第3章 「再会の時」
70年以上という歳月を経たにも関わらず、美衣子さんの記憶は思っていた以上に鮮明だった。
要するに、それだけ園里香少尉の変化が印象的だったって事かな。
「覚えていらっしゃいますか、美衣子さん?修文4年9月25日の日曜日。私の曾祖母も含めた3人で、和泉府中まで繰り出した日の事を?府中キネマ館や貸本屋を巡った、休暇の日の事を?」
まるで念押しするみたいに、静かでハッキリした口調で切り出したのは、京花ちゃんだった。
日頃の悪友振りは何処へやら。
何時になく真剣な眼差しで、美衣子さんを見据えている。
口火を切る前に飲み干した清酒は、京花ちゃんなりの気付け薬だね。
「そう、そんな事もありましたね…懐かしい。しかし…どうして京花さんが、そのような事を?」
美衣子さんの質問に、京花ちゃんは答えなかった。
「その日、将校集会所で出された朝食は、白御飯に茄子の早漬けと味噌汁。副菜には切り干し大根の辛子和え、主菜には鮭缶の煮込み。茄子が苦手な友呂岐誉理さんは、自分の茄子の早漬けを曾祖母の皿に移しましたね。」
代わりに発するのは、当時の将校用兵舎で出されたらしい朝食の献立だ。
「ええ…私は誉理ちゃんを止めたんだけど、里香ちゃんは倍に増えたお漬物を美味しそうに食べ進めて…でも、何故それを?」
京花ちゃんを見つめる美衣子さんの顔に、次第に怪訝な表情が浮かんでくる。
この少女は何故、自分の曾祖母の娘時代の出来事を、ここまで詳しく知っているのだろう。
それも、まるで自分自身が体験したかのように…
多分、そんな感じじゃないかな。
読心術の心得がなくても、それ位は分かるって。
「誉理ちゃんは『精霊馬を思い出すから』って理由で、茄子や胡瓜が苦手なんだよ。おかしいよね?」
京花ちゃんの口調が、一気に砕けた物に転じた。
「それで私ったら、食わず嫌いな誉理ちゃんを見るに見兼ねて、茄子の漬物はお酒のオツマミにすれば良いなんて言っちゃってさ。お酒を飲んでる事、ウッカリ喋っちゃった!あの場に憲兵さんがいたら、大目玉だったよね~?」
いや、それだけじゃなかったね。
もはや曾祖母の体験の伝聞ではなく、一人称の実体験として語っていたんだ。
「そうだよ、里香ちゃん!天王寺大佐が飲ませてくれるのは、あくまでも温情なんだから。『大っぴらに口外しないように。』って釘を刺されてたでしょ!…って、えっ?!」
見事に鎌をかけられたね、美衣子さんも。
「こうして軽~く飲むのも、昼酒や食前酒として悪くはないよね。そうでしょ、美衣子ちゃん?」
手酌で注いだ2杯目の清酒を美味しそうに傾けながら、京花ちゃんは朗らかに笑いかけた。
どうやら先の一言は、修文4年の時代で園里香少尉として振る舞っていた間に発した言葉らしい。
そして、今の一言が決定打になったみたいだね。
「り、里香ちゃん?いえ、そんなはずは…京花さん、貴女は一体?」
「ごめんなさい、驚かす積もりはなかったんです。それに…信じて頂けないかも知れませんが、もう少し私の話に付き合って頂けますか?」
狼狽える美衣子さんに、京花ちゃんは申し訳なさそうに切り出したの。
そうして語ったのは、先の「時空漂流者救出作戦」のあらましだった。
時空間を行き来出来る珪素獣の仕業で、園里香少尉と京花ちゃんがタイムスリップしてしまった事。
入れ替わってしまった曾祖母と曾孫は、それぞれの時代で帰還出来るまで待機していた事。
姿が似ているのを幸い、お互いの戸籍や身分証明に背乗りする形で。
そして、園里香少尉の様子が一時的に変わったのは、その間だけ京花ちゃんが園里香少尉に成り済ましていたからって事。
この一連の流れを、美衣子さんは口を挟まずに聞いてくれたの。
「そう…そうだったのね。あの時は確かに、貴女も里香ちゃんだったのね?」
流石は防人乙女の偉大なる先人。
美衣子さんったら全く動じず、この荒唐無稽な珍事を受け入れてくれたんだ。
「はい…騙していたみたいで、美衣子さんにはどう御詫びして良いか…」
「良いのよ、京花さん…貴女にはやむを得ない事情があったんだから。それに貴女は、確かに私達の友達だったのよ。」
申し訳なさそうに肩を落とす京花ちゃんの頭を、和菓子屋の大女将はソッと優しく撫でている。
その温顔に浮かぶのは、ある一時期だけ時間を共有した束の間の友人との再会を喜ぶ、微笑だけだった。
「差し出がましい事ですが…もう一度、『美衣子ちゃん』って呼ばせて頂けないでしょうか?」
何時になくオズオズと控え目な、京花ちゃんの申し出。
そんな京花ちゃんに、美衣子さんは穏やかに頷かれたんだ。
「勿論…代わりに私も、貴女の事を『里香ちゃん』と呼ばせてよ?あの時みたいに、ね?」
それは何とも、不思議な感じだったよ。
実年齢はもう90近いはずなのに、その時の美衣子さんの笑顔は、写真の中で笑う少女将校時代のそれと、全く変わらないように見えたんだから。
「うん、美衣子ちゃん!私、友達を連れて遊びに来たよ!あの日に約束した通りにね!」
一片の曇りも屈託もない、朗らかな笑顔。
それは修文4年の時代に帰っていった日本軍の少女将校が、素顔の「園里香」として私達の友達になってくれた時の笑顔に、とてもよく似ていたんだ。