6 うまい醤油さえあれば?
6 うまい醤油さえあれば?
(……未練の現れか。情けない話だな)と、山田はヤカンを火にかけながら考え込んだ。ちらりと振り返ればそこら中に本、本、本。野球の本。あと競馬新聞と酒の空き瓶が少し。(思い返せば小さな頃から野球は好きだった。親父が野球場に連れて行ってくれて、ホームランボールが目の前に飛び込んできた。
……痺れたな。それからか虜だったな。俺もホームランが打ってみたい。それで少年野球に入った。ポジションはたまたま空いていたからキャッチャーだ。憧れてた選手もキャッチャーだった。
ところがキャッチャーってポジションはキャッチングとリードばかりに気が回ってホームランを打つどころじゃなかった。
どうやってレギュラーの座を維持できるか考えた。それが”ささやき戦術”だったな。とある名捕手が笑いながらこう言ってた、
『お前が贔屓にしてるホステス妊娠したって。お前パパになったりして。こう、ささやいたら青い顔になって三球三振だったよ』
って。それから俺は相手選手の情報を集めた。やれ、誰が好き。やれ、テストが赤点だった。やれ、お母さんが不倫している。山ほど集めた。
試合でそれをささやけば効果は抜群だった。たまに審判や相手の監督から抗議を受けることもあった。チームの監督は、表向きには俺を叱った。でも裏では、
『よくやった。これからも頼むぞ』
って褒めてくれた。少年野球なんてそんなもんだ。試合中なんてヤジ合戦はすさまじい。相手がボール球を投げようものなら、
『ヘイヘイ! ピッチャービビってる!』
相手がストライクを見逃そうものなら、
『ヘイヘイ! バッタービビってる!』
スポーツマンシップもクソねえ。今だとあんまりヤジは飛ばさないらしい。ただ俺の時代はささやくことに関していい環境だった。ヤジに比べれば地味で目立たない。ささやきだけで高校でも大学でも野球を続けられた。
特に高校は楽だった。ちょっと調べるだけで酒、タバコ、ギャンブル、ケンカ、不純異性交遊。ただの”不純な交遊“もあったな。ゴロゴロ出てくる。
おかげで何校も出場停止に追い込んで、地方大会ベスト4まで結果を残した。その成果で野球推薦の枠を貰って大学に進学した。文学部で専攻はマスコミ学。
この時になってやっとだ、スポーツ新聞の記者になりたいと思ったのは。野球選手に張り付いて取材したかった。試合結果を記事にしたかった。
でも落ちた。そりゃそうだ。ただの野球バカじゃ新聞社には受からない。ただ、少しでも野球に関わりたかった。そんなタイミングで、今の編集部に拾ってもらった。野球選手の泥沼不倫だの。首脳陣との確執だの。裏カジノに行っただの。根も葉もあるんだか、ないんだか。
とにかくロクでもない記事を書きまくった。そんなんでも楽しかった。ペン一つで選手の人生に影響を与えているかと思うと興奮した。
世間が眠る頃に原稿を上げて、夜更けの街を歩く。そんな毎日の繰り返し。……嫌いじゃない。割といい人生かもしれないな。大満足ってワケじゃないが、まあ、満足か)
「山田殿ッ! 山田殿ッ!」と、女騎士がユサユサと山田の肩を揺らした。「湯が沸いたままですッ! 危険ですッ!」
「ん? ああ!」と、山田は急いで火を止める。「ありがとう。助かった。考えごとをしていた」
「……考えはまとまりましたかッ!?」
「……現状に不満はない」
「そんなッ!?」と、女騎士は頭を抱えた。「未練はないのですかッ!?」
「そりゃ、あるさ」
「ではッ! なぜッ!?」
「未練はあれど、結果に納得している。血のにじむ努力をしてきた人生じゃない。勝手気ままに生きてきた。にもかかわらず、ささやかな幸せを感じて生きている。あと、稼ぎもそれなりにいいんだ」
「……ッ!」と、女騎士は言葉に詰まった。
(決まったな。結構いいこと言ったぜ俺)と、山田から笑みがこぼれた。論破の前祝に、お茶をすする。(……おや? お姉さん、今度はなにをしようとしているんだ?)
「……うーんッ! ……本来はッ! 話が進んでからお出しするべきなのですがッ! 仕方ありませんッ!」と、女騎士はお腰に付けたレザーのウエストポーチから山吹色に輝くモノを一つ取り出した。それをガチャっとテーブルの上に置いた。「これをご覧になっても考えは変わりませんかッ!?」
「そっ……それは!?」と、山田の目ん玉が飛び出る。
「金の延べ棒ですッ! まだまだありますッ!」と、女騎士はさらにガチャ、ガチャ、ガチャと、金の延べ棒を積み重ねる。輝くミニチュアピラミッドが完成した。「これは我が帝国の誠意ですッ!」
「これは……話が……大きく……変わるな」と、山田の目が¥マークになった。ヨダレも少し垂れていた。