしまったんだろう……。自分は後悔で苛まされた。
急いで研究所へ向かって、博士たちを集めた。
「救済スイッチで消したものを元に戻す研究をしてくれ!!」
「どういう事ですか? 消したものとは??」
消してしまったものを述べても、博士たちは無表情で「大丈夫ですか? 大変疲れているのでしょう。お大事になさってください」と気遣ってくる。
腹立つよりも先に落胆が襲ってきた。
存在しないから、頭に無いんだ。
存在しないものを新しく作るなんて、誰もできない。
それに最初に製作者を消したのが大間違いだった。どんな風に作ったのかも聞いていないし、その成果も研究所も焼き払ってしまった。
思わず膝を付いて、愕然してしまった。
製作者はこうも言っていた。
『無かった事にしたものを元に戻す事はできません!』
自分はフラフラと薄暗い屋敷へ戻って、一人豪勢なベッドへ倒れ込んだ。
途中でメイドや侍らす女がいたが、無表情の為に性欲さえ唆らせない。そんなものを抱いても面白くない。それにそんな気分じゃなかった。
一気につまらない世界へ放り出されたようだ。
「このスイッチがあるせいで……」
仰向けで寝転がりながらスイッチをかざして眺める。
もう何もかも嫌になって自暴自棄になってくる。いっそ自ら消してしまえばと────!
「この我、総統レッドジョーカー消えろ!」
スイッチを押した。
が、自分に異変は起きない。
ハッと製作者の言葉を思い出した。
『それと仰せの通り、総統様とこの装置のみ消滅の対象から外れています』
なんてこった……、自分自身を消すのを除外したのがアダとなったか……。
しばし途方に暮れていると、腹が鳴る。
そろそろメイドたちが晩飯の時間を知らせてくるはずだ。だが、いくら待っても誰も来る様子がない。
少々違和感もし、同時に苛立った。
「こんな沈んでいるのに何をやっているんだ!?」
ツカツカ足を鳴らして、明るい食堂へ入ると料理は無かった。いつもなら並べられているはずなのに、誰も作らなかったのか全く無かった。
壁際に並ぶように待機してるメイドもいない。
訝しげにしていると、一人料理人が歩いていた。思わず胸ぐらを掴む。
「おい!! 料理はどうした? 作っとらんのか!!?」
「あ、あなたは誰ですか……?」
無表情で問い返してくる、思わずカッとなる。
「総統レッドジョーカー様だ! 不敬であるぞ!!」
「……何か言いました?」
「私は総統レッドジョーカーだ!! 覚えとらんのか??」
しかし料理人は無表情で首を傾げる。
「私は……だ? よく言葉が聞き取れませんでしたが??」
最大限に絶句した。
自分の名前まで消失してしまったのだ。
グッと強烈な違和感と愕然を堪えて、自分は新しく名前を言った。
「……私は世界の王エースだ」
「私は……だ? ちょっと途中が聞き取れませんね……?」
「私はキングだ!! 王だ!!」
「私は……だ? ……だ?」
反復してくる無表情の料理人はこちらの名前を認識していないようだ。
愕然として力が抜けた。まさか『総統レッドジョーカー』という名前ではなく、自身の名前そのものが消失するとは思ってもみなかった。
「お前は消えろ!!」
目の前の料理人は音もなく消えた。
虚しい気持ちで暗い廊下をトボトボ歩いていく。
罪悪と後悔だけが心の中で暴れるように駆け巡っていて、行き場が見当たらず滞ったままだ。
……そういえば、他の人の感情は消えたのに、何故私は通常通りなのだ?
怒りもするし、笑う事もできる。
まるで身の回りだけに効果が適用されるみたいだ。自分の名前もそうだが、自分自身は消せず名前だけ消失した。
『それと仰せの通り、総統様とこの装置のみ消滅の対象から外れています』
『総統様は消滅の対象にならない』
そうか…………。
よく分かった…………。
最初っから、私は謀られていたのだ………………。
製作者はこうなる事を分かった上で作ったのだ。
概念が消失する事はおろか、自分が消される事も含めて……。
────こうして最終的に世界中の人間は消えてしまった。
それでも彼は一人決して死ぬ事なく永劫の時間を生きるのだ。
何十年、何百年、何千年、何万年、何億年……。
果てに超新星爆発で太陽系が消え去っても、宇宙が寿命を迎えても、彼だけは死ぬ事は決して無い。
ずっと。ずぅっと……。
あとがき
いわゆるドラ○もんの「どく○いスイッチ」の拡大版っすね。
どうやって神みたいな装置作れたのかは、深く考えてません。すみません。
病気はおろか死まで消失してしまったから、独裁者は宇宙が消えて無の世界で延々と漂う結果に……。