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1 仕事はカタくて辛いよ


   1 仕事はカタくて辛いよ


 とある夏の吉日。やたら蒸し暑い夜のことだった。

「さあ愛しい我が家だ」と、山田勝司(かつじ)は玄関で靴を脱ぎ、廊下で服も脱いだ。

 床は本が山積みで歩くのも一苦労だ。御年42歳、厄年。華の独身。職業・フリーのゴシップ記者。

 こんなヤツだが物語の主人公である。パンツ一丁になった所でダイニングキッチンのドアを開けた。


「我が帝国ッ! マツズーム帝国のためにッ! プロ野球リーグ設立のッ! お力添えをッ! 頂きたくッ! お願い申し上げにッ! 参りましたッ!」と、女騎士がいた。頭を下げて跪いていた。

 甲冑はピカピカに磨かれていてでカッコよく、角が鋭い兜を小脇に抱えていた。垂れた赤毛はツヤツヤだ。

 それと語尾が無駄に力強い喋り方だ。「無礼なのは百も承知ッ! ですがッ! ですがッ! 何卒ッ! 何卒ッ!」


 山田は酔っ払って幻覚を見たワケじゃない。ほろ酔いではあるけど家に帰れているから酔ってない。

 話はこの数時間ほど前にさかのぼる。場所は都内某所のバーボンの品ぞろえが豊富なバー。


「ああ……疲れた」と、山田は白髪交じりのゴマ塩頭を抱えながら水割りをチビり、チビり飲んでいた。「今日はしんどい一日だった……」


「どうしたのさ山田ちゃん?」と、マスター(佐藤)が老眼鏡を拭く手を止めて駆け寄った。シャツのボタンは常に3個外している伊達男だ。「珍しいじゃん。そんな悪い酒」


「聞いてくれよマスター」と、山田の目には薄っすら紫色のクマがクッキリ。


「聞くよ、聞くよ。どうせ猛暑で客足は伸びずにヒマだしさ。で、どうしたの?」


「それが……俺の書いた記事がな……大、大、大スクープになったんだ」


「いいことじゃんか。山田ちゃん記者でしょ。 お手柄じゃん」


「それがちっとも良くないんだ」と、山田はグッとバーボンを飲み干した。「おかわり。お次はトリプルで」


「今日はとことん行っちゃう日?」と、マスターは手早く酒を注ぐ。「で、スクープのどこが問題があるの?」


「あのな。俺は”ゴシップ”記者なんだ。適当に嘘八百を書き連ねるのが仕事だ」


「あーあ。言っちゃったよ」


「言っちゃったも何も、ただの事実だ」と、山田はグビグビ酒を流し込んだ。「適当に書くから名誉棄損で訴えられる心配がないワケだ。俺が今、世話になってる編集部は昔でこそ裁判にもなったな。けれども『信憑性皆無』ってことで余裕で勝訴を勝ち取っている」


「じゃあ、どうしてスクープなんて書いちゃったのさ? ガラにもなく」


「……そんなつもりは一切なかった」と、山田はゴシップ雑誌『週間・真実』をカウンターに置いた。「読めば分かる。ページはトップ記事だ」


「えーどれどれ」と、マスターが老眼鏡をかけた。「これかな?


『衝撃! 広島軍4番・フランシスコ選手 夜の三冠王! ラブラブでシャブシャブ! 場外ホームランSEX!』


なーんだ、ただのゴシップ記事じゃん」


「……だろ? そうだろ? どこをどう読んでもただのゴシップだろ?」


「いやー、お手本みたいなゴシップだと思うよ」


「ところがだ。今日、マトリ〈麻薬捜査官〉が編集部に来やがった」


「えーマトリって麻薬のマトリでしょ? 何で?」


「それがな、


『このフランシスコの記事を書いた山田って記者はどこのどいつだ!』って、八木とかいうマトリのオッサンが来てだ、


『ああ、俺がその山田だけど、どうかしたのか?』って、名乗ったら、


『どこから情報を手に入れた! 言え!』って、いきなり胸ぐら掴んできたんだよ」


「ずいぶん物騒な話になってきたね」


「そりゃ物騒だよ。一瞬で手が飛んできたからな。おっかなかった。でもな、


『情報も何もあるかよ! ただのゴシップだ! 何にもねえよ!』って、言ってやったんだ」


「おーやるじゃん!」


「我ながら毅然とした態度を取れたなって思った。そしたら、


『フランシスコはなあ! ウチが極秘に追ってたんだ! それをすっぱ抜きやがって! 台無しになるじゃねか! 誰だ! 裏切者は! 吐け!』って、今度は俺の首を絞めにかかったんだよ」


「ちょっと、ちょっと! 山田ちゃん死んじゃうじゃん!」


「どっこい生きてんだ」と、山田が指でクイッとシャツの襟を広げた。「幸いアザにもなってねえ」


「あー良かった」と、マスターが胸を撫で下ろした。「んでさ、んでさ。それからどうなったの?」


「それからはな、編集長が間に割って入って俺を引きはがしてくれてだ、


『やめて下さい! ウチはただのゴシップ雑誌なんです! タレコミはおろか取材にも行ってません! 本当です!」って言ってはくれたんだけど、


『ウソつけ! そんな雑誌があってたまるか! 第一な! フランシスコが勝手にこの日本で一夫多妻の重婚かまして! 

 ナイトプール貸し切ってシャブSEXしてるなんてネタはマトリしか掴んでねんだ! 何も知らずに書けるワケねえだろ!』って、マトリの野郎、余計に興奮して編集長の首も締め上げやがってな。ただ編集長も修羅場はくぐり抜けてるほうだ。言い返すんだよ。


『でも本当なんです! 本当に全部フェイクニュースなんです! 想像と! 憶測と! 希望! 基本的にこの3つだけで記事を書いているんです! ごめんなさい! 許して下さい!』って。でも、編集長がそこまで謝っても、


『いつまでとぼける気だこの野郎!』って、全然治まらないんだ怒りが」


「終わりがさっぱり見えないね」と、マスターは腕組み。


「それが経理の鈴木さんがな、


『私共の雑誌は取材費も交際費もロクにありません! これが動かぬ証拠です!」って、分厚いバインダーを叩きつけたんだ」


「かっくいいー!」


「んで、続けざまに、


『あと! これは私共の雑誌の過去の裁判記録です! 我々の雑誌はですね、ウソ・偽りしか書いてないと裁判所からお墨付きを頂いております!』って、これまたすんごい大きなバインダー出してきて。さすがにマトリのオッサンも渋々とはいえ読むしかねえわな。そしたら、


『……ゴミみてえな雑誌だな!』って、そこでようやくだ。理解と言うか。納得と言うか。論破されたと言うか。とにかく何とか帰りやがった」


「随分と災難だったね……」


「まった……頭がカタい人間を相手にすると無駄に疲れる。甲子園の強豪校じゃないけど、2年ぶり15回目ぐらいか? この仕事を辞めたくなった」


「ウソから出たまことって言うのかな? あるんだね。そんなこと。まーとにかくお疲れ様です」


「心底疲れた。だから飲む。マスター。おかわりね」と、山田はビシッとグラスを差し出した。


「はい、おかわり。あと、これはサービス」と、マスターがティラミスを出した「疲れた時には甘いものでしょ」


「助かるよ」と、山田。気分と血糖値がグングン上がる。「やっぱり、隠し味のピスタチオが効いてるな」


「本場イタリア仕込みだもんね」と、マスターは誇らしげだ。親指も立てた。


(ああ。嫌なことはあったが、いい酒が飲めた。あと何杯か飲んで、ちょっと贅沢してタクシーに乗って、熱いシャワーを浴びて、歯を磨いて、寝る。

 これで今日がいい日になって終わる)と、山田は帰るのが楽しくなってきた。

 

この時すでに家がややこしいことになっているとも知らずに。

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